(34)新たな派遣先と新たな出会い
「ようこそ、メルーナへ。身分を証明できるものの提示をお願いします」
私は今、オルダール国アレッシ領メルーナにいる。
メルーナは国の一番北側にある国境の街。オルダール国の北側最大の玄関口であり、アレッシ領最大の街。一年の七割くらいが寒く〝冬の街〟と呼ばれている。
私はこの冬の街で入国管理業務を行う職員として、バルフ商会から派遣されて働いているのだ。
大きくて栄えている街ではあるのだけれど、寒さが厳しく王都からは遠く〝ド田舎〟とか〝僻地〟とか〝未開の地〟とか言われていて、勤務地としては不人気の土地柄らしい。
そのため、基本的に万年人手不足。私は派遣社員として一年契約だけれど、特別なことがない限りできるだけ長く働いてほしいといわれている。
今までは長くて数年で派遣先が変わって、職種を変えてきたから「できるだけ長く!」といって貰えることが嬉しかった。私を必要としてくれている、その気持ちがとても強く感じられたから。
「はい、確認できました。こちらの書類を持って、右側の通路を奥へ進んでください。通路が滑りやすくなっていますのでお気を付けて。……お次の方、三番窓口へどうぞ!」
軽く手を挙げて声をかければ、小さな子どもを抱っこした若い夫婦がやってくる。
「ようこそ、メルーナへ。身分を証明できるものの提示をお願いします」
ここでは世にいう〝受付嬢〟の仕事をしていて、過去にも同じ職場を経験していたため職務内容についての心配はなかった。主な心配ごとは、人間関係だ。
リディング法務庁舎の庶務課、資料保管室に引きこもって黙々と作業を行うような仕事ならば周囲との関係はあまり気にしなくてもいい。でも、〝受付嬢〟の仕事はそうはいかない。周囲の職員との連携が大事になる仕事だ。
幸いなことにメルーナの入国管理局にいる職員たちは皆優しく、すぐに仲間として受け入れて貰えてスムーズに仕事をこなすことができている。
ちょっとだけ、困ったこともあるにはあるのだけれど。
大通りから一本中に入ったところにあるコーヒースタンド。仕事が終わったあとでそこに寄り、キャラメル風味のコーヒーを買うのは、週に二回か三回。
甘くて温かい飲み物は、仕事を頑張る自分へのご褒美だ。
この店のコーヒーは、以前働いていたベルムート領で通ったコーヒースタンドのコーヒーを味が少し似ている気がする。売っているのは、似ても似つかない愛想のない中年女性だけれど。
コーヒースタンドが用意している背の高いテーブルを借りて、夕方の忙しない街並みを眺めながら温かいコーヒーを口に運ぶ。ベルムート領コルディフにあった入国管理業務をしていたときも、こんな風に仕事帰りにコーヒーを楽しんだな、と数年前のことを思い出しているとテーブルの向いに立つ人がいた。
「やあ、ジリアン嬢! 本日の業務も何事もなく終えられた様子でよかった」
パチーンとウインクをかました青年は、メルーナ法務庁舎に勤務しているハーゲン・ブロン司法官。私がメルーナの街へ派遣されてきてすぐ、このコーヒースタンドで顔を合わせるようになったチャラ……やや軽めの男性だ。
「ブロン司法官、お疲れ様です」
「……そろそろハーゲンと呼んでくださいよ、ジリアン嬢」
メルーナへやって来て一年と半年。ブロン司法官とはこのコーヒースタンドか、もう少し先にある大手ベーカリーがやっているサンドイッチ専門店のどちらかで顔を合わせる。
私と親しくなりたい、そんな気持ちが彼からは感じられる。当の本人もその気持ちを隠すつもりはないようで、ぐいぐいと距離を詰めてくるので……段々躱すのが難しくなってきているのだ。
「いえ、お名前で呼ぶような関係ではありませんので」
「そんなことありません。あなたはバセット東部長官のお嬢さんなのですから」
ニコリと微笑む笑顔はまるで俳優のようだ。美しく優しそうで、世にいう〝とろけそうな笑顔〟というやつ。ただ……空色の瞳には特別な感情なんてまったくないのが見てわかる。
「……そうおっしゃる若き司法官は大勢いらっしゃいますよ」
そう、私に近付いてくる司法関係の若い男性は彼だけではない、驚くことに結構いる。
聞いた話によると、この国の司法業界で出世コースに乗るためには中央か東部の法務庁に在籍していることが大事なのだという(どう大事なのかは私にはわからない)ことだ。
そのため書類上の関係とはいっても、現役の東部司法長官をしているセシル・バセットの娘である私に近付きたい若き司法官は大勢いるのだ。特に出世コースの最初の一歩である、中央と東部に籍がない北部、南部、西部の人間からしたら、私自身がパッとしない地味な女であっても出世の為の大事な駒だ、と思えるようだ。
「っ……そ、そうなんですか。因みにその司法官たちの名前を教えていただいても?」
他に自分と同じように私に近付いている男がいると知り、ブロン司法官は僅かに狼狽えた。自分と同じように考える人が他にいることくらい、簡単に想像がつくだろうに……私が華やかな見た目でないから余裕だと考えたんだろうか?
