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(33)シオリの気持ちとジリアンの気持ち 2

「バージェス司法官は、その、前世の記憶をお持ちなのですよね? それはシオリと男女の関係にあった、ハタナカアツシという男性の記憶ではないですか?」


 私が確認のために訊ねれば、「そうだ」と肯定の言葉が返ってきた。これで納得した。私が想像してレーム課長にお話しした前世での人間関係は、正解だったことになるだろう。


「それで、お話とはなんでしょう?」


「あのときの返事が、聞きたいんだ」


「あのとき? お返事?」


 バージェス司法官はコーヒーを半分ほど一気に飲むと、私を見つめた。


「あの事故が起きる前、俺は()()()結婚を申し込んだ。婚約指輪を贈って、結婚してほしいと……その返事が聞きたい」


 ああ、そうか。

 彼はずっと囚われているのだろう。


 恋人であるシオリに結婚を申し込み、その返事を貰うことなく彼女と死に別れてしまったという前世の記憶と辛い感情に。十五歳という多感な年齢のときに、一気に記憶を思い出したといっていたから……一層前世の気持ちにからめとられているに違いない。


 それらに囚われて、今世での一歩を踏み出せないほどに。


「……シオリは、ハタナカからの気持ちを嬉しく思っていました。もちろん、突然でしたから驚いていましたし、戸惑いもしていました。ですが、彼からの申し込みを嬉しく思い、受け入れるつもりでいました」


「! 本当、か……彼女は、汐里は……」


「はい」


 俯き両手で顔を覆い、バージェス司法官は大きく息を吐いた。


「そ、そうか……そうか……」


 断られるかもしれない可能性、シオリが目の前で儚くなってしまった辛い記憶が混じって、私の返事を聞くまでとても緊張したに違いない。


 けれど同時に本当にバージェス司法官がハタナカの記憶に囚われていることに私は気が付いた。


 彼は言った、『俺は()()()結婚を申し込んだ。婚約指輪を贈って結婚してほしいと……』と。


 私ジリアン・エヴァンスはバージェス司法官と男女の関係ではないし、指輪を贈って貰ってもいないし、プロポーズもされていない。


 プロポーズの話はハタナカアツシとエノモトシオリの話であって、アドルフ・バージェスとジリアン・エヴァンスの話ではない。


 私は手が震えるのを押さえながら少し冷めたフルーツティーを含み、口の中を湿らせた。


 私は今からバージェス司法官に嫌なことを言う。きっと彼は傷付くだろうし、嫌な気分にもなるだろう。そして、私の中にあるシオリの気持ちだって傷付く。

 それが分かっているから、口が渇いて仕方がない。


「……すまない、気持ちがぐちゃぐちゃになってしまって」


「いえ。その、落ち着かれましたでしょうか?」


「ああ、いや、……まだ完全に落ち着いたとまではいえないが、話しはできる」


 残りのコーヒーを飲み干すと、バージェス司法官はコーヒーのお代わりを注文した。すぐさま新しいコーヒーが運ばれてきて、サービスだという小さな花形のクッキーもやってくる。


 お互いに飲み物とクッキーを口にしてひといき入れると、私は居住まいを正した。


「それで、ジリアン……これからの話なのだが、俺は……」


「待ってください」


 私は敢えて強い口調で言葉を遮る。心臓が大きく鼓動して、凄く緊張して手と声が震えると同時に怖い。でも、言わなければ。


「あくまで、結婚の申し込みに喜び、申し込みを受けようと思ったのはエノモトシオリです。エノモトシオリに結婚を申し込んだのは、ハタナカアツシです」


「それは、そうだが……だが……」


「今のあなたはハタナカアツシではなくアドルフ・バージェスで、私はエノモトシオリではなくジリアン・エヴァンスです。あなた様と私の関係は、リディング法務庁の司法官と庶務課に派遣されていっとき働いていた期間派遣社員だったという、それだけの関係です」


「ジリアン!」


「落ち着いてください。あなた様は前世の感情に振り回されている状態なのです。落ち着いて、考えてみてください」


 バージェス司法官は言葉を飲み込み、椅子に座り直した。そして、ゆっくりと大きく息を吐く。


 口は良くないけれど根っこは真面目で落ち着いた性質の人だ、落ち着いて客観的に考えればすぐに理解できるだろう。


「我々の間にある関係は……以前私が貴族籍にあったときに近所に暮らし、アシュベリー侯爵家で開催された催しに一緒に参加したことがあり、私自身は全く認識しておりませんでしたが婚約していたことがある、というものです。その婚約も、なんらかの契約に基く政略でもなく、私たち自身が望んだわけではないものです」


