家族
夜の森は、冷たかった。
志島は春花を背負い、城の抜け道を無事抜けた後、
細く険しい山道を黙々と進んでいた。
春花は小さな腕で、
志島の首元の衣をぎゅっと掴んでいる。
「……じい。」
かすれた声。
「はい、姫。」
「ねえさま……ほんとうに、あとで来る?」
志島は歩みを緩めることなく、低く答えた。
「必ず参られます。千春様は、強いお方です。」
春花はそれでも不安そうに唇を噛み、
背中に額を押しつけた。
その時――
ドォォン……ッ!!
夜を引き裂くような、
腹の底まで震える轟音が響いた。
志島は思わず足を止め、振り返る。
闇の向こう、
志木原城のある方角で――
空が、一瞬だけ赤く染まった。
崩れ落ちる梁の音。
押し潰される石と土の悲鳴。
城が――倒れた。
春花が息を呑む。
「……っ!」
小さな体が震え、
志島の背にしがみついた。
「じい……おしろが……」
志島は歯を食いしばり、
一瞬だけ目を伏せた。
だが、すぐに前を向く。
「……見てはなりません。」
そう言って、再び走り出した。
山へ。
ただ、山へ。
足元の枝が折れ、露が衣を濡らし、息が白くなる。
それでも止まらない。
「じい……こわい……」
「恐ろしゅうございますな。」
志島は正直に答えた。
「戦というものは……いつの世も、恐ろしい。」
春花は小さく頷いた。
「……でも……」
震える声で続ける。
「とうさまと……にいさまたちと……みんな……」
志島は少しだけ声を低くした。
「姫。今は、走ることだけを考えましょう。」
春花はそれ以上、何も言わなかった。
背中で、志島の心臓の音を聞きながら――
ただ、山の奥へと運ばれていく。
再び、遠くで何かが崩れ落ちる音がした。
だが志島は振り返らない。
志木原は、もう背後にあった。
山道を下りきった先に、ぽつりと一軒の家が見えた。
茅葺きの屋根。低い土塀。僅かに明かりの漏れる戸口。
志島は、ほっと息をついた。
「……着きました。」
春花は志島の背から降ろされ、
その袖を掴んだまま家を見上げる。
「ここ……だれのおうち……?」
「じいの……親戚が住んでおるお家にございます。」
志島の声は、少しだけ柔らいでいた。
だが――
戸へ向かおうとした、その時。
家の中から人の声がした。
志島は、ぴたりと足を止める。
……なにかがおかしい。
志島は咄嗟に春花を抱き寄せ、土塀の影に身を沈めた。
そして、耳を澄ます。
「……ようやく終わったな。」
低く、乾いた男の声。
「志木原も、これで終いか。」
「福の神だの、桃の木の神だの……笑わせる。」
別の声が鼻で笑った。
「結局、土地が肥えてただけだろ。そこに偶然人が居合わせたんだ。」
「……いや、その“人”も、もういねぇ。」
少し間を置いて、淡々と告げられる。
「当主の為春は討死。長男も、次男も、戦場で果てた。」
春花の指が、志島の衣に食い込む。
「……姫や奥方はどうなったんだ?」
「姫は逃げる途中を見つけたんだが、追い詰められて死んじまったそうだ。で、母親の方は、城で腹を切ったらしい。」
ため息をつきながら報告する。
その声には哀れみも誇りも無かった。
「この家の連中はどうしたんだ?」
「死んだよ。」
短く、当たり前のように。
「腹が減ってたのにちょっとの雑炊しか貰えなかったんだぜ。」
志島の喉が、音を立てずに鳴った。
ゆっくりと春花の口を覆い、抱き上げる。
その腕が、わずかに震えている。
「……姫。」
耳元で、かすれた声。
「音を立てては、なりません。」
春花は、何も言わない。言えない。
ただ、志島の胸に顔を埋め、小さく、頷いた。
そのまま二人は来た道を引き返す。
家の中では、まだ敵兵たちの声がしていた。
火を囲み、酒を飲み、戦の終わりを語るにぎやかな声。
その背後で、名も知らぬ家族の死が、
もう“終わったこと”になっていた。




