1年5組の桜人 前編
「部活決めたー?」
すっかり春らしくなった歩道を歩く二人の男女がいる。
少女の方は黒髪を鎖骨まで伸ばして、後ろで小さく束ねている。余った髪は横に垂らしていた。背は150cmあるかないかだ。
一方で少女の隣を歩く少年は少女の頭二つ分背が高い。黒髪に緑色のメッシュがところどころ入っている。春の陽気が心地よいのか、目は今にも閉じそうで、眠たそうに歩いていた。
そんな嵐平に小空は問う。彼女と彼の背丈の差では小空は彼を横から見上げる形になる。
「決めた」
嵐平は頷いた。想像していた返事と違かったのか、小空は目を丸くしていた。
「え、え、決めたの? 嘘でしょ。まだ三日目よ? 早過ぎない?」
体験入部も今日から始まるが、嵐平の目に迷いの色は見られない。おそらく高校のホームページなどで事前に情報を集めていたのだろう。
肝心の何部に入るのかを問おうとすると、彼の方から答えが飛んできた。
「家庭部にした」
「あ、なるほど」
これは納得のいく答えだったらしく、小空は頷いた。
嵐平は食べ物に目がない。きっと悪魔に表情を売る代わりに何でも入る胃を貰ったのだろう、と小空は勝手に予想をしている。そうでなければ朝食に出たカレーライスを五杯も食べられるはずがない。「おかげで今日会社に持っていく予定だったカレーが無くなった」と、朝から青咲がため息をついていたのだ。
「で、予想はできるけど何する部活なのよ」
「料理。ガツンとしたおかずものから、甘いスイーツ系まで徹底的に作れるらしい」
食べ物を語る嵐平の顔はとても生き生きとしている。眠そうだった表情は、今や彼の後ろで太陽でも輝いている、いやむしろ彼が太陽なのではないかと思うほどに眩しい光を放っている。
「いいじゃん、嵐ちゃんっぽいね」
「小空は部活入る?」
嵐平がいつもの無気力顔に戻る。太陽の光も失せている。
「あー、まあ、入ってもいいけどさあ」
小空は頭を搔いた。
「結局任務やら何やらで運動部は禁止だべ? そんでもって、可愛い女子や先生が居ないとNGで......」
「帰宅部」
「やっぱそうよな?」
小空はケラケラ笑った。運動部は放課後はもちろん、土日も大会や遠征で潰れてしまうだろう。文化部も部活によっては忙しい場所がある。最も平和なのは何の部活にも所属しないことなのだ。
「帰宅部かあ。うちの高校部活入らない生徒もいるらしいし、それでもいいかなー」
小空は頭の後ろで腕を組んだ。春の空気が顔に当たって気持ちがいい。今日は快晴で、空には雲ひとつない。青空がめいっぱい楽しめる日なのだ。
「ま、部活に入らなくたって、高校は楽しくやっていけるっしょ」
*****
小空が教室に入ると、彼女は自分の席に向かう。まだ出席番号順の席順だ。だが小空はこの席順で大変満足だった。何故なら隣も前も後ろも斜めも女子なのだから。これがミックスされると最悪男子に囲まれる状況も有り得る。
小空が最も恐れているのは、手の届く範囲に女子がいなくなることである。
「おはよー、峯岸ちゃん」
小空は窓側からに列目の一番前の席だ。クラスの中には人がまばらで、小空が五人目だった。
彼女の斜め後ろの席には髪の長い少女が腰掛けている。黒髪に艶があって日本人形のような美しさがある。
彼女は峯岸 結。美術部に入る予定らしく、中学校でも何度か良い作品を描いて賞を受賞しているようだ。家は此処から電車で30分の海沿いらしく、和菓子屋を経営しているらしい。下に弟が二人。両親の実家は共に京都。
なかなか入学三日目では多すぎる情報が小空の頭にはインプットされている。
「今日も綺麗だねえ。何読んでるの?」
小空は椅子に座るや否や彼女に近づいていく。結は手に文庫本を持っていた。読書が好きなようで、週末は必ず図書館へ行くのだという。
「映画化されてた小説だよ。図書室で借りたの」
彼女の声は小さくも大きくもなく、程よい大きさで小空はそれだけで癒されていた。全く不快に思わない、優しい声だ。
「そっかそっかー......って、図書室? まだ三日目なのに? 学校の図書室行ったの?」
小空は目を丸くした。
「うん、一年生はもう借りてもいいらしいし、司書の先生も積極的に活用して欲しい、って。......入学式の日に図書館だより渡されなかった?」
首を傾げて確認を受けるも、小空は「えー......」と頬を掻く。
重要そうな書類は青咲と雨斗に言われてファイルから出したが、それ以外のものは未だにファイルにしまったままだ。
この先そういうものがどんどん溜まっていって、結果ファイルが壊れるという未来が彼女には早い段階から見え始めていた。
「図書室かあ。峯岸ちゃんほんと好きよな、本」
小空は慌てて話題を変える。
「うん、いっぱいアイデアも湧くし。色んな言葉覚えられるし」
「なるほど......私にも読めるのあったら紹介してよ! 最後に本読んだのは小学校の時だけど」
「うん、見つけておくね」
がしゃん!