「……そ、れは……」


 バージェス司法官は顔色を青くし、私の目を見た。その表情は悲しそうで辛そうで、こちらの胸も痛くなってくる。


 でも、この胸の痛みはシオリの気持ちがあるからだ。


 シオリはハタナカのことが好きだった、本当に心から愛していた。だから一緒にいたのだし、おかしな仕事の間中はハタナカの浮気を疑ったり、会いえないことを寂しく思ったり、不貞腐れたり、強がったり、自棄になったりと心の中は忙しくしていた。突然の結婚の申し込みは、驚きながらも喜んでいた。


 その記憶と感情を持つ相手とまた前世のように想い合いたい、前世ではかなわなかった幸せな時間を今度こそ掴みたいという……シオリの気持ちが、私の胸を苦しくさせる。


「シオリの気持ちはシオリのもの、今の私ジリアンのものでは……ありません」


 バージェス司法官にいっているはずなのに、いつの間にか自分で自分に言い聞かせているような気がする。シオリはシオリ、私は私だ。


「ハナタカの記憶と感情はハタナカのものであって、あなた様のものではありません」


 記憶についてははっきりと線引きができている。だって、前世と今世では生活基準が全くちがうから、混同しようがない。


 感情についても、以前はもっとはっきりシオリと私の間で境界線がしっかりしていたように思う。シオリの気持ちと私の気持ち、それは同じ魂を持っていても別人物のものだと。


 けれどシオリの人生の最後の瞬間までを思い出してから、記憶は大丈夫だったけれど感情については境界線があやふやになった気がしていた。なんというか、箱の中にぎゅうぎゅうに詰め込んでいたものが飛び出して来たような……抑えられていたものが一気に解き放たれたような感じだ。


 解き放たれた感情は私の気持ちのあちこちに広がって、じわじわと一体化してしまった気がする。紅茶にジャムを落として溶かし込むように、シオリの感情の一部は私の感情と一体化しているようなのだ。


「あなた様は、前世の記憶と感情に大きく引きずられていらっしゃるだけなのです。よく見て、考えてください。今の私は地味な容姿をした平民の派遣社員で、あなた様の隣に相応しい者ではありません」


「……」


 俯いて再び両手で顔を覆い、バージェス司法官はなにもいわずに固まった。きっと、私の言葉と自分自身の記憶とハタナカの記憶とを確認しているんだろう。


 私は震える手でフルーツティーを飲み、窓から夕からから夜になろうと色を変える街並みを眺めながらマージェス司法官を待った。


 記憶と感情の線引きは誰も手伝うことができない、自分自身でするしかないから。


 この無言の時間があってよかった。だって、私の中にあるシオリの記憶と感情も引いた線から溢れ出そうになってしまう。私自身も再度線引きを確認する時間だ。


「……そう、だな。そういわれたら、そうだ。キミが俺に相応しいとかそういう話ではない、それ以前の話だ」


 三十分ほどの時間が流れ、オレンジ色だった夕日が沈み紫色へと変わりはじめたころにバージェス司法官は顔を覆っていた両手を外し、悲し気に笑った。


「キミのいうとおりだ。俺自身はキミに結婚の申し込みなんてしていないし、そもそも恋人になっていない。ただ、前世の記憶と感情を今の自分のものだと思い、思い通りにならないキミにイラついてそれをぶつけていた、と……そういうことだな」


「あのっ……」


「俺は酷い物言いだったし、酷い態度だった。そんな俺をキミが好意的に思うわけがない、ましてや愛するなんてな」


 ズキッと大きく胸が痛んだ。


 愛するわけがない、その言葉に今まで経験したことがないほど胸が痛くなり、息が詰まった。これはシオリの感情であって、私の感情ではないのに……


「すまない、勘違いを……していたんだな。キミにいわれるまで、それに気付かないなんて……申し訳ないことをした。食事時に変に絡んだり、ホール元事務官補佐のことに巻き込んだりしたことも、元を正せば俺の勘違いから始まっているわけだ」


