思い出
焼け落ちた家々の間を抜けるとき、
春花は、瓦礫の向こうに一瞬だけ動く影を見た。
「……誰か、いる。」
冬彦が即座に前に出る。
「お下がりください。」
だが、影は逃げない。
代わりに、ひょい、と焦げた柱の陰から顔を出した。
背丈は春花より少し小さいくらい。
煤で汚れた頬、ぼさぼさの髪。
まんまるな目だけが妙に生き生きとしている。
「……あーあ、見つかっちゃった。」
少女は、手に布袋を抱えていた。
中から金属がかすかに触れ合う音がする。
冬彦の手が、無意識に懐へ伸びるのを見て、
少女は小さく息を吐いた。
「安心して。あたし、盗るのは“もう居ない人の分”だけだから。」
春花は、驚くほど落ち着いた声で問いかける。
「なぜ?」
少女は一瞬だけ黙り、肩をすくめる。
「お嬢様にはわかんないかもしれないけど、
生きるにはお金が必要なの。あたしの家もここと同じ。
火が出て、逃げて、戻ったら、もう何もなかった。
逃げれただけマシだったみたいだけど。」
ぺろっと舌を出して袋の中を確認し始める。
冬彦が警戒を解かずに問う。
「名は。」
少女は、こちらを向き直すとにっと笑った。
「千秋。」
その名を聞いた瞬間、
春花の胸が、きゅっと鳴った。
「……千秋。」
無意識に、繰り返していた。
「いい名前でしょう?昔、姉さんがつけてくれたの。」
春花は、思わず一歩近づく。
「……お姉さん、いらしたのね。」
千秋は、軽く首を振った。
「いた、かな。去年の火災で死んじゃった。
知ってる?志木原。あそこはいい所だったんだ〜
何もしなくてもまんまが食べれて、
街の人はみーんな優しい!
……まぁ、もう無くなっちゃったけどね」
一拍の沈黙。
春花は、静かに息を吸って、言った。
「わたしの姉の名前は、千春というの。」
千秋の目が、わずかに見開かれる。
「……似てる。」
「ええ。」
春花は、微笑んだ。
「千姉様……」
春花が、小さく姉の名を呼ぶ。
「とても、優しい人でした。」
千秋は、春花の顔をじっと見ていた。
からかうような調子は消え、
代わりに、火の跡を見つめるような、静かな目になる。
「……そっか。」
短く、けれど重く。
千秋は足元の石を蹴り、少しだけ視線を逸らした。
「あのね、あたしの姉さんも、優しかったよ。」
ぽつり、と続ける。
「あたしが家をなくしてすぐの時、拾ってくれたの。」
蹴った石から目線を動かさないまま続ける。
「そのまま、家に置いてくれてさ。
志木原の、すごくおっきいお店だったんだけどね、
いつかうちで働けばいいって。ごはんも、寝る場所もくれた。」
千秋は、軽く笑う。
「なのにさ。あたし、あそこが燃えた時--」
言葉が途切れる。
千秋は、肩をすくめることで続きを誤魔化した。
暫しの沈黙の後、春花は一歩、千秋に近づいた。
「千秋。」
名を呼ばれ、千秋は驚いたように顔を上げる。
「もし……」
春花は、少しだけ言葉を探してから、続けた。
「もし、行く宛がないのなら。
しばらく、一緒にいるのはどう?」
冬彦が息を吸い、何か言いかけるが、言葉を飲み込む。
千秋は、きょとんとした顔で春花を見た。
「……あたし?」
「えぇ、あなたといたいの。」
千秋は、一瞬、口を開けたまま固まる。
それから、ぷっと吹き出した。
「なにそれ!変なの!」
笑いながらも、目元は少し赤い。
「……あんたって、変わった喋り方だよね。」
春花は、首をかしげる。
「そうかしら。」
千秋は、しばらく考えるように空を見上げてから、
「……じゃあさ。」
布袋を抱え直し、言った。
「行くよ。どこまでかは分かんないけど――
あんたたちとなら、一緒に行ってもいい。」
春花は、ほっとしたように息を吐いた。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
千秋は、にっと笑う。
「よろしくね、千春の妹。」
その言葉に、春花は少しだけ目を伏せ、
けれど、しっかりと頷いた。
「ええ。よろしく、千秋。」
焼けた村の中で、
三人の足音が、静かに重なった。




