信頼
それから二人は、しばらく森で暮らした。
志島が整えていた小さな家。
山菜を採り、川で魚を獲り、
冬彦は慣れないながらも、黙々と暮らしを整えた。
「……寒く、ありませんか。」
夜、焚き火のそばで冬彦が尋ねる。
「……だいじょうぶ。」
春花は、膝を抱えながら答える。
会話は少なく、
だが、沈黙は不思議と苦しくなかった。
冬彦はいつも一歩距離を取り、
春花が眠るまで、火の番をしていた。
夜の森は、昼よりも静かだった。
冬彦と春花が出会ってから、もう季節は一巡しようとしていた。
焚き火の火は小さく、
春花はその前で、じっと炎を見つめている。
冬彦は、少し離れた場所で空を仰いでいた。
星の位置を確かめるように、何度も。
しばらくして、意を決したように口を開く。
「……春花様。」
呼ばれて、春花は顔を上げる。
「はい?」
冬彦は、すぐに言葉を続けられなかった。
指先を握りしめ、ゆっくりと息を整える。
「……明日の朝、ここを発とうと、思います。」
春花は驚いたように目を瞬かせる。
「どうして?」
問いは短く、素直だった。
冬彦は、少しだけ視線を逸らす。
「……冬が、来ますので。」
それだけ。理由は、それ以上語られなかった。
一瞬の沈黙の後、春花は、焚き火に小枝を足しながら言う。
「……わかりました。」
あまりにもあっさりした返事に、冬彦は思わず振り返る。
「……よろしいの、ですか。」
春花は、きょとんとする。
「冬彦が言うなら。」
まるで当然のように。
「じいが、冬彦に私のことを頼んだんでしょう?」
その言葉に、冬彦の胸がきゅっと詰まる。
「……はい。」
声が、わずかに震えた。
春花は気づかないふりをして続ける。
「それに、ここにずっといるって、
約束したわけじゃないし。」
立ち上がって、簡単に荷をまとめる。
「早い方がいいなら、朝じゃなくてもいいよ。」
冬彦は、慌てて首を振る。
「いえ……。夜道は、危のうございます。」
春花はにこっと笑った。
「うん。」
その一言に、冬彦に対する疑いは微塵もなかった。
翌朝、二人は痕跡を残さぬよう、
森を離れた。
春花は、振り返らない。
信じた背中を、
ただ見つめて歩いていた。




