(07)新たな仕事はほぼ一択
「ジリアン、キミ、向こうで男と付き合ってたんだって? 生活に余裕がとハリが出て来たようで私は嬉しいよ」
「そんなことあるわけないじゃないですか。……その冗談、面白くも楽しくもないですよ」
「はは、ごめんごめん。キミに男の話が出てくるなんて初めてだから、なんだか嬉しくなっちゃって。ああ、ジリアンもお年頃になったんだなぁって」
ネベット領リディングにあるバルフ商会本部。その二階にある人材派遣部の部長室で久しぶりに顔を合わせたマリ部長にからかわれ、私は胸の中に湧いた怒りに似た感情を逃がすために大きく息を吐いた。
「ごめんってば、そんなに怒らないで。でも、お年頃になったんだなとは思ったよ……ジリアンが初めてこの部屋に来たとき、キミはまだ十六歳の娘だったけれど今は立派な女性になった。結婚の話が出てもおかしくない年頃になったんだって実感したんだよ」
貴族階級の結婚は比較的年齢が若い、十八歳から二十歳前後が多い。平民階級になると案外自由で二十代に入った頃から半ばくらいが多く、遅くても三十歳くらいまで……ざっくりその十年の間に結婚する人が多い。
当然、結婚せずに独身を貫く人も一定数いて、貴族階級はともかく平民階級は〝結婚、結婚〟と口煩くは言われない。
私は結婚なんて全く考えていなかったから、マリ部長の言葉に驚いた。
「……結婚なんて」
「さすがにまだ早いと私も思ってるよ。でも、そういう年齢になったんだなって……」
「なんだかオバサンくさいですよ、マリ部長」
「さて!」
マリ部長は手をパンッと叩き、話題を強引に切り替えた。
年齢の話はしたくないらしい。
大きな机の上には三枚の紙が並ぶ。この中から私の次の仕事を選べ、そういうことだ。
「改めて、一年間のベルムート領コルディフ入国管理局での勤務、お疲れ様。キミの評判はとてもよくてね、〝優秀な人材でとても助かった〟とお褒めの言葉をいただいているよ。私も鼻が高い、本当にお疲れ様」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げながら、ホッと息を吐く。〝役に立たなかった〟だの〝全然使えなかった〟などと言われては、私自身だけでなくバルフ商会に傷をつけることになってしまう。
「ジリアンはマナーも身に着いているし、真面目に業務に取り組んでくれるから安心して派遣出来る優秀な人材だよ。……それで、次の仕事なのだけど、どれにする?」
私は机に並んだ紙に手を伸ばした。
一つ目は侯爵家で侍女の仕事。嫡男の結婚の準備と、嫁入りしてくる令嬢付きの侍女としての業務で一年ごとの契約になるけれど、出来るだけ長く勤めることが出来る人を希望している。勤務態度と侯爵家との相性に問題なければ、そのまま侯爵家の侍女として勤めることも可能。
二つ目は王家に輿入れする侯爵令嬢付きとして、結婚するまでの一年半の契約勤務。勤務態度とご令嬢との相性次第で延長契約。
三つ目はリディングにある法務庁舎に勤務して、書庫に大量保存されている古い書類の書き写し作業の仕事。三ヶ月ごとの契約で、最長二十四か月。その前に書き写し作業が全て完了すれば、そこで契約は終了、終わらなければその後の契約は要相談。
「…………どうして、侍女の仕事が?」
私は平民だ。下級貴族の家ならば平民出身の使用人もいるだろうけれど、侯爵家ともなれば侍女だって男爵家、子爵家出身の女性が就く職業だ。
「キミは元男爵令嬢だから、高位貴族付き侍女としてのマナーはばっちりでしょ? 真面目で口も堅い、自分の立場をしっかり弁えて行動できて、貴族内派閥にも全く関係ない身綺麗な存在だから。なかなかそういう人材はいないんだよ。勿論、職場が侯爵家だからお給料はいいし、綺麗なお仕着せあり、使用人部屋の利用も出来て三食におやつ付き! いい条件でしょ」
「……」
どうやら侯爵家からの仕事のどちらかがおすすめらしい。
仕事用のお仕着せ、食事、生活する部屋が支給されて、お給料がいいなんて……まだ百五十万イェン近い借金の残る私には心惹かれる条件だ。しかも、長期の契約。
侯爵家からのお仕事を選べば、任期が満了する頃には借金も完済できるかもしれない。
「…………こちらの仕事でお願いします」
私は法務庁舎での仕事を選び、マリ部長の前に差し出した。
「……これを選んだ理由を聞いてもいい?」
「貴族階級の方、特に身分が上の貴族とは関りたくないからです」
「こんなに条件がいいのに?」
「どんなにいい条件を出されても、です」
上級貴族のご令嬢たちにたくさん嫌がらせをされて、酷い言葉を投げかけられて、学校が推薦してくれた就職先も潰された……それは今でも忘れることができない。
貴族と関わればまた大きなトラブルが起きたり嫌な思いをしたりして、それを後々まで引き摺る可能性がある。その可能性が少しでもある限り仕事は引き受けない。
マリ部長は新しい仕事を私に振るとき、三種類の仕事を用意して、その中から私が選ぶ。
侯爵家の仕事を三つ用意することもできたのに、法務庁舎という逃げ場ともとれる仕事を混ぜていたのは……私が貴族と関わる仕事を引き受けないと分かっていたからではなかろうか?
