妾
街を出て、薫家へと続く街道に入ると、空気が少し変わった。
人の往来はあるが、どこかよそよそしく、道の端に立つ石碑や祠にも、古い家の気配が染みついている。
夏輝は先を歩きながら、何気ない調子で言った。
「この道、知ってる?」
千秋が即答する。
「いや全然。ていうか、あんたのほうが詳しそうだけど?」
「まあね。」
短く答えて、それ以上は言わない。
冬彦は、その背中をじっと見ていた。
歩き方が、初めて来る者のそれではない。
それでいて、懐かしむようでも、誇るようでもない――妙な距離感。
しばらく歩いたあと、休憩がてら小さな沢のそばで足を止めた。
春花が水を汲んでいる間、千秋がぽつりと聞く。
「ねえ夏輝。“帰る”って言ってたけどさ……薫家の人?」
夏輝は一瞬、口を結び、石を一つ蹴った。
「……半分、ってところ。」
千秋が眉を上げる。
「半分?」
「父親は薫家の人間。」
その言葉に、冬彦の目がわずかに見開かれる。
夏輝は続ける。
「でも母親は違う。正式な妻じゃない。
だから俺は――薫家の“中”にはいない。」
言い方は軽い。
けれど、その声には慣れきった痛みが混じっていた。
春花は水筒を抱えたまま、そっと近づく。
「……薫家と、仲が悪いのですか?」
夏輝は少し考え、苦笑する。
「悪い、っていうより……
最初から、なかったことにされてる感じかな。」
千秋が舌打ちする。
「最悪じゃん。」
「別に。生きる分には困らなかったし。」
そう言いながらも、夏輝の指先は無意識に強く握られていた。
冬彦が低い声で言う。
「それでも、戻る理由があると。」
夏輝は、春花を見る。
まっすぐで、澄んだ目。母、桔梗と同じ色。
「……あるよ。」
「返して欲しいものがある。」
春花は、胸の奥が静かに鳴るのを感じた。
「一緒に行きましょう。」
自然と、言葉がこぼれた。
「薫家は、母の実家です。血のことで誰かを拒む場所なら……
私も、文句を言う資格があります。」
夏輝は驚いたように目を瞬かせる。
「……ほんと、不思議だな。」
「何が?」
「君、まだ名乗ってもいないのに、もう“戻る側”の言葉を使うんだ。」
千秋が鼻で笑う。
「でしょ。この子、そういうとこあるから。」
春花は少しだけ困ったように笑った。
「今は、ただの旅人です。それでも――
一緒に歩けるなら、それでいい。」
夏輝はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……じゃあ、しばらく一緒に。」
四人は再び歩き出す。
まだ、薫家の門は見えない。
名も立場も、ここでは語られない。
けれど確かに、
それぞれの「家」へ向かう道の上に、
彼らは並んで立っていた。




