母
通された部屋は、城の奥でも特に静かな場所だった。
障子越しの光はやわらかく、
庭の竹が風に揺れる音だけが、かすかに届く。
「……こちらへ。」
黄雀はそう言って座を示し、
自分は春花の正面ではなく、少し斜めに腰を下ろした。
威圧しないための距離だった。
冬彦と千秋、それから夏輝は、少し部屋の外で待つことになった。
襖が閉まる音が、ひどく小さく響く。
黄雀は、茶を注ぎながら、ぽつりと言った。
「……ここは、桔梗が……」
言いかけて、止める。
「いえ。失礼しました。」
春花は、首を横に振った。
「……構いません。」
その声は幼いが、逃げなかった。
黄雀は、ゆっくりと頷く。
「桔梗はね。
ここで育ちました。」
茶碗を差し出しながら続ける。
「人前では、あまり笑わない子でした。
でも……庭に出ると、よく花を触っていた。」
春花は、そっと茶碗を受け取る。
「……母は、花が好きでした。」
黄雀の口元が、わずかに緩む。
「やはり。」
少し間を置いて、黄雀は声を落とす。
「志木原に嫁いだとき、皆……驚いていました。」
「……なぜですか?」
「政略では、なかったから。」
春花の指が、茶碗の縁に触れる。
「桔梗は、強い家に嫁ぐことも出来た。
けれど……どうしてもと為春殿を選んだ。」
黄雀は、遠くを見る。
「“あの人の城は、あたたかい”と。
そう言っていました。」
春花の喉が、小さく鳴る。
「……母は……幸せでしたか。」
黄雀は、即答した。
「ええ。」
迷いのない声だった。
「……薫家にいた頃より、ずっと。」
その言葉に、春花は目を伏せた。
しばらくして、黄雀はそっと尋ねる。
「……あなたは。」
春花が顔を上げる。
「志木原で、育ちましたか。」
「はい。」
「……怖い思いも?」
春花は、少しだけ考えてから答えた。
「……ありました。でも、それより……」
言葉を探す。
「……大切な人が、たくさんいました。」
黄雀は、静かに目を閉じた。
「……最後に。」
黄雀は、声を震わせないように、慎重に言う。
「私は桔梗との、別れ際に……
“もしものときは、この家を頼れ”と、言いました。」
春花は、まっすぐ黄雀を見る。
「……その“もしも”が、来ました。来てしまった。」
黄雀は、深く、深く頭を下げた。
「……遅くなりました。」
春花は、驚いて立ち上がり、慌てて首を振る。
「ちがいます。大叔父上が……気づいてくださった。」
黄雀は、顔を上げる。
「……あなたの名を、聞いても?」
春花は、一瞬、迷い――
それから、静かに答えた。
「志木原 春花と申します。」
その名を聞いた瞬間、
黄雀の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「……そうか。」
小さく、噛みしめるように。
「……桔梗は、春を残したのだな。」
庭の竹が、風に鳴った。




