(30)前世と今世
「……そういう、ことかぁ」
目が覚めたとき、自然に声が漏れた。それと同時に大量の涙が目尻から流れ落ちる。
私の中は、私のものではない感情でいっぱいだ。突然の死や全てを失ってしまった悲しみ、怒り、ハタナカへの未練、家族への愛情、残っている仕事の心配など……辛かったり苦しかったり不安だったりといった負の感情ばかり。
その感情はとても強くて、まるで私自身のものだと勘違いしてしまいそうだ。だって、本当に辛くて悲しい。シオリは事故に巻き込まれて突然死んだのだ、行き場のないマイナス感情を抱くのも仕方がないことだと……落ち着くのをじっと待つ。
事故のときに一緒にいたハタナカがどうなったのかはわからない。シオリが必死に突き飛ばして迫りくるトラックから守ろうとしたのだから、せめて彼の命は助かっていてもらいたい。
そして、なんとなく……根拠はないのだけど、「きっとそうなんだろうなぁ」と思った。
バージェス司法官も美少女婚活戦士ホール事務官補佐も、前世の記憶をもっている。それ自体は珍しいことでもなんでもないけれど、私の前世であるシオリと関係があった人の記憶を持っているのだ。
前世で関りを持っていた相手と出会ったとき、その相手と以前と同じような感情を持つ人は多いと聞く。親子、兄弟、恋人、夫婦、親友といった深い関係性があればあるほど、その感情に引き摺られる。
それが悪いことだとは私も思わないし、記憶のことを踏まえて改めて恋に落ちる人もいれば親しい友人関係になったり、親戚的な関係になったりする人たちだっているのを知ってる。
ハタナカにプロポーズまがいなことをされて(正式に〝結婚してほしい〟といわれたわけじゃないので、プロポーズだとは認めない!)約束の指輪を贈られていたシオリ。突然のことに驚いて、混乱はしていたけれど……シオリはハタナカの気持ちが嬉しかったし、プロポーズだって受けるつもりでいたのはわかる。
バージェス司法官は、恐らくハタナカアツシの記憶を持っているのだ。
彼がいつ記憶を取り戻したのかは知らないけど、ハタナカの記憶を持っているバージェス司法官がシオリの記憶を持つ自分に近付いてきたのも納得できる。ずっと一緒にいたいと思って、プロポーズもどきなことをして、その返事を正式に貰う前に亡くしてしまった相手、シオリと同じ魂を持つ私。気持ちや感情が引きずられるのも仕方がないことだ。
そしてバージェス司法官に纏わりついている法務庁舎で働いているセレスト・ホール事務官補佐は、あの事故を引き起こしたセイラとかいう名前の女の子の記憶を持っていると思われる。
だって、行動パターンが全く同じだから。
……自分の気持ちが最優先で、自分の希望が叶えられないことが我慢できなくて、周囲の人間を傷つけて騒ぎを平気で起こしてしまう。ホール事務官補佐がバージェス司法官や私に前世の記憶があるとわかっていたのかどうかはわからないけれど、彼女がバージェス司法官に対して強く執着していたのも……やはり前世の感情と今世の感情が混ざり合った結果なのだと思う。
前世の記憶と感情、今世の記憶と感情。
どう付き合うのが正解なのか、私にはわからない。
正解なんてないのかもしれない、皆折り合いをつけて生活して、人間関係を紡いでいるのだから。
零れる涙を強引に拭い、そのまま左側の額に触れれば、医療用のガーゼらしきものが指に触れた。ズキッと一瞬だけど痛みが走る。
「いたた……」
ゆっくりと体を起こせば、病院の個室にいることが確認できた。白い壁、白い作り付けの家具、ひとり用のベッド、見舞客用の折り畳み椅子が二脚あるだけのシンプルな病室だ。
私はナースコールボタンを押して、看護師を呼ぶ。すぐに病室に看護師と医師がやって来て、軽い問診のあとで「頭部に衝撃を受けていますから、検査を」といわれて精密検査を受けた。結果が出るまで二日ほど入院だというので、入院手続きを済ませて病室でおとなしくしていると来客があった。
「お話を伺いたく参上しました、リディング法務庁司法課課長ベルンハルト・レームと申します。こちらは私付きの事務官で」
「エルゼ・リントナーでございます」
リディング法務庁舎からやってきたというふたりはそういって軽く頭を下げた。
「……ジリアン・エヴァンスでございます。現在はリディング法務庁庶務課に派遣されている、派遣社員です」
「存じております。我々は事件の聞き取り調査に参りましたが、もし頭痛がしたり気分が悪くなったりした場合はすぐに教えてください」
「はい」
差し出された二枚の名刺を改めて確認する。司法課課長? え? ん? ウルフスタン課長代理の上司の人ではないの? どうしてこんな偉い人が小さな傷害事件の被害者である私の聞き取り調査にきてるの? 普通なら新人司法官の仕事じゃないの?
