(01)貴族じゃなくなった日
人の魂は繰り返す。
産まれて生きて死んで、また産まれて生きて死んで……魂は何度もそれを繰り返す。
それは初等学校に通う前の子どもでも知っていることだ。
だって、今世に生まれる前の記憶、分かりやすく言えば〝前世の記憶〟を持って生まれてくる人が大勢いるから。
十人集まれば、半分近くは〝前世の記憶〟を大なり小なり持っている。
いつどのように思い出したのか、どれだけ鮮明に記憶を持っているか、どれだけ思い出しているかは人それぞれ。前世で生きた世界も人それぞれだ、化学が発展した世界だったり魔法が発展した世界、錬金術が全てである世界であったりと様々。
〝前世の記憶〟には様々な形があるけれど、前世の記憶を持っている人間は珍しくない。だから〝前世の記憶〟を持っているからと言って、特別な存在になれる人はほんの僅かだ。
高度な医療技術や農業技術、建築技術、調薬技術などの特別な技術を持っているとか、魔法が使えるとか、石ころを黄金に代える錬金術が使えるとか……そういう特殊な技術や知識を持っている人だけが特別なのだ。
だから一般市民として暮らした程度の〝前世の記憶〟持ちなど、相手にもされない。
一応、国に〝前世の記憶〟がありますと報告する義務があるので、私は自分に自分以外の記憶があることに気が付いた十歳のとき、その旨を役所へ届け出た。
でも、役所の担当者は「あ、そうですか」と言うだけだった。それだけ〝前世の記憶〟を持つ人間が多いということなのだろう。
言われるがままアンケート方式の書類に記入をし、それを確認した後で担当者は「ありがとうございました。確かに受領しました」とひと言述べ……私の書いた書類を確認した後【重要レベル度D】というスタンプをドンッと押して、終わった。
後から聞いた話によると、【重要度レベル】とは〝前世の記憶〟の中でも、国にとって重要かつ有益な記憶を持っているかどうかを判断するもので、特S、S、特A、Aと下がっていって一番下にランクになる「ぶっちゃけどうでもいいけど、前世の記憶はあるらしい」というレベルがDであるそうだ。
医療技術や錬金術、魔法技術の記憶を持つ人が〝特S〟レベル、私のように一般市民の記憶を持つ人は〝D〟だ。圧倒的に〝D〟の人が多いというから、別に悔しくもなんともない。逆に〝特S〟ランクの記憶などを持っていたら、あっという間に国に囲われて自由など全くない生活が待っていることだろう。
十歳以降、夢という形で不定期に少しずつ〝前世の記憶〟を思い出す私は、年齢の割に大人びた考え方を持ち、それ相応の考え方と物言いになった。けれどそれだけだ。〝前世の記憶〟は私に特別な恩恵など与えてはくれなかった。まあ、世の中なんてこんなものだ、と子どもの頃から分からせてくれたくらい。
でも……私にとってはそれが大切だったのだ。
それがなかったら、今頃私は野垂れ死んで公共の無縁墓地で永遠の眠りについていた可能性が高い。
私の中にある〝前世の記憶は〟特別ではないけれど、私が平民階級の一般市民として一人で生きていく心構えをしっかりと持たせてくれた。
社会に出て働くこと、一人で暮らして炊事や家事などを自分の手で行うことなんて、貴族のご令嬢のままだったら思いもしなかったし、出来もしなかっただろう。そういう意味では、前世のことを思いだせてよかった。お陰で私はこの先、生きていけそうだ。
***
書類の一番下にある署名欄にジリアン・アディントンと自分の名前を書く。
「はい、確かに。後はこちらで処理をして終わりです。アディントン男爵家は領地がありませんでしたので、これにて爵位は国に返還されることになります」
曾祖父が金で買ったという爵位は、数枚の書類に署名するだけであっという間に国に返されてしまった。きっと手に入れるときは沢山のお金を払って、根回しを沢山して、書類をいっぱい作って提出して何度も審査を受けて、時間とお金がかかって大変だっただろうに。
役所で私を担当してくれた眼鏡のお役人は爵位返還に必要な書類を纏めて、机の上でトントンと整えた。そして、横に置いてあった新たな書類を私の前に差し出す。
「では引き続き、新たな戸籍作成を致します。こちらに署名を、新しい苗字でお願いします」
「新しい、苗字……」
この国では平民と呼ばれる一般階級でもファミリーネームを持つ。生家であるアディントン男爵家は無くなってしまったので、私は新しい苗字を名乗ることになる。
「新しく戸籍を作りますから、自由に決めて下さって大丈夫です。親戚の苗字を名乗ることも多いのですが……お嬢さんご家族や親戚は?」
「おりません」
祖父にも父にも兄弟はなく、祖母は随分前に亡くなって生家とは絶縁し、私の母は数年前に父と離縁し弟を連れて出て行ってそれきりだ。