 バージェス司法官は私に深く頭を下げた。彼のダークブラウンの髪がサラリと流れて落ちる。


「申し訳なかった」


「……いえ。多感な年頃のときに全てを思い出したのですから、仕方がなかったこと、だと思います。ホール子爵令嬢……いえ、セレストさんのことはバージェス司法官の責任ではありませんから、お気になさらず」


「……本当に、今まですまなかった。ありがとう」


 バージェス司法官は席を立つと「バセット夫妻の家まで送って行きたかったんだが、できそうにない。すまない、気を付けて夫妻の家に行ってほしい」そういって、足早にカフェから出て行った。


 私はひとり、カフェに残される。


 ひとりになった瞬間、私の目からは涙が零れた。滂沱、という言葉が相応しいほどたくさん。


 シオリの感情はちゃんと線引きをしてあるはずなのに、胸の奥に押し込んだはずなのに。どうして弾けるように出て来ちゃうんだろう? どうしてこんなにジリアンである私がこんなに苦しくて悲しいんだろう? 


 そっとお店のロゴの入った大きめの蒸しタオルが差し入れられるほど……私は一人きりになってから三十分ほど席から立つことも涙を止めることもできず、ただただ泣き続けた。


 おかげでマリ部長の家にいく約束に、大遅刻することになってしまった。


「ジリアン! 遅いから心配したよって……なに、どうしたのその顔!? どうしてそんなに泣いてるの! なにかあったの!?」


 部屋の窓から私が歩いてくるのが見えた、と迎えに降りて来てくれたマリ部長にエントランスで顔を合わせた瞬間悲鳴のような声が響いた。


 私の顔が酷いこと(いっぱい泣いたせいで目が腫れあがり、声は鼻声になり、化粧はドロドロに落ちていた)になっていたから、マリ部長の悲鳴を聞いて駆け付けたセシルさんまで巻き込んで、エントランスという場で大騒ぎになってしまったことは本当に予定外だ。


 二人に気遣われ、甘やかされ、私は再び号泣した。


 マリ部長たちがいうには、号泣は私の心が爆発してしまったのだろうとのことだ。


 実の父と母の離婚、父の死、その後に発生した爵位返還に関する諸々の手続き、伸し掛かる莫大な借金……遡れば、貴族学校に入学してから繰り返された貴族令嬢たちからのイジメに至るまで、年若いジリアン・エヴァンスという少女が直面した物は大きかった。


 辛くて、苦しくて、重たくて、ストレスに感じられるものばかり。傷つき、泣いて大人に縋っても問題なかったことを、泣き言ひとついわずに全て自分で乗り越え、片付けた……それは立派だったと誰もが褒めて認めてくれる。


 けれど、私の心が傷つきストレスを感じて疲弊していなかったわけじゃない……私自身がそれに気付いてなかったのだとしても。


 私はシオリであったときの記憶を全て思い出し、当時の恋心を含めた感情を切り捨てようとした。だって、あれはシオリの心だから。


 小さなダンボール箱に荷物を詰め込んでいけば、いつか許容量を超えて箱は壊れて分解する。それと同じことが私の中で起きた……らしい。


 元々今世で起きた辛くて苦しい気持ちを強引にしまい込んでいたところへ、前世の辛い気持ちを無理やり詰め込んで、さらに自分から気持ちを切り捨て前世の最愛を傷つけるようなことをした。その結果、私の心は爆発し……中に入っていた全ての気持ちが溢れ出て、どうにもできずに〝泣く〟という結果になったのだ、と。


 私はマリ部長に縋って泣いて泣いて、頭の中が真っ白になるまで泣き続けた。


 辛かったこと、苦しかったこと、寂しかったこと、悲しかったこと。溜め込んだマイナス感情を全て吐き出しきるまで。


 そして、私は「寂しいのなら家族になろう、家族なら辛かったり、苦しかったり、悲しかったら頼ってもいい。甘えていいのだからね」という言葉を何度も何度も、呪文のように聞かされた。


 結果、私は正式にバゼット夫妻の娘、ジリアン・バゼットになっていた。

お読み下さりありがとうございます。

イイネ、ブックマーク、評価などの応援をして下さった皆様、ありがとうございます。

皆様の応援が励みになっております。

今回は内容的に上手く区切ることができず、通常よりも長い文章投稿になりまして……すみませんです。

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