森
森の奥へ、さらに少しだけ進んでから、
冬彦はようやく足を止めた。
「……この辺りで一度、息を整えましょう。」
四人は倒木の影に身を寄せる。
湿った土の匂いと、夜露に濡れた葉の冷たさが肌に刺さる。
千秋は木に背を預け、耳を澄ましながら小さく言った。
「……追っては来てない、たぶん。」
春花は頷き、
焚き火の代わりに小さな火打ち石を取り出しかけて、やめた。
「今は、光は控えましょう。」
「うん。」
しばらく、風と虫の声だけが流れる。
その沈黙を破ったのは、夏輝だった。
「……なあ。」
誰も急かさず、視線だけを向ける。
夏輝は、拳を握ったまま、地面を見ていた。
「俺さ。
薫家に戻れば、たぶん……何もなかったことにされる。」
誰も否定しない。
「母さんのことも。俺が捕まったことも。……全部。」
小さく息を吸う。
「でも、あんたたちは違った。」
顔を上げ、まっすぐ春花を見る。
「助ける理由がないのに、来た。」
春花は、静かに答える。
「理由は、ありました。」
「……そういうとこだよ。」
夏輝は苦く笑った。
「だからさ。」
一歩、前に出る。
「俺も、一緒に行く。」
冬彦が反射的に口を開く。
「夏輝、それは――」
「分かってる。」
遮るように言う。
「危ないし、面倒も増える。
……でも、戻っても、俺の居場所はもうない。」
千秋が、ふっと鼻で笑った。
「最初はあったみたいな言い方するね。」
「……あったよ。」
夏輝は即答する。
「でも、もう、そこじゃないって分かった。」
春花は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと近づく。
「一緒に来る、ということは――」
視線を合わせる。
「逃げるだけではありません。困っている人に関わり、
時には、誰かに恨まれる道です。」
夏輝は、迷わなかった。
「それでもいい。」
「……なぜ?」
少しだけ、春花の声が揺れる。
夏輝は、胸元からそっと簪を取り出した。
月明かりに、鈍く光る。
「母さんが言ってた。
『正しいことは、静かで、居心地が悪い』って。」
簪を握りしめる。
「今の俺、めちゃくちゃ居心地悪い。」
千秋が吹き出した。
「はは、分かりやす!」
冬彦も、ようやく息を吐く。
「……では、夏輝殿。」
一礼する。
「改めて。
我らと共に歩む覚悟、あると受け取ってよろしいですか。」
夏輝は、背筋を伸ばした。
「はい。私、薫夏輝は、あなた達と共に歩みたい。」
春花は、少しだけ目を伏せ、それから、微笑む。
「では。」
そっと手を差し出す。
「一緒に行きましょう、夏輝。」
一瞬ためらってから、夏輝はその手を取った。
夜の森の中で、四つの影が、ひとつに重なる。
遠くで、関所の鐘が鳴った。
だがもう、
振り返る者はいなかった。




