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志木原(しきはら)を離れてから、いくつもの山を越えた。


志島(しじま)春花(はるか)が辿り着いたのは、

人の気配がほとんどない、深い山の懐だった。


小さな家が一軒、谷を見下ろすように建っている。


古く、簡素な家だったが、

屋根はまだ生きており、裏手には清い水が流れていた。


「……ここなら。」


志島はそう言って、春花を下ろした。


山には、恵みがあった。

木の実。川魚。山菜、茸。

志島は狩りをし、春花は水を汲み、落ち葉を集め、

少しずつ“暮らし”が形になっていった。


夜、囲炉裏の火を見つめながら、

春花は時折、ぽつりと尋ねた。


「……じい。おしろ、どうなったの……?」


志島は答えなかった。

答えられなかった。


だが――胸の奥で、志木原が、燃え続けていた。



ある日。

春花が眠っているのを確かめてから、志島は静かに山を下りた。


「……すぐ、戻ります。」


いくつかの山をこえると、そこには志木原がある。

いや、あった。


志木原は開けた場所になっていた。


焼け落ちた城跡。崩れた門。黒く焦げた柱。

そこにはもう戦の終わった気配しか残されていなかった。


だが噂が、満ちていた。


「賊がな……どこからともなく、大軍で攻めてきたそうだ。」


「城も、家も、皆、焼かれたと。」


「住民は……逃げたんだが一人残らず、な。」


志島は、耳を塞ぎそうになる。


牟岐(むき)様が助けに来てくださったそうだが……時すでに遅く。」


「賊は討ち取ったそうだが、志木原の当主一家は、

 誰一人助からなかったそうな。」


「だから今は、前当主・為春公とも親しかった

 牟岐宗清(むねきよ)様が、この地を治めておられるそうよ。」


――嘘だ。

手が震えた。怒りが、胸を焼いた。


だが、その時。


「……おい。」


背後から、声がした。


振り返った瞬間、刃が走る。


「志木原の者だな。見覚えがある。」


「……生き残りがこんな所に。」


低く冷たい声、突然目の前の男が切りつけられ、

話をしていた女は驚き腰を抜かす。


動けなくなった女をも一刀で切り伏せ、

牟岐の兵は志島を睨みつける。


志島は深手を負いながらも急いで逃げた。


山へ、山へ。


血を落としながら、必死に戻る。

もう生きられないと思ったのだろう。

追手は途中で途切れた。




春花がいる小屋の近くまで辿り着いた時、志島は膝をついた。

息が白く漏れ、視界が揺れる。


その時、


ガサリ。


草むらが、わずかに動いた。志島はそこに目を向ける。


「……誰だ……。」


声にならない声。

その気配に応えるように、草むらがかすかに揺れた。


人の気配だ――それも、敵ではない。


草を分けて、ひとりの青年が姿を現す。


「……(ふゆ)(ひこ)……?」


その名を呼ぶ声は、風にさらわれるほどにか細かった。


青年は、何も言わない。

ただ、視線を落としたまま動かない。


志島は力を振り絞る。


「春花様を……頼む……。」


冬彦は、震える手で膝をつき、

深く、深く頭を下げる。


志島は、微かに笑った。


「……お前は、自慢の息子だ。」


そのまま志島は、静かに息を引き取った。

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