私がぐるぐる考えているうちに、二人は「テーブルお借りします」といって椅子も並べて聞き取り調査の準備を整えた。
「さて、ジリアンさんこの度は酷い目に合われましたね。二日も目を覚まさなかったので心配しましたよ。あ、あなたに暴力を振るった犯人、セレスト・ホールはすでに捕らえられていますから安心してください」
「……は、はい」
優しく微笑むレーム課長は淡い金色の髪に青灰色の瞳の四十代後半くらいだろう、イケオジと呼ぶのに相応しい人。リントナー事務官は三十代最初くらいだろうか、いかにも〝仕事できます〟というカッコイイ系の女性事務官だ。
「ジリアンさん、加害女性のことはご存知でしたか? あなたから見た彼女との関係を教えてください」
「彼女はリディング法務庁の事務官補佐、セレスト・ホールさんです。仕事での関りは一切なく、顔を知っているという程度の関係と認識しております。いつだったか、バージェス司法官と私の関係について誤解をされまして、会話を交わしたことがありますが、それだけです」
フムフムとレーム課長は頷き、リントナー事務官は流れるような美しい文字で会話を記録していく。テーブルの上には会話を録音する魔道具も置かれているけれど、大切なところは文字で記録しておくのだろうか?
「バージェス司法官とジリアンさんの関係は?」
「知り合い、という関係です。仕事での関りはございませんので」
「貴族学校で同級生だったとか?」
「あの方がアドルフ・クレマー子爵令息でいらっしゃった頃は貴族学校の同級生であり、顔を知っているという関係でした。婚約していた、らしいのですが……私はそのことをつい最近まで知りませんでした……その、父からなにも聞いていませんでしたので。私が貴族学校を辞めてからずっとお会いすることはありませんでしたし、バージェス姓に変わっていることも存じませんでした。……正直なところ、同一人物だと思ってもいませんでした」
「……なるほど。加害女性が前世の記憶について供述しているのですが、ジリアンさんは前世の記憶を持っていらっしゃいますか?」
「はい。少しずつ前世のことを夢に見る形で思い出しています」
「一気に記憶を思い出すタイプではなく、少しずつ思い出すタイプですか」
首を縦に振り、先ほど全てを思い出したようだと告白した。
「では……加害女性とあなたの前世での関係は?」
「私の目から見た関係ですが、ほとんど無関係です。彼女は前世で私がお付き合いしていた男性に付き纏っていた女性、ではないかと思います。ちなみに、バージェス司法官は前世で私がお付き合いをしていた男性の記憶をもっておられるのではないかと」
「なるほど。つまり、前世での関係を再び構築しようとした結果、あなたが邪魔だと感じた加害女性が暴力に訴えた、ということでしょうか」
「はい。おそらく彼女は前世の感情に引っ張られていらっしゃる、のではないかと」
「ああ、なるほどね。前世の記憶と感情を持つ方の多くは、その想いに引かれてしまうといいますからね」
レーム課長は腕を組んで大きく首を縦に振り、リントナー事務官も頷いている。
雑談として聞いた話によると、前世の記憶や感情に引っ張られてしまいトラブルを起こす人は少なくないとのことだ。
前世の記憶があるまま今世を生きるというのも、よい事ばかりじゃない。技術や知識、考え方など前世の記憶に助けられることも多いけれど……それに振り回されることだってある。
私は今までシオリはシオリ、ジリアンはジリアンだと区別してきた。前世の記憶や感情についても同じだとも。全てを思い出しても、別物として扱うのだと考えていた。
けれど……シオリが生きて亡くなるまでを実際に思い出して、彼女の感情が私の中で大きく膨らんでいることを、その感情に引き摺られそうになっていることを認めないわけにはいかなくなっていた。
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