(05)舞台はクライマックス
二人の話を纏めて考察すると、どうやら事務官は私に別離を告げたようだ。理由は私が彼に相応しい存在ではなく、隣にいる桃色のオナモミ令嬢こそが相応しいから。
「……あの、よろしいでしょうか?」
「なんだい? あ、復縁は受け付けないよ、キミがなんと言おうとね!」
大げさな身振り手振りで事務官は私に言った。
彼は事務官などしていないで、舞台役者にでもなればよいのではないだろうか? 顔も整っているし、所作も綺麗かつ大きいので舞台映えするように思われる。
「どうやらお互いの間にある認識が違うようなので、確認させて下さい。まず、あなたはどちら様でしょうか? 私、男女の恋愛感情を絡めたお付き合いなど、誰ともしていないのですが」
そう返せば、目の前の二人はともかく周囲からも「えっ!?」という声が漏れた。
「な、な、なにを言っているんだ、ジリアン! 僕が分からないなんて、記憶喪失かなにかなのか? 僕だ、ビリー・イングリスだ! 僕たちは恋人として付き合っていただろう!」
名前を聞いてもパッと思い出せない。
「ビリー・イングリス……さん?」
「そうだ、コルディフ庁舎総務部に在籍している! キミとの出会いは一年前、新人歓迎会だ」
曰く、彼と私は春の新人歓迎会で顔を合わせ意気投合し、夏の終わりに開かれた領主様のご令嬢がご婚約された祝賀会の日から恋人としてお付き合いを開始した……らしい。そして今日に至る。
「……あ……えっと?」
そこまで言われて、私はビリー・イングリス事務官と言葉を交わしたことがあることを思い出した。新人歓迎会の場で用意されていた席が近かったこともあり他愛もない内容の会話を交わし、婚約祝賀会はデザートコーナーで一緒になり、プチケーキとコーヒーを一緒にいただいた。それだけだ。それだけだったし、仕事での関係があるわけでもなかったので記憶からすっかり消えていた。
そもそも、いつ私たちは恋愛感情を持ってお付き合いを始めたというのだろう? 告白もしていないし、デートもしたことはない。
「僕とキミは半年近く付き合ってきた。けれどキミは全く僕に相応しい女性ではなかった、全く努力してくれなかったし寄り添ってもくれなかった。僕はとても傷付いたよ……」
「ジリアンさん、酷いわ! ビリーを弄んだのね? 私ならそんなこと絶対にしない、沢山愛してて大切にするわ」
「ああ、ナディア! 愛しているよ、やっぱり僕にはキミしかいないっ」
「ビリー!」
再び二人の恋愛劇場が開幕しそうになって、私は会話に割って入った。
「そもそも、ええっと……イングリス事務官? と私はお付き合いなどしておりません」
「えっ? ビリーは付き合っていると、だから……」
「お付き合いしておりません。イングリス事務官と私は無関係という関係ですので、お二人がどういう関係になられるのも自由です。恋人でも夫婦でも、好きな関係になって下さい」
「……えっ、本当にいいの? 私がビリーを奪っちゃうんだけど、ジリアンさんは本当にそれでいいの?」
桃色オナモミ令嬢は〝信じられない〟といった表情を浮かべ、私とイングリス事務官を見比べる。
そもそもイングリス事務官と私が付き合っている、とする方が難しいと思う。歓迎会やら祝賀会で数時間一緒に飲食しながら話をした、それで男女がお付き合いすると認定されるのなら……恋人が欲しいと悩む人はいなくなるだろう。祝賀会や歓迎会で異性と一緒に食事をすればいいのだから。
「はい。そもそも、奪うとか奪わないとか以前にイングリス事務官は顔を知っている程度という認識の方です。ですので、構いません」
きっぱりと言い切る。こういうとき、フワッとした遠回しな言い方をしても意味がない。だって、遠回しだと伝わらないから。
私がきっぱりと言い切ったためか、周囲の見物人たちからも〝男が勝手に付き合ってるって思い込んでただけじゃないか〟とか〝付き合ってると思ってたのは自分だけで、それでいて別れを切り出したとか、あり得ない〟とか〝勘違いダセェ〟とか〝彼女、男の名前も知らないじゃん〟とか〝絶対付き合ってないよ、あの二人〟いう愉快な声がチラホラ聞こえて来た。
「で、でも! ビリーは貴族よ? 金髪碧眼でかっこいいし、誰だって付き合いたいって……」