だって、上級貴族の侍女や秘書といった仕事は過去に一度も選んだことがないから。
「分かった。じゃあ、これにサインしてね。……仕事は来週の月曜日から、当日は朝八時に法務庁舎一階の庶務課に顔を出して。それから、金曜日までに一度庶務課のリグリー課長を訪ねてね、制服の支給があるから。就業時間中ならいつでも構わないそうだから」
「分かりました」
雇用契約書にサインをすれば、人材派遣契約は完了。一度法務庁舎に行って制服を受け取る必要はあるけれど、来週の月曜日まで私は休暇になる。
「そう言えば、ジリアン」
「なんでしょう?」
「コルディフで恋愛脳の二人に絡まれたとき、お役人様にコーヒーぶっかけたって、本当?」
床に置いていた鞄を持とうとしていた私は、鞄の取っ手を掴み損ねて鞄が倒れた。ドサッという重たい音が室内に響く。
「コーヒーを靴にかけてしまったことは事実です。でも、ぶっかけたわけではありません」
「なんだ、ぶっかけたって聞いたから、顔にバシャーンってかけたのかと思ってたのに。靴にかかっただけなんだ」
「……桃色のドレスを着たご令嬢に引っ張られて、そのときに持っていたコーヒーを零してしまったんですよ」
「ああ、そういう事故なわけね。で、靴のお手入れ代を出したの? それとも弁償?」
「靴を弁償して、お手入れ代を払うことでお許しいただこうと思ったのですけど、結局拒否されました」
「まあ、貴族相手で結果何事もなかったのなら御の字だね。本当、お疲れ様ジリアン。次の仕事が始まるまではゆっくり休んで頂戴。部屋はいつものお部屋を用意してあるから。あ、明日の夕食を一緒に食べよう。十七時頃、うちにおいで」
「はい、ありがとうございます」
マリ部長の部屋を出てバルフ商会を後にすると、商会が社員のために借り上げている集合住宅へ向かう。管理人さんに声を掛ければ「ジリアンちゃん、お帰りなさい。部屋はいつもの305号室だよ」と鍵をくれた。ワンルームに小さなキッチンとバストイレのある、1DKといわれる部屋が今日から私の住まいになる。
「……はぁ~」
疲れた。
魔鉱列車に長時間揺られ、目的地に着いてすぐ一年間務めた仕事の評価を受け、新しい仕事を選んだ。精神的にも肉体的にも疲れてしまっていた私は、荷物を開くことも着替えることもなく、ベッドに横になった瞬間眠りに落ちてしまった。
本当に、疲れた。
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オルダール王国歴1129年 3月20日
■バルフ商会マリ部長に挨拶と打ち合わせ / 21日、夕食の約束
□3月25日からリディング法務庁・庶務課に勤務
朝八時、リグリー庶務課課長を訪ねること。事前に制服を受け取っておくこと。
三件の仕事が用意されていたけれど、その内の二件が侯爵家に関わる仕事だった。仕組まれたものを感じる。逃げ場として用意された一つしか選べる仕事がなかった。
仕事を頼んで来た侯爵家が、どこの家なのかは少し気になる。
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