(35)再々会のふたり
「……なんの騒ぎだ? ここで興行試合が開催されるという届け出はされていないように思うのだが?」
ダークグレーの三つ揃えスーツ、ブルーグレーのネクタイ、磨き上げられた黒色の革靴。その黒色の革靴はコーヒーで濡れている。
「……」
「騒ぎの理由がくだらな過ぎて聞きたくもないが、これ以上公共の場で試合を展開させるというのならば、見過ごすことはできないが……どうする?」
「いえ、あの……申し訳ありませんでした。騒ぎを起こすつもりはなく……」
「申し訳ありません」
司法官の二人は顔を真っ青にし、倒れてしまったテーブルを元の位置へと戻し零れたコーヒーの後始末をすると、再度「申しわけありませんでした。バゼット嬢にも、ご迷惑をおかけしました」といって法務庁舎の方へと退散していった。
夕方の中道に集まっていた人たちは騒ぎが収まったと知り、それぞれに散っていく。
「……大丈夫か?」
その声に首を縦に振りながら顔をあげれば、一年半ぶりに見る顔があった。
「バージェス司法官……」
心臓が大きく鼓動して、胸の奥がギュッと締め付けられるような感じがした。これは私の中にあって、私の感情と一体化してしまったシオリの感情部分が揺さぶられているからだ。
シオリが愛していた男性と同じ魂を持つバージェス司法官。でも今世での縁は子どものころにお付き合いがあって、知らなかったけれど婚約をして白紙になったという関係の人。もう、立場的に無関係だといっていい人だ。
わかってはいるけれど、気持ちはどうにもならない。
力強い腕から離れて見えたのは、スーツのフラワーホールに輝く徽章。その徽章は銀色に輝く羽ペンと分厚い辞書をモチーフだ。
「……いえ、上級司法官になられたのですね。おめでとうございます」
司法官としての徽章は二種類。金色が司法官、銀色が上級司法官だ。
上級司法官になるためには、司法官として三年以上の実務経験を経て試験を受け、その試験に合格しなくてはいけない。合格率はかなり低く、狭き門であることは誰もが知っている。
二十代後半から三十代前半での合格者は早いといわれるらしいので、バージェス司法官の年では最年少記録を更新したのではないだろうか。
「そこは、大丈夫だとかどこかが痛いとか、そういう返事をするところではないのか?」
苦笑いを浮かべながらいわれ、私はハッとした。まずは助けて貰ったお礼をいわなければいけなかった、そして傷一つないことも。
「申し訳ありません。助けていただきありがとうございます、お陰様でなんともありません」
「……相変わらずだな」
相変わらず堅物だな、そういわれているような気がして、私は深く頭を下げた。
「この街には来たばかりなんだ、革靴を扱う店を教えてくれないか?」
「……紳士物の革靴でしたら、大通りを東側に一本入ったところにある〝トレーガー靴店〟がよいかと思います」
そういえば、この人とコルディフで会ったときも靴にコーヒーを零してしまい、靴店を紹介したのだった。ほとんど同じことをなぞっている、別の街で。
「そうか、じゃあ……案内を頼めるかな?」
「……え?」
「この街に来たばかりだといったじゃないか? 到着したのは昨日の昼過ぎで、まだ街の様子やどこになんの店があるかは全く把握してないんだ」
そういって、私の腕をとり先ほど私のいった〝大通りを東に一本奥に入ったところにあるトレーガー靴店〟に向かって歩き出した。問答無用で、私の腕を放すこともなく。
私の胸の中にある感情など、無視して。
***
トレーガー靴店はオーダーメイドで靴を作ってくれるショップであり、靴や革製品のお手入れも請け負ってくれる店だ。
顧客は専ら貴族と平民ではあっても富裕層の男性で、中には週に一回靴の俺淹れにやってくる人もいるらしい。そんな彼らが靴のお手入れをしている間に過ごす場所、として小さなカフェスペースがお店には用意されていた。
丸いテーブルにはクリームの乗ったコーヒー、バージェス上級司法官の前にはブラックコーヒーがある。
カフェスペースに配置された家具や小物類は高級品ばかり、コーヒーはとてもよい香りだし、カップも高級品と有名な陶磁器メーカーの物。ここで寛ぐ方の身分や立場がそれに似合うものだということを物語っている。そんな場所に自分がいるのが信じられない。
「驚いたよ、キミがバセット長官の娘になったなんてね。だから計画変更を余儀なくされた」
計画変更? 意味がわからない、彼が彼自身の人生計画をどのように立てているのか、またいつどのように変更するかは彼の自由だ。けれど、そこに私がセシル・バセットの娘になったことが関係する理由は全くわからない。無関係だと思うのだけれど。
「まあ、そのおかげで最年少上級司法官になれたともいうけれど」
なんの話をしているのかさっぱりわからない。そもそも、靴店のカフェスペースで靴の手入れが終わるのを一緒に待っているという状況もわからない。
「左様でございますか、おめでたいことです。では、私はここで失礼致します」
一人掛けのソファから腰を浮かせると、手首を掴まれた。
「……なにを、なさるのですか?」
「やっと会えたんだ。自分の中にある感情を整理して受け入れて、突き付けられた厳しい条件を全部クリアして、ようやくここまでこぎ付けたんだ。はい、そうですかと逃がすわけないだろ」
なんの話をしているのか、さっぱりわからない。
「なんのお話ですか?」
そう尋ねながら、掴まれた手首を振り放そうとするけれど全く離してくれない。一層強く握り込まれてしまう。
「……まさか、また聞いていないのか?」
バージェス上級司法官は整った顔を歪め、私を睨むように見つめる。
〝また、聞いていない〟という、その言葉に引っかかる部分がない。
「ですから、なんのお話なのですか?」
「……」
「バージェス上級司法官?」
私の手首を掴んだまま、彼は俯いて「またか……」とか「これが娘を持つ父親の一般的な行動なのか?」とかぶつぶつと呟いて……そして、固まること数秒。
いい加減に手を放してほしい。私は家に帰りたい。そんなことを考えていると、バージェス上級司法官はカバッと勢いよく顔をあげた。
「俺とおまえが結婚を前提に交際する、という話だ!」
「は……はぁああ!?」
なにをいっているのか理解が追い付かず、私は素っ頓狂な声をあげていた。
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