脱出
夜は、深く沈んでいた。
薫家の城では、巡回の足音さえ間延びし、
灯りは必要最低限だけが残されている。
春花は、袖の中で紙を確かめた。
――北の小門。
――三つ目の太鼓の後。
――交代の刻、使者は関所側に下がる。
黄雀の文字は、簡素だが迷いがなかった。
「……今です。」
囁くように告げると、
千秋が先に立ち、影の濃い回廊を進む。
冬彦は、後ろから二人を包むように歩いた。
小門は、紙に書かれていた通り鍵は掛かっていなかった。
軋む音が出ないよう、千秋がそっと押す。
冷たい夜気が、流れ込んできた。
振り返らず三人は外へ出る。
城の背後に広がる道は、
関所へと続く、細く固められた土道だった。
薫と牟岐の国境に置かれた関所は、
もともと、人の行き来を管理するためのものだ。
だが今夜は灯りが少ない。
交代の刻。
使者の目が切れる時間。
黄雀の読みは、正しかった。
「……あそこ。」
冬彦が、低く指差す。
関所の脇、岩肌の中に土牢があった。
千秋が地面にしゃがみこみ、足跡を確かめる。
「見張り、少ない。……でも、油断すると音が響く。」
春花は、頷く。
「急ぎましょう。」
三人は、影から影へと移動する。
関所の番兵は、焚き火のそばで、
別の兵との雑談に気を取られていた。
――今しかない。
千秋が、腰の小袋から細い鉄のようなものを取り出す。
「鍵、任せて。」
冬彦は息を殺し、周囲を見張る。
春花は、ただ、祈るように手を握っていた。
……かちゃり。
鍵が外れた。
覗くと中は暗い。
だが――
「……夏輝。」
千秋が、名を呼ぶ。
奥から微かな動きと、何かが擦れる音。
「……誰……?」
掠れた声。
暗闇に目が慣れて中がはっきり見えるようになってくる。
千秋が、口角を引き上げた。
「迎えに来た、って言ったら?」
一瞬の沈黙の後。
「……は?」
牢の奥で、夏輝が、目を見開いていた。
頬には、疲れが浮かび、
だが、目の光は消えていない。
春花が、すぐに駆け寄る。
「ごめんなさい。遅くなって。」
夏輝は、春花の顔を見て息を呑んだ。
冬彦が、縄に手を掛ける。
「話は後です。今は、ここを出ましょう。」
縄が外れ、拘束が解かれる。
夏輝は、よろめきながら立ち上がった。
その瞬間、遠くで誰かが言った。
「……交代、早くないか?」
焚き火の向こうで、影が動く。
千秋が、舌打ちする。
「……来る。」
春花は、夏輝の手を取った。
「走れますか?」
夏輝は、一瞬だけ驚いた顔をして、
それから、強く頷いた。
「……うん。」
四人は、闇の中へ踏み出す。
黄雀が渡した紙の、最後の一行。
――牢横、古井戸。