「私は貴族という身分に憧れなどありませんし、男性の容姿にもこだわりなどありません。むしろ顔だけの男性や身分だけの男性は遠慮します。イングリス事務官と私は無関係の人間です。どうぞ、ご令嬢はイングリス事務官と愛を育んで下さい」
「なっ……あ、あなた……」
「お幸せに」
妙な素人恋愛劇に付き合うのも、もう終わりだ。夕食をどこかで買って帰って、部屋の荷物を纏めなくてはいけない。
私は二人に頭を下げ、その場を立ち去ろうとした。
「待ってよ! あなた、本当に……っ」
私の腕を細く白い手が掴んで、強く引っ張られる。その細い手のどこにそんな力があるのか、と思うくらいに強い力だ。
「っあ」
「きゃあ!」
その衝撃で手にしていたミルクコーヒーが飛び散るように零れ、桃色オナモミ令嬢と私の手を濡らし、近くにいた青年の靴にかかる。手にかかった量はわずかで、ハンカチで拭き取れば問題ないけれど……青年の靴にはたっぷりとかかってしまった。
「……なんの騒ぎだ? ここで劇の公演が行われる届け出はされていないように思うのだが?」
青年はイングリス事務官と桃色オナモミ令嬢(オナモミ令嬢はオナモミらしくべったりとイングリス事務官の背中にくっついて隠れてしまった)そして私の顔をそれぞれに見ると、大きく息を吐いて首を左右に振った。
青年は解散するよう周囲に言うと、私たちを通路脇へと誘導する。
オーダーメイドらしいチャコールグレーのスーツ、ピカピカに磨かれた黒い革靴、ネイビーのネクタイという装いから、貴族階級で立場が上の文官だと思われる。スーツの左にあるフラワーホールに付いた金色の輝く徽章からそう判断した。
「別れ話のもつれなのか、痴話喧嘩なのかは知らないが、公共の場で行うことではない。即刻取りやめるように。……キミたちの事情を聞き、間に入る必要はあるか?」
「えっ……事情って、言われましても……」
イングリス事務官は顔色を青くしてしどろもどろになる。なにをしどろもどろになる必要があるのか分からない。
「……必要ありません」
「そうか? そうは見えなかったが」
「必要ありません。公共の場で騒ぎになってしまったことは申し訳ありませんでした。ですが、問題はすでに解決しております」
私は鞄の中から二枚の名刺を取り出し、青年に差し出した。一枚目の名刺はコルディフに店を出している革靴専門店のものだ。既製品の販売はもちろん、オーダーメイドで靴を作ってくれるし、履いている靴の手入れもしてくれる。二枚目は私のもの。
「靴を汚してしまいまして、申し訳ありませんでした。この店で新しい靴を購入し、汚してしまった靴の手入れをなさって下さい。請求は私に回していただければ結構です。申し訳ありませんでした」
深く頭を下げると、ミルクコーヒーで汚れてしまった革靴が目に入った。恐らく、靴もオーダーメイドなのだろう、とても高そうだ。対して、私の履くパンプスのくたびれ加減が凄い。
「…………キミ、は……かわずなんだな」
私は不満そうな青年から顔を上げるように声を掛けられるまで、ずっと頭を下げ続けていた。だから、青年がどんな顔をしていたのかなんて、知らなかった。
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オルダール王国歴1129年 3月17日
■コルディフ入国管理室での勤務終了。
□18日 オールドリッチ靴店に行く(靴・お手入れ代を支払うこと)
仕事帰り、妙な勘違いをした二人に絡まれた。私があの事務官と付き合っているなんて、あり得ない夢想だ。脳内がお花畑になっている人が世の中には存在している、と聞いたことがあったけれど本当に実在するなんて恐ろしい。
その時に零したコーヒーを上級文官らしき人に掛けてしまった。
靴の弁償代は幾らになっただろう? 値段を聞くのが怖い。
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次回の更新は4月10日水曜日を予定しており、その後は週1回の更新するつもりです。
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