ふにゃ、と可愛らしい顔で笑いかけられたので小空は椅子から落ちた。大きな音がしたので集まり始めていたクラスのメンバーが全員其方を向く。
「え、大丈夫かお前」
クラスの後ろの方でたむろしていた男子生徒の一人がぎょっとした顔で声をかけてきた。館山 隼登である。小空は何とか体を起こす。
「大丈夫、大丈夫......いやあ、峯岸ちゃん凄いわ。クリティカルヒットした」
結は小空の言葉にきょとんとしている。
「峯岸の笑顔にやられたんだってさ」
「え!?」
どうやら何故椅子から落ちたのか理解していなかったようだ。隼登に言われて目を丸くしている。
自分の笑みに、人を椅子から転げ落とす力などあったのか。
「どうしよう、館山。私はこの三年間この高校で生きていけるだろうか」
小空が椅子に座り直した。
「いや、三日でこれだからな......明日にはお釈迦になってるだろうな」
「だよね。そう思う」
小空はスマホを取り出した。
「峯岸ちゃん」
「は、はい」
「とりあえずもう一回さっきの下さい。待ち受けにするわ」
*****
四校時終了のチャイムが鳴り、小空はリュックサックから弁当を取り出した。藍染の弁当袋には白い糸で「小空」と刺繍されている。今日から昼食を挟むので、生徒たちは共に昼食をとる仲間を探しているようだ。
「小空、一緒に食べよー」
小空の席にやって来たのは二人の女子だった。
黒髪のショートボブ、こけしを思わせる髪型の少女と、長い茶髪をオールバックにして後ろでひとつに並べた少女だ。
「お、円香ちゃんと鈴ちゃんじゃないですか」
小空が嬉しそうに立ち上がる。
ショートボブの少女______ 山吹 円香。彼女は小空がこのクラスに来て最初に話しかけた生徒であった。それからよく話すようになったのだ。もう一人は氷上 鈴。円香とは中学校が同じだ。
「何処か空いてるかなー」
円香はクラスを見回す。何処も生徒が程よくばらけて席はあまり空いていない。
「あー......私、他のクラスの子と約束してるんだよねー」
小空が頬を掻く。円香が「え?」と彼女を振り返って、
「もしかして彼氏か〜?」
とにやにや笑っている。小空が「へへー」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ま、そんなとこですかね?」
「ほお? 色んな女子を手玉にかけておいて浮気ですか」
「いや、それは断じてない。私は皆を平等に愛す」
小空がキッパリと言った。あまりにも真面目な顔をされたので円香は「お、おお」と曖昧な相槌を打つ。
「じゃ、また五時間目」
小空は弁当袋を抱えると教室を出て行った。周りの男子がぽかんとしている。
「え? あいつ彼氏持ち?」
「いや、それはない。絶対」
「だろうな」
「他のクラスに友達でもいるんだろ」
よっぽど意外だったのか皆ザワザワとしていた。円香も少しの間彼女が出て行った扉を見ていたが、鈴に促されて近くの席に腰を下ろした。