(36)今世での生き方を……
「あの日、ジリアンにいわれたことは俺の中に響いた。……今だから告白するが、俺はおまえがずっと好きだった。前世の記憶が戻る前のクレマー家の、目つきが悪くてデブで脂ぎっていたころから好きだった。婚約が調ったと聞いたときはとても嬉しかったよ。……十五のときに前世のことを思い出してからは一層おまえが好きになった。愛していた、前世でも今世でも」
私とは違って、一気に前世での記憶や感情を思い出す人はその傾向が強いらしい。前世と今世の感情が一瞬で交じり合ってしまうのだという。
バージェス上級司法官はソファに座り直し、それに引っ張られるように私も座った。それでも掴んだ手首を放そうとはしない。
「記憶が戻ってから、すぐにおまえがシオリの記憶を持っているのだとわかった。だから俺が今も想っているように、前世の記憶をもう持っているおまえも俺を想ってくれている、そう思い込んでいた。前世だの今世だの、そんなことを分けて考えようなんて気持ちは全くなかったんだ。どちらも俺の記憶で感情だとしていたからな。前世での気持ちも約束も、全てが生きているものだと思っていて……婚約者でもあるというのに俺の気持ちを無視するおまえに、俺やクレマー子爵家を頼らずなにも言わずに髪を切って貴族社会から出奔したおまえに苛立った」
「……」
「だからあの日、アドルフ・バージェスがジリアン・エヴァンスという女性に対してどんな行動をとっていたのか、どんな態度でいたのか、今世での俺たちがどんな関係にあるのかを改めて思い知らされた」
掴まれた手首が熱い。でも、それを振りほどこうとは思わなかった。
心臓が大きく鼓動する。シオリの感情が忙しない気持ちになって、私の中でぐるぐると回った。その気持ちに同調して私自身の気持ちもぐるぐる回る。
「だから考えた。ハタナカアツシとしての記憶と感情、アドルフ・バージェスとしての記憶と感情を整理して、今の俺自身がどういう気持ちでいるのか、この先どう生きていきたいと思っているのか……」
「……その結論は、でましたか?」
「前世、今世の記憶と気持ちを整理しまとめた結果、俺はおまえを愛おしく思っている。ハナタナカツシとアドルフ・バージェス双方の気持ちだ」
はっきりと、そう、彼は言い切った。
「なぜこの世界に生きる者の半数が前世の記憶を思い出すのか、そんなことはわからない。前世は前世であって、今世とか関係がないという考えもわかる。だが、俺は……やはり前世も今世もどちらもまとめて俺である、という考えに至った。今を生きる俺の中にある感情だからな。俺が持つ記憶と感情の全ては俺のものだ。だから、おまえに愛を告げ、口説くことにした」
ある意味開き直りのようにも聞こえて、私は呆然としてしまった。
「おまえの義父、セシル・バゼット長官におまえとの結婚を見据えた交際の許可を申し出た。……彼からは許可を得るにあたって、条件を突き付けられた」
義父の生家は公爵という爵位を持つ高位貴族の家柄で、義父は四男だったために家を出て司法官になった。籍としては平民だけれど、本人は侯爵家の血をひいている。そのため、貴族ではままあるという〝令嬢の父親に交際許可を貰う〟という行動をとったらしい。
義父も私も今は平民籍なんだけど。
「その、条件とはなんだったのですか?」
「上級司法官試験に合格して上級司法官の資格を取得すること、合格できるまでジリアンとの接触は一切禁止だと。会うことはもちろん、手紙も通話もプレゼントもダメだと。上級司法官の資格を得たとしても、おまえの気持ちがなければ許さないと。おまえが他に愛している相手がいた場合は、その関係を邪魔せず身を引けと」
バージェス上級司法官はいろいろと思い出した様子で、大きく息を吐き出しながら首を左右に振った。
因みに、〝司法長官の娘〟という立場から私との結婚を義父に申し込んだ男性は少なくないらしい。彼ら全員に義父はほぼ同じ条件を付けたとのことだ、〝上級司法官〟の資格取得と資格取得までの間は私との接触は不可であること、〝私の気持ちを優先しての了承〟を必ず得ることというものだ。
すでに上級司法官の資格を持っていても、素行やお家に問題がある人物(お酒問題やギャンブル問題、女性問題など)は条件を出される以前に断られてしまうとか。
「誰かに先を越されるんじゃないか、と気が気じゃなかった。上級司法官試験に合格できそうな先輩は結構いたし、すでに合格している先輩もいる。誰かがバゼット長官におまえとの結婚を打診したと聞く度に焦った」
バゼット長官の娘を巡る求婚問題は、若い独身の司法官男性陣の中ではほどほど有名になっているらしい。私の知らないところで大事になっている。
「けれど、今までおまえは誰の申し出も受けていないし、恋人らしき男もいない。だから条件云々よりも先に、おまえと恋仲になってしまおうという奴がちらほら現れてきて……さらに焦った」
だから私に声を掛けてくる人がほどほどいたのか!
