第0043撃「淫語を叫ばずにはいられない中2男子!!」の巻
平成3年1991年、3月、中学2年の3学期。
小生は持病のトゥレット症候群や、
その症状を抑えるために飲んでいた向精神薬による眼球上転の副作用のため、
体調の良いときに通学する状況でしたが、
通学した日は放課後に必ず写真部の部室に顔を出さねば、
その日を生きた感じになれませんでした。
部室の暗室に入ると、
一学年上の3年生の中本副部長(仮名)も来てました。
そして、小生と同学年で同じ組の女子生徒の松沢さん(仮名)が部室にいるのでした。
小生の所属している写真部の部室は外部には極力秘密にしていましたが、
菓子パンやお菓子を食べたり、漫画を読んだり或いは描いたり、
といった非常にゆる〜い部活でした。
その加減が小生の性に合っていたのですが、
なにかがきっかけで松沢さんにもそのゆるさを知られたのか、
彼女も日々部室に出入りするようになったのでした。
中本先輩は「副部長」というのは名ばかりで、
部室に来ては万年エロ談義に花を咲かすのでした。
そして、あろうことか、
松沢さんが中本先輩の会話のツボにハマり、
小生の幼なじみであった元橋ゆきみちゃん(仮名)まで連れてきて、
中本のエロ話を面白がるのでした。
小生はゆきみちゃんに目を合わせることが出来ませんでした。
松沢さんとゆきみちゃんのいるなか、中本先輩が小生に訊きました。
「夢野、女のアソコがどうなっているか知ってるか?」
小生は、わからないと答えました。
中本先輩が追撃してくる。
「赤ちゃん産まれてくるところはどこかわかるやろ?」
松沢さんとゆきみちゃんがニタニタと笑いながらこちらを注目している。
小生は"ウンコの出る穴"と答えました。
小生以外、爆笑しました。
松沢さんは「夢野、知らんのやー」と驚きました。
実際、赤ちゃんは肛門から産むもので、
女性の股間は何もないのっぺらぼうだと思っていたのです。
後日、悪友でもあった多坂(仮名)との会話で、
女子のカラダがどうなっているのかについて、
一旦知り始めた性欲の勢いはとどまることを知らず、
高度経済成長期の日本のような怒涛の勢いで、
性知識を吸収していったのでした。
女性の股間には性器というものがあり、
その女性器のことを俗称「オ●コ」と呼ぶことも知ったのでした。
小生の患うトゥレット症候群の病態の一つに汚言症というのがあります。
汚言症とは、本人の意思とは関係なく、
不適切な言葉や卑猥な言葉を発してしまう症状です。
[特徴]
・本人の意志に反して出る
汚言症の発話は、単なる悪口や罵倒とは異なり、自分で制御しづらいものです。
・特定の言葉が繰り返されることが多い
ある特定の汚言が頻繁に出ることがあります。
・社会的に不適切な発話が中心
公共の場や対人関係で問題となることが多いです。
・トゥレット症候群との関連
トゥレット症候群の患者の一部(約10〜20%)に見られる症状です。
ただし、トゥレット症候群=汚言症ではなく、
すべての患者に汚言症が現れるわけではありません。
[原因]
汚言症は脳の基底核や前頭葉の機能異常と関連していると考えられています。
・ドーパミン神経の過活動
・遺伝的要因(家族内に同様の症状を持つ人がいることがある)
・発達障害との関連(ADHDや強迫性障害を併発することが多い)
翌日以降、松沢さんが近くにいると、つい、
知りたてホヤホヤの淫語を呟かずにはおれなくなりました。
言いたくないのに、言わないことには、
アタマの思考が次に進めないのです。
松沢さんのそばで「オ、オ●、オ●、オ●コ……」
と音声チックが口をついて出ます。
何回か声に出したところで、
松沢さんがビクッとこちらを振りかえり、
「夢野、ほんまは知ってるんちゃうん」
と言って笑いました。
小生は顔を真っ赤にして慌ててただただ誤魔化すことに懸命でした。
多坂の片想いの子が和泉さん(仮名)であることは彼から聞いていました。
和泉さんもなかなか美人です。
小生まで、和泉さんイイなあ、と感じることがたびたびありました。
ある日の授業後の休憩時間です。
汚言症の衝動が突発しました。
「和泉の、オ●コ……」
我慢出来ずに声を発してしまいました。
その瞬間、空間が氷結したのでした。
和泉さんがチラリと小生に向けた視線が、
さも卑しい下水の底を蠢く蟲を一瞥したかのように軽蔑に満ちており、
音もなくみるみる百メートルほど波が引いたように感じました。
横にいた多坂も突然のことにフォローのなすすべがないといった様子で、
「お、おまえなあ〜」と、
口を半笑いにして止まってました。
そこへ滝中(仮名)が面白がるように、
「おう! 夢野! よう言うたっ!」
と割り込んできたことは、
氷漬けになった時間が解凍したようで、
ある意味救いとなりました。
小生は自宅でも淫語を大声で叫ぶようになりました。
「言え言え、もっと言え!もっと叫んで恥晒しになってしもたらええわ!」
と母が怒りだします。
母から思いやりもなくそう言われると、
"よし、もっと叫んでやろうじゃないか"
と小生の汚言チックに拍車がかかる。
ベランダのガラス戸を閉めきっていても叫び声が外の通りに漏れ、
向かいの郵便局に出入りする客がそのたびに振りかえり、
どこの家が淫語を叫んでるんや、と不思議そうに眺めるのでした。
ある同級生の男子から訊かれました。
「なんかな、おまえの家のあたりを通ったときオ●コって聞こえるんやけど、
誰か叫んでる奴おらへんか?」
小生は間髪入れず「おらへんな!」と即答しました。
その同級生がニヤニヤしながら、
「おまえとちゃうんか!?」と言ったときは、
思わず冷や汗が流れました。
母は「アァァーッ!おまえは悪魔や!悪魔の子や!!」
と両手で頭をかかえていました。
〈もはや、これまでか。
我が夢野一家は街の恥であるから、
すぐに荷物まとめて隠れるようにして、
山を越え見知らぬ土地へ逃げ、
肩身を狭くして暮らすほかないのか……〉
そして、ようやく春の到来を感じさせる暖かな陽射しが照り始めました。
悪友の甲村(仮名)と下校していると、
「ええとこ見つけたから行こうや」
そう言って甲村が駄菓子屋を2軒教えてくれました。
一つは60代くらいのおばちゃんがやっているたこ焼きと回転焼きも売っているお店、
もう一つは70〜80代前半くらいのおばあちゃんがやっているお店。
3軒目は中学入学当初から知っていたお店。
小生と甲村は放課後の写真部の帰りには、
計3軒を日替わりで寄るのが恒例でした。
買うお金の足りない小生は裕福な甲村を「師匠!」と呼んで、
毎回駄菓子のおこぼれやたこ焼きの一、二個を頂戴するのでした。
その頃発売開始となったカルピスウォーターを飲んでみると、
意外なほど薄味だと驚きました。
甲村は好みにあったようでたびたび購入していたようです。
ASKA「はじまりはいつも雨」(1991年)
YouTubeで視聴する https://youtu.be/74IKR0WeKXY?si=-YzRfhBIx64xQO8t
続く。果てしなく続く……。
(まだまだ続くよーっ!お楽しみに〜!)