(08)上司と上司の恋人の話
マリ部長の自宅は私が暮らす集合住宅の近くにある。同じ集合住宅だけど大きくて豪華。言い換えれば、私は三階建てアパートでマリ部長は高層マンションという感じ。
夕食に招待されるのはもう何度目だろうか? 高級集合住宅の最上階、広々としたリビングダイニングには大きな食卓と揃いの椅子が四脚。シンプルデザインな家具が部屋に並ぶ。こちらで高価な家具と言えば華美なデザインが一般的で、前世の記憶がはっきりしているマリ部長にとって「ヨーロッパのヴィンテージ風家具に囲まれて暮らすのは違う」とのこと。
日本で暮らしていたときに使っていた家具に似た品を探して、少しずつ〝自分の城〟を作り上げてきた。この部屋は日本の記憶が飛び飛びかつおぼろげな私でも落ち着いて、帰って来たと思える空間だ。
「……いらっしゃい! キミがジリアンだね、待ってたよ」
出迎えてくれたのは背が高く、はちみつ色の髪と淡いピンク色のエプロンが印象的な男性だ。しかし、マリ部長の部屋で初対面であるはずの男性に笑顔で名前を呼ばれて出迎えられるなんて……どういうことなのだろう?
「お、お邪魔しま……す?」
「ここは、ただいまじゃないのかい? キミはマリの娘のようなものなんだから」
「え……?」
「マリの娘ということは、僕の娘でもあるということだね。ねえ、そうでいいんだよね、マリ?」
なにをどうしたらいいのかさっぱり分からず、玄関で靴を脱ぐ(マリ部長のお家は土足厳禁だ)ことも出来ず、呆然としていると男性の後ろからマリ部長がやって来た。そして、素早く男性の後頭部にチョップを食らわせる。
「痛ぁ!」
穏やかな音楽が流れる空間に、ビシンッという破裂音が響く。
「突然過ぎるわ! ごめんなさいね、ジリアン。まずは上がって、うがいと手洗いよ。そしたら夕食にしましょう」
「は、はい」
男性はマリ部長に耳を引っ張られ、キッチンへと消えて行った。
食卓にはから揚げ、肉じゃが、チーズの乗ったグリーンサラダ、キャベツとトウモロコシのコールスローにご飯とお味噌汁が並ぶ。から揚げは塩味と醤油味の二種類。マリ部長の家で用意される食事はいつも日本食だ、美味しい。
「たくさん食べてね、僕この塩味のから揚げが大好物なんだよ! ジリアンは塩味と醤油味どっちが好きかな?」
「えっ……どっちも好きですけど、どちらかと言われたら塩味でしょうか」
「お、好みが合うね! 塩味から揚げの味付けは僕がしたんだ。もっとより美味しい塩から揚げを作りたいから、まだ研究中なんだよ」
私にコールスローを取り分けてくれた男性はセシル・バゼットさん、マリ部長の彼氏。最近マリ部長の家に転がり込むように同棲を始めたらしい。
「本当にごめんなさいね、やかましい男で。いつもはこんなんじゃないのに」
「いえ、お気遣いありがとうございます。どのお料理もとても美味しいです」
少し甘みの強いコールスローは優しい味がしたし、研究中だという塩から揚げは過去で一番美味しいから揚げだ。表面はカリッとしていて、中は柔らかくて肉汁がたっぷり閉じ込められている。大きさも大きすぎず小さすぎず、美味しそうなきつね色に揚げられていて最高だ。
食卓に並ぶ全ての料理をセシルさんが作ったというのだから、凄いことだ。料理男子、というのだろう。
「口に合ってよかったよ」
マリ部長とセシルさんは四十代半ば、私の親世代だ。こうして三人で食卓を囲んでいると、両親と一緒に夕食を取っている娘、のような感じがして……気恥ずかしくて、照れ臭い。
でも、やっぱり嬉しい。今世の私は、家族との縁がとても薄いから。
***
夕食が終わり食後のお茶をリビングでいただいていると、セシルさんが私の向いに座った。
毛足の長い絨毯の上に置かれた足の短い椅子、ふっくりした座布団の上に胡坐をかいて座っているはちみつ色の髪と若草色の瞳を持つヨーロッパ風の顔立ちをした男性。違和感が凄い。
「ジリアン、今日はマリと二人の食事会だと思っていただろう? 驚かせてすまなかった」
「いいえ、お料理とっても美味しかったです」
