償い
志島がいなくなって、二日が過ぎていた。
山の朝は早く、夜は深い。
しかし春花はここ二日、まともに眠れていなかった。
家の裏手。
志島が薪を割っていた場所。
いつも同じところに置かれていた草履は、もうそこになかった。
「……じい……!」
声は小さく、山に吸われて消える。
返事はないと分かっていても、
春花は家の外へ出て、周囲を見回した。
風に揺れる草。鳥の羽音。
人の気配は――ない。
「……じい、どこ……!」
そのとき。
背後で、枯れ枝を踏む音がした。
春花はびくりと肩を揺らし、振り返る。
そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
旅装とも山仕事ともつかぬ身なり。
蒼白い顔に、深い影を落とした目。
春花は一歩、後ずさる。
「……だれ……?」
青年はすぐに近づこうとせず、
数歩離れた場所で立ち止まった。
そして、静かに頭を下げる。
「……驚かせて、すまない。」
低く、掠れた声だった。
「俺……私は、志島柊士朗の息子です。」
春花の目が、見開かれる。
「……しじま……。じい……?」
青年は頷いた。
「名前を志島冬彦といいます。……志木原と親戚家の惨状を知って、父さん、……父を、追ってきました。」
春花は小さな指を絡ませ、疑るような目を向ける。
「じいは……?」
冬彦はすぐには答えられなかった。
視線を落とし、しばらくしてから、静かに口を開く。
「……戻っては、まいりません。」
春花の胸が、きゅっと縮む。
「父は……最期に、あなた様を――春花様を、頼むと……」
声が、わずかに震えた。
言葉を失ったまま立ち尽くす春花を見て、
冬彦は慌てたように膝を折り、目線を下げる。
「……申し訳、ありません。突然このようなことを……」
「……じい……」
春花の声は、ほとんど音になっていなかった。
冬彦は、拳を握りしめた。
「……私は、逃げておりました。」
ぽつり、と告白するように言う。
「庭師の仕事が嫌で……
父の背を追うのが、怖くて……」
春花は、黙って聞いている。
「あなた様が生まれた折、一度だけ、お会いしております。」
冬彦は、少しだけ視線を上げた。
「とても小さくて……
父が、誇らしそうに抱いておりました。」
ふ、と冬彦はかすかに笑う。
「……あのとき、逃げなければよかった。」
少しの沈黙の後、冬彦は春花の小さな肩に手を置く。
「父の代わりには到底及びませんが、父から託された使命、必ず全うします。」
春花は、ぎゅっと自分の袖を握り、
しばらく冬彦の、父に似た透き通った瞳を見つめると、小さく頷いた。