母は父と別れたあと金持ちの商人と再婚した。
一年ほど前に大通りを歩いていたとき、大きな店の前で弟とほぼ同じ顔をしている商人を見かけた。母が「あなたはこの家の子だから」と、私を連れて行かなかった理由を理解したことはまだ記憶に新しい。
弟の顔がやたら整っていて、家族で誰も持っていなかった輝く金髪に青い目をしていた時点で察するべきだったのだ。
「……あの」
「はい?」
「一般階級の中で多い苗字はなんですか?」
そう尋ねると、担当者は嫌な顔一つせず「ええと……」と言いながら分厚いファイルを捲って確認してくれた。ペラペラと紙が捲れる音がしばらく続き、彼は眼鏡をぐいっと押し上げると言った。
「我が国で多い苗字はスミス、ジョンソン、ブラウンなどいくつかありますが……この辺りはいかがでしょう?」
担当者はメモ用紙に幾つか家名を書き上げてくれた。曰く、多すぎないけれどそこそこ数のある家名らしい。
「じゃあ、これにします」
私は新しい身分と戸籍申請書に自分の名前と、あげてくれた家名の一つを書いた。
今日からこれが私の新しい名前だ。
「……はい、こちらも確かに。僕の担当は以上になります、ありがとうございました。他の担当者が……ああ、来ました来ました。では、失礼します」
「ありがとうございました」
眼鏡のお役人は書類を綺麗に纏めると、席を立った。そして、その席に別のお役人がすぐ座る。
薄い青色の目は書類と私を睨むように見て、ハァと大きなため息をついた。
「ジリアン・アディントン男爵令嬢を改め、平民ジリアン・エヴァンスだな」
「はい」
わざわざ貴族であったときの名前を言うなんて、この担当者は性格が悪い。
「貴族学校から貴様の事務官登用への推薦状が提出されている、アシュベリー侯爵家の若君からも個人的に推薦状が出されている」
貴族の子どもなら全員が貴族学校へ入学し、勉強することがこの国では決められている。私は貴族でなくなることが分かったので、退学届けを学校に提出し受理されたのだ。
私の学校での成績は入学してからずっと悪くなかった。
成績順で分けられるクラスは一番上のAクラスに在籍していて、直近のテストでも学年十位だった。それを惜しんで私の就職先として貴族学校側が文官の下に付く、事務官に推薦してくれることになっていたのだが、本当に推薦してくれていたことが嬉しい。
文官になるためには登用試験を受けて合格しなくてはいけなくて、変な時期に退学した私は当然試験が受けられない。そのため、事務官として働きながら次の登用試験を待って受けるようにとも言われていたのだ。
「学校からの推薦は未だしも、アシュベリー侯爵令息からの推薦状なんて……どんな汚い手を使って手に入れたんだ?」
「……え?」
担当者はゴミか害虫でも見るような顔で私を見下ろした。
「そうだろう? おまえは成金の男爵令嬢だった、歴史あるアシュベリー侯爵家と繋がりなどあるわけがない。学校で余程汚く、卑怯な手段を使って近付いて推薦状をもぎ取ったんだろう。そうだと決まっている」
ドンッと大きな音を立て、一枚の書類がテーブルに叩きつけられる。
その書類には〝事務官登用・不採用〟のスタンプがすでに押されていた。
「え?」
「おまえのような奴が事務官になどなれるわけがない、当然文官にもな! おまえの成績が仕組まれたものだということも分かっている、生徒の複数から証言も上がっているからな。公爵家の姫君や伯爵令嬢たちが口を揃えて証言して下さったよ。全く、学院もアシュベリー侯爵家も騙すなんて……話以上に酷い女だな」
担当者は机の上にペンを転がし、不採用を承諾する書類に署名しろと続けた。
「俺の前世でも、おまえと同じことをした女がいた。その女も男爵家の庶子だった。大勢の高位貴族の令息をたぶらかし、家の契約である婚約は多く破棄させた悪女というしかない女。おまえはその女と同じだ!」
「……は?」
意味がわからない。
目の前にいる担当者が前世で体験したことをあれこれいわれても、私とは全く関係がないとしか言いようがないのに。
「その女は前世での私の妹の縁談も壊し、妹は失意の上持病を悪化させて……療養所を兼ねた修道院に入ってしまった。そこで一人寂しく病死していった……おまえのような悪女のせいでな! 私は、おまえのような女が許せない! 可能なら今ここで始末してしまいたいくらいだっ」
「……」
どうやら、私は予定していた就職先を失ったらしい。
貴族令嬢方からの訳が分からない嫌がらせと、私とは全く関係のない担当者の前世の記憶によって。
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