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青空隊  作者: 葱鮪命
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色なき風に、われから色を。 前編

 今さっき、鰯雲に突っ込んできたところである。

 一部の鰯雲が、青い糸を一本まっすぐ置いたように不思議な間隔を空けているのは、そのせいだった。


 後で雨斗あまとに怒られるかもしれない。彼も空を見上げていればの話だが。


「そん(とき)ゃあ、そん時」


 少女はゆったりと歩いていた。手にはサイダーの空瓶を持っている。夏が過ぎても、彼女は定期的に深間ふかま商店に顔を出すのだ。


「あら」


 後ろから声がした。振り返ると、角から曲がって来たばかりらしい、一人の女性と目が合った。大きな腹を片手で支え、もう片方の手には紙袋をぶら下げていた。


てんちゃんのママ!」


 彼女は、この夏に青空隊の一員になった天助てんすけの母親である。駆け寄って来る少女に、優しい笑みを投げてきた。


小空(こそら)ちゃん。お散歩?」

「はい、ちょっとそこまで」


 小空がサイダー瓶を見せると、天助の母親は「良いね」と笑う。

 同じ質問を小空がすると、彼女もまた散歩だと答えた。しかし、ついでに青空隊に顔を出そうとしていたそうだ。手にぶら下げていた紙袋は、隊への差し入れらしい。


「いつも天助がお世話になっているから。あの子、迷惑かけていない?」

「いやいや、むしろ明るくなって助かってますよ」


 小空が伝えると、彼女の顔が綻んだ。


 日我(ひが) 天助は母が臨月のため、兄弟が産まれるまでは青空隊で預かることになっていた。

 学校へは保健室や別教室に入りながら、週に三回ほど、ペースを落として通っているところだ。


「学校の先生から電話が来るんだけれど、毎日とっても楽しいんだってね、天助が話すそうなの。年上のお姉さんやお兄さんに囲まれるっていう経験は、あまりさせたことなかったから......」


 日我一家がこの町へ引っ越してきたのは今年になってからだ。

 天助は中学に上がると同時の引っ越しだったので、慣れ親しんだ友達とは別れ、新しい仲間の中に入るかたちになったのだった。


「何せ小さな町で育ったから......みんなと仲良くなる練習は、あまりして来なかったのよね」


 彼女の顔には影が差していた。天助が学校に行かなくなったことを心配し、隊で面倒を見ると決まるまでは、随分息子と話し合ったようだった。


 静かになった途端、ハッとした様子で笑みを浮かべる。


「ごめんね、暗くなって」

「いえ、天ちゃんは上手くやってますよ。友達なんて、これから二百人も三百人もできますから」


 小空が胸をドンと叩く。


「隊長の私が保証します!」

「あら、頼もしい」


 天助の近況を聞く母親は安心しきった様子だ。小空はそれを感じながら、彼女の腹を見た。時々ぽこぽこ動くのが、布越しに伝わって来る。


 家に着いて小空が玄関を開けると、出てきたのは嵐平らんぺいと雨斗だけだった。


「あれ、天ちゃんは?」


 小空は名前を呼んだが、家の奥から走り寄って来る音はしない。


「さっき出かけた」


 雨斗が天助の母親に頭を下げる隣で、嵐平は小空の手に渡っている紙袋から目が離せなくなっている。


「これ、天ちゃんのお母さんが」

「みんなで食べてね」

「わざわざすみません」


 雨斗が受け取ろうとしたのを、嵐平がかっさらっていく。


「あ、こららんちゃん!」

「行儀悪い」


 嵐平はぺこりと一礼して、「お茶でも」と奥に引っ込もうとする。


「そうですよ、天ちゃんママ。上がりませんか?」

「ありがとう。気持ちは嬉しいんだけど、今日はこの後用事があるの。お菓子はみんなで食べてね」


 彼女はそう言って、外に出て行く。三人で礼を言い、小空と雨斗は庭先まで見送った。


「あーあ。せっかくなら天ちゃんの夏休み工作見てほしかったのになあ」


 ゆっくり離れていく背中を見つめながら、小空は一人呟いた。


「中身見せなければ、まあ良いだろうけどな」


 際どい質問が山ほど入った質問ボックスは、未だにリビングのテーブルの上を陣取っているのである。


 雨斗は、包装紙を派手に破く音を家の中に聞いて、そそくさと戻っていった。


 *****


「ねえ、これ! これ取って!」


 天助は透真とうまの腕をぐいぐい引っ張って、ガチャガチャした音の海を進んでいく。

 透真が連れてこられたのは、今人気のアニメのキャラクターのぬいぐるみが大量に積まれた、クレーンゲームの台だった。ウサギともクマとも取れない不思議な白い生き物は、最近の天助のブームなのである。


「こんなの取ってどうすんだよ」

「ベッドに置くの!」


 台の窓には「激甘設定台!!」「初心者にオススメ!」「大量ゲットの大チャンス!」と、カラフルな手書きのポップが張り付けられている。

 ぬいぐるみの大きさは、バスケットボールを一回り大きくしたくらいである。こんなものを大量に獲得してどこに置くというのだろう。


 透真は台の前から離れようとするが、天助に「一回だけ!」と連れ戻される。


「初心者向けなんだからお前が取れば良いだろ」


 ぶつぶつ文句を言いながら、透真は百円玉を入れる。二枚入れるだけで三回動かせるらしい。


 ボタンを操作しながらアームを動かし、透真はその一回で見事にぬいぐるみをゲットした。「すごー!」と隣で天助が手を叩く。残りの二回で、彼はもう一つを落とした。天助の両腕にはそれぞれぬいぐるみが抱かれる。


「やったー! 透真、ありがと!」


 透真は台を眺めていた。景品よりも上のレーンを観察しているようだ。「どうしたの?」と天助に問われて、「いや」と首を振る。


「お前、今日の分のおやつ取ったら。嵐平も食えるように、でかいやつ」


 そう言って透真が指さしたのは、通路を挟んだ向こう側に固められているお菓子の台たちだ。


「でも俺、いっぱい取れない。お金も持ってないし……」

「ほらよ」


 天助の手の平に百円玉が大量に落とされる。


「小空には何かフィギュアでも取ってやれ。俺も欲