まあ、私のような地味な見た目の女に司法官たちが声をかけてくるのには、なにか理由があるんだろうとは思っていたけど……義父の立場に関係していたとは。
「ジリアン、俺はおまえに結婚を前提とした交際を申し込む」
バージェス上級司法官は顔をあげ、真剣な目に私を映した。
その様子に圧倒される……冗談にも揶揄っているようにも見えない。ただ、心から私との交際(その先にある関係も含む)を願っているようだ。
「改めて……俺との関係を前向きに考えてほしい。今すぐ男女の交際が難しいのなら、それを踏まえた友人関係からでいい」
手首を掴んでいた手が動き、私の左手を彼の両手が包み込む。力強いが痛くはない。
「おまえが前世は前世、今世は今世だとはっきり分けて考えていることはわかっている。だから、今の俺に愛情を持ってくれているわけじゃないことも……わかっている。だから、これからチャンスがほしい。頼む、俺は……今のジリアン・バセットが好きだから」
胸が痛くて、苦しい。心臓が爆発してしまいそうにドキドキして、そのせいか顔も手も熱い。
でも、嫌な感じはしない。胸の奥の方に〝嬉しい〟という感情があることもわかる。私の中にあるシオリの感情、私と一体化した感情が喜んでいるのだろう。
「ジリアン……」
「…………わ、わかりました。まずは、幼馴染で知人、という関係からでお願いします」
喜んだバージェス上級司法官が私の手にキスを落とした瞬間、コーヒーで汚れてしまった皮靴のお手入れが終わったと連絡が入り、私は飛び上がるほど驚いてしまった。
酷く驚いた私は、バージェス上級司法官に笑われた。
「そんなに驚かなくてもいいだろうに」
そういった彼の笑顔は、とても優しいもので……一層顔が熱くなってしまった。
「は、恥ずかしいではないですか!」
「これからは今までできなかった分、堂々と会って口説いて、愛を告げる。もう変な勘違いもしていない。だから、わかって貰えるまで素直に想いを伝える、覚悟しておいてくれ」
また心臓がドキドキして、私は恥ずかしさと戸惑いと少しの喜びで混乱してしまい、空気の足らなくなった金魚のように口をパクパクさせてから「……手加減をしてください」そういうだけで精一杯だった。
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オルダール王国歴1131年 6月2日
◎アレッシ領メルーナ入国管理局への研修生受け入れは6日から。
ベルムート領コルディフから2名、アスロティ領クレモナから3名。
研修資料の作成し、5日までに課長の承認を得ること。
●アドルフ・バージェス氏と一年半ぶりに再会した。
上級司法官試験に合格したことは驚いたけれど、おめでたい。なかなか合格できない難関試験に最年少で合格したなんて、凄いことだ。
それよりも、私の〝司法長官の娘〟という立場に関係して、結婚の申し込みが義父のところに入っているなんて知らなかった。それに対して義父が難易度の高い条件を突き付けていたことも……その条件をクリアしようとバージェス上級司法官が必死になっていたことも。
次、義母の元へ行ったときに詳しく聞いてみようと思う。
バージェス上級司法官から、交際の申し込みを受けた! 信じられない!!
すごく恥ずかしかったし、心臓が爆発するかもってくらいドキドキした。血圧があがって、血管の二、三本は切れたかもしれない。
でも、嫌じゃなかった。
これからは、私の中にあるシオリの感情と、嫌だと思わなかった私の感情を持って素直な気持ちで、友人としてのお付き合いをするつもりだ。
いつまで友人なのか、はわからないけれど。
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オルダール王国歴1131年 11月某日 追記
友人・知人としての関係は1か月足らず、すぐさま男女のお付き合いという関係に切り替わった。
お付き合いを始めて3ヶ月ほどで〝婚約〟の話が持ち上がったときに私はようやく気が付いた、友人としての関係を始めたときにはすでに外堀が埋められた状態であったのだ、ということに。
そういえば、ハタナカは結構したたかで強引なところのある男性だった。当然、今もそうに決まってる。
気付くの遅いよ、私!
やられた……
でも、…………もういいかなって思う。
だって、シオリの気持ちも私自身の気持ちも……〝嬉しい〟とか〝幸せ〟っていう気持ちでしかないから。恥ずかしいし、驚くしでなかなか素直に受け止められないけど。
でも、だから、もういいかなって……あの人が心から好きになってしまったから。
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明日、本編完結です。よろしくお願いいたします。




