もう1つの噂
山を越え、また山へ。
春花と冬彦は、踏み慣れぬ獣道を選びながら進んでいた。
ある地点から、焦げた匂いが風に混じり始める。
「……止まりましょう。」
冬彦が低く言う。
前方、木々の切れ間。
そこに、黒く崩れた家々が見えた。
柱は炭のように折れ、
土の上には生活の名残が散らばっている。
そのとき--
人の声がする。
「……ったく、まだ噂が残ってるらしいぜ。」
「志木原の、姫だっけか。」
春花の足が、ぴたりと止まる。
冬彦は咄嗟に春花の前に出て、
低い木陰へと身を引かせた。
声は二人分。
村を調べに来たのか、気だるそうな調子で、
足元にある家の残骸を蹴飛ばしながら歩いている。
「生き残りがいるって話、七つ前の子だってよ。」
「へぇ。福の神の血筋か?」
鼻で笑う声。
「馬鹿言え。あの一族は賊にやられて滅んだんだ。」
春花は、息を潜めたまま聞いている。
「でもよ、顔も知られてねぇ末姫が生きてるかも、って噂があるんだろ?もし本当なら、どこからか漏れたんだ。」
「うちの殿様も必至に探しているらしい。何しろ嘘がバレちまうかもしれないからな。」
チラリと見えた家紋。
どうやら牟岐家の者らしい。
春花は、冬彦の袖をきゅっと掴む。
冬彦は何も言わない。
ただ、強く首を横に振った。
しばらくして、足音が遠ざかる。
焼け跡に、風の音が戻ってくる。
「……冬彦。」
呼ぶ声は、ひどく静かだった。
「今の話……あれは、わたしのこと、なのね。」
冬彦は一瞬だけ視線を伏せ、
それから、短く頷いた。
「……はい。」
春花は、すぐには何も言わない。
焼け跡に残る柱を見つめ、
崩れた土の上に落ちた瓦の欠片に、目を向ける。
やがて、小さく息を吐いた。
「……そう。」
それだけだった。
冬彦は、耐えきれないように言葉を探す。
「春花様、私は――」
「いいの。」
春花は、そっと首を振った。
「……冬彦は、わたしのことを思って、
この噂を、言わなかったのよね。」
冬彦は、言葉を失う。
「怖がらせたくなかった。逃げるのが、遅れないように。
……そう、思ってくれた。そうでしょう?」
春花は、初めて冬彦の顔をまっすぐ見た。
「ありがとう。」
冬彦の喉が、小さく鳴る。
「……春花様。」
「大丈夫。」
春花は、ゆっくりと袖から手を離した。
「今、聞いたから。だから、ちゃんと歩ける。」
声は少し震えていた。