「料理はマリから教えて貰ったんだよ、また作るから食べにおいでね」
「はい、ありがとうございます」
私は素直に頷きながら湯呑に入った緑茶をゆっくりと飲む。
「それで、なにかお話があるのでしょうか?」
セシルさんは私の言葉に頷き、手にしていた湯呑をテーブルに置いた。湯呑には何故か〝寿司〟と漢字で書かれている。変な湯呑。
「キミが来週から法務庁の庶務課で働くときいたから、アドバイスをと思って」
「アドバイス? なぜ私が来週からそこで働くことをご存知なのですか?」
そう尋ねると、抹茶のソフトクッキーの乗ったお皿を持って来てセシルさんの隣に座ったマリ部長は、両肩を竦める。
「それはね、僕がキミの受けてくれた仕事をバルフ商会に出したから。正しくは、大量の資料や書類の更新作業をしなくちゃいけなくて頭を抱えていた庶務課課長に〝人材派遣を頼めばいいよ。バルフ商会がいい人材を派遣してくれると聞いたね〟と教えて、仕事が出るようにした、かな」
「え?」
セシルさんは胸ポケットに入れていた名刺入れから一枚、それを私にくれた。名刺には〝法務庁東部長官・上級司法官セシル・バセット〟と書かれている。
「法務庁東部長官……上級司法官?」
司法官とは日本でいう所の検察官のような存在で、上級司法官と言えば裁判官のような立場になる。ここでは法律に関する国家資格を持っている公務員という扱いだ。
多くの上級司法官・司法官たちは法務庁に所属して、総責任者である総長官と四人の長官、五人の上級司法官たちを中心に組織が成り立っている……と聞いたけれど…………セシルさんは東部地域を纏める長官であるらしい。
エリート中のエリートじゃん! マリ部長、とんでもない人が恋人だよ……
「丁度良かったんだよね。昔の書類はもう紙が劣化してて……ちょっと乱暴に扱おうものなら折り目からビリビリって破れちゃうし、虫にも食べられ始めているし。虫食いされず、劣化しにくい紙に写していかなくちゃだけど、庶務課の職員を使えば通常の業務が滞るしね。だから、マリからの話はこちらにとってもありがたい話だったんだ。キミが仕事を選んでくれてよかった。ジリアン、よろしく頼むよ」
「……はい」
やっぱり、侯爵家からの依頼だという二つの仕事は……私に対して手を回している人がいるってことだ。
……私が貴族じゃなくなってからもう四年経つ、学校で同じ学年だった人たちだってもう卒業している。それなのにまだ私を構い、嫌がらせをしようと手を伸ばして来るのだ。今まで仕事を選ぶときにも上級貴族絡みの仕事が一件は入っていたから、それは絶対選ばないようにしてきた。選ばなくて正解だ、選んでいたら……どんな目に合わされていたことか。
「さて、僕からのアドバイスは聞いておいた方がいいよ? 庶務課の連中は必死だからね、扱いを間違わないようにしなくてはいけない」
「はい」
「大丈夫、扱いさえ間違わなければ、キミは安心して仕事に励めるよ」
ソフトクッキーを摘まみながら、私はセシルさんとマリ部長と話をした。仕事の話も、そこから脱線してしまったくだらない話も、二人の馴れ初め話も色々と。
私は久しぶりに心から笑い、楽しい時間を過ごした。
とても楽しい時間だった。
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オルダール王国歴1129年 3月21日
■リディング法務庁舎に行き、制服を借り受ける。ブラウス三枚、ジャケット、スカート二枚、リボンネクタイ。靴は自由とのこと。
■マリ部長の家で夕食。
部長の家に行ったら、恋人と同棲していて驚いた。聞けばもう付き合って五年になるらしい。
セシルさんからは庶務課について色々と教えて貰った。話を聞いておいて本当に良かった。聞いていなかったらヤバいことになったかもしれない。
明日からは特に予定がない。仕事が始まるまで、ゆっくり過ごす予定。
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