「バセット嬢、こちらにいらしたのか! ……って、おまえ、ハーゲン!」
「は……ドナート先輩? まさか、ジリアン嬢に近付いてる司法官って……」
「それはこちらの台詞だ。彼女はバセット長官のお嬢さんだ、おまえのような新米が近付いていいような女性ではない。立ち去れ」
「お言葉ですが、先輩になんの権利があって近付くなといわれるのですか!?」
二人の司法官はメルーナ法務局司法課に籍を置く先輩と後輩だ。そして、東部長官である義父の力がほしくて私に近付いている仲間であり、ライバル同士となっている……彼らの中では。
徐々に言い合う声が大きくなり、人の目が集まり始めている。
正直、こういう揉め事に私を巻き込まないでほしい。
義父の職業や立場から、娘という立場に立たされた私が生涯未婚というわけにはいかないだろうことは理解しているし、二十歳を幾つか過ぎた私が丁度適齢期に入ったこともあって周囲がそわそわし始めていることも分かってる。
でも、まだ……私はそういう気持ちにはなれない。
前世であるシオリの記憶と感情、それらはシオリのものであるとして私は頭の奥の方に置いた。そして、「心構えと生きる技術だけ使わせて貰う」として愛や恋といった記憶や感情には蓋をしておいたのだ。
けれど一年半前、私はその線を引いて蓋をしておいたはずのシオリの記憶や感情を溢れさせ、混乱し号泣した。
義母となったマリ部長から「前世と今世といっているけれど同じ魂なのだから、受け入れていい記憶も感情もあるんだよ。そんなに爆発させるまできっちり線引きして割り切る必要はないんじゃない? どこまで前世のことを今世に持ち込むかは、人それぞれなんだから」といわれた言葉を自分なりにかみ砕き、受け入れることで私は落ち着きを取り戻したのだ。
シオリはシオリ、私は私と思っているけれど、共有することにした記憶や感情は以前よりもずっと増えた。もう別のものとして扱うには難しいほど交じり合ってしまっている。
前世エノモトシオリの記憶と感情を合わせ持っているジリアン・バセット、それが今の私なのだ。
そう理解して納得はしているものの、男性と恋をして……という気持ちにはまだなれない。
私の中には、恋として終わっていない感情があるから。
「あの、お二人とも……喧嘩は止めてください」
今にも掴みかかり殴り合いになりそうな二人を止めようと手を伸ばす。けれど、「おとなしく立ち去らないか!」「先輩こそっ」と突き飛ばし合った二人が体勢を崩すのは、ほぼ同時だった。
「きゃあっ……」
私の悲鳴と一緒に周囲からも悲鳴があがった。
背の高いテーブルに司法官二人の体が当たり、大きな音をたてて倒れる。天板に乗っていたコーヒーも零れて地面に飛び散り、私もテーブルが倒れた勢いで体勢を大きく崩した。
このまま零れたコーヒーの上に倒れ込むのだろう、服の汚れと打撲を覚悟した……のだけれど、大きな腕に抱き寄せられて気が付けば誰かの腕の中にいた。
お読み下さりありがとうございます。
イイネ、ブックマーク、評価などの応援をして下さった皆様、本当にありがとうございます!!
皆様の応援がモチベーションとなっております。
ありがとうございます!
 




