(32)シオリの気持ちとジリアンの気持ち 1
「二年間、ありがとうございました」
リグリー課長に挨拶をして、続けて庶務課にいる職員たちにも挨拶をする。
今日、無事に私は〝リディング法務庁庶務課〟での派遣業務を終えた。仕事内容であった書類の更新作業も全て終わらせて円満に業務は完了したといっていいと思う。
リグリー課長も庶務課の人たちも笑顔で「お疲れ様」や「ありがとう」という言葉をかけてくれて、可愛らしく包装された有名菓子店のクッキー缶をプレゼントされた。
この職場に派遣された二年前は、もっと彼らとの関係は希薄なものだったと思う。仕事でも関わることもなく、二年という限られた期間しかいないということもあって、ほとんどの人が私への関心などなかった。
仕事で関わることはずっとなかったけれど、それでも毎日同じ場所に通って仕事をしていれば徐々に挨拶を交わし、軽い会話くらいはするようになった。それでも、ここでは最後まで打ち解けた雰囲気になることはなかった。
仕事を終えるときは『もっとここで働きたかったな』と思うか、『こんなものか』と思うかのどちらかで、今回は後者だったという話だ。
仕事を期限内に全て終わらせた、私はその自信をもって再度頭を下げ、職場を後にする。
広い廊下を進みリディング法務庁舎の正面玄関から出ると、真正面に見えるオレンジ色の夕日がとても眩しい。
強めに吹く風に吹かれながら、私は片手で夕日を遮るように顔に影を作りバルフ商会に向かって歩き出した。
***
無事に今回の派遣業務終了したことをバルフ商会に報告をして、夜十九時過ぎにマリ部長の家に夕食を食べに行く、そう約束をして部長室を出る。
その足でバルフ商会一階にある金融部に向かい、借金の返済手続きをとった。先日、子爵家から私の口座に慰謝料が入金されたのだ。
「はい、入金確認できました。……ジリアン、やったね! 完済だよ!」
「ありがとうございます」
金融部の職員から〝完済証明書〟を受け取ると、ホッと大きな息が漏れた。
残りの借金を後二年か三年かけて返済する予定だったのだけれど、ここで完済できることは嬉しいというよりは安堵する気持ちの方が強い。重たい荷物を下ろして、大きく息ができるようになったような……そんな気持ちだ。
これからはお給料から〝借金返済〟としてごっそりお金を天引きされることはないし、万が一働けなくなってお給料が入ってこずに借金が返せないかも、と不安にかられることもなくなるのだ。
「本当に、ありがとうございます」
私はもう一度そう言って、頭を下げる。金融部の職員たちから「おめでとう」や「お疲れ様」といった労いの言葉が飛んできて、私はしばらく頭を下げたままその言葉を受け止めていた。
これで全てが終わった。
私に伸し掛かっていた〝貴族学校の学費〟と〝父から受け継いだ負の遺産〟という家の借金は完済して終わった。前世の記憶と感情に振り回された傷害事件に関係することも、慰謝料とお見舞金の支払いと加害者に言い渡された刑が執行したことで全て解決したのだ。
私にケガを負わせたホール元事務官補佐は裁判にかけられ、刑事罰を言い渡されている。南部にある女子更生施設への入所が確定して、先日移送されたとか。入所期間は未定で、所長や関係者による委員会が「出所してもよし」と認定するまで十年でも二十年でも、もしかすると一生入所するとか。
刑務施設ではなく更生施設入りになったのは彼女がまだ年若く、初犯であることから〝よく反省して生まれ変わってほしい〟という社会的配慮があったかららしい。少々甘い刑罰のようにも最初は思ったけれど、彼女の入った更生施設はとても厳しいと有名だと聞いた。
早寝早起き、食事は一日二回・主食と汁物のみという粗食、一年中休日もなく(お正月や国王陛下のお誕生日などの祝日もお休みではないそうだ)手に職を付けるための作業訓練と心を育てる道徳の授業が行われ、ボランティア活動(公園の清掃から介護施設でのお手伝い、各種炊き出しなど)も行われる。
清く正しい生活習慣と人としての心を強制的に身に着けさせる施設であり、〝わがまま娘矯正施設〟と影では言われているとも聞いた。
自分の意見が通らないと我慢ならないホールさんには、とても厳しく苦しい居場所になると簡単に想像ができたし、しかもいつ出られるのか分からない状況と聞けば……甘い刑罰という気持ちはなくなった。
そして、もし数年で施設から出たとしたら……そのあとのこともすでに決まっているらしいけれど、そこまで聞く気にはならなかった。
私は金融部を後にして、従業員出入口に向かって足を進める。
次の仕事の話は明日の朝で、どんな仕事が選ばれているのかはわからないけど……二、三日は休日になるだろう。マリ部長はまた貴族絡みの仕事をもってくるんだろうか?
「……もう、帰ってしまったのかと思った」
「え?」
バルフ商会の建物を出たところで声をかけられたのと同時に、手首を掴まれた。
「……バージェス司法官」
「入院している間に前世の記憶を思い出していた、と聞いたぞ。なぜ連絡してこないんだ、そちらの記憶が戻ったら話がしたいといってあったはずだ」
「あ、ああ……まあ、そうなんですけれど」
シオリの記憶が戻ったことは黙っておけば、法務庁舎への派遣期間さえ過ぎてしまえば、もう彼と関わることもなくそのまま終わると思っていたのに……そううまくはいかないようだった。
私の中にあるシオリの感情が私の中で大きくなろうとしている。
でも、私はジリアンだ! と強く念じて感情を抑え込む。
「話がしたい」
「……十九時に約束があるので、それまでならば」
「約束?」
「私の上司であり、後見人でもあるマリ・バゼット部長と旦那様のお宅へお邪魔する約束をしています」
バージェス司法官は〝バセット〟という苗字を聞いて顔を顰めたけれど、すぐに「では今日は時間が許すまでで」といって私を近くのカフェへと連れていかれることになった。
カフェは裕福な平民から下級貴族を客層にしているようで、豪華過ぎない内装や家具でまとめられていた。全てのテーブル席が個室か半個室という作りになっている。こんなオシャレなカフェに来るのは今世では初めての経験だ。
案内されたのは半個室のテーブル席で、防音設備があるのだという。貴族が使うお店は、ふらっと入ってお茶とケーキを楽しむ場であっても色々あるらしい。
夕食が控えているので、デザートや軽食は遠慮してお茶だけいただく。
こんなオシャレなカフェにくることなんてもうないだろうから、ケーキを注文しないのはもったいない気がするけれど……きっとセシルさんが美味しい夕食をたっぷり用意してくれているだろうと思うと、お腹をいっぱいにすることはできない。
「それで、改めて聞くが……前世の記憶を思い出したというのは本当のことか?」
「はい、シオリが命を落とすまでのことを夢にみました」
「……そうか」
バージェス司法官はそういって俯き、口を引き結ぶ。あの事故の記憶を思い出しているのだろう、とても辛そうだ。
お読み下さりありがとうございます。
イイネ、ブックマークなどの応援をして下さった皆様、誠にありがとうございます!!
お蔭さまで100,000PVを越えておりました……大勢の皆様に見ていただけたことに感謝です。
最後までお付き合いいただけますと嬉しいです、よろしくお願いいたします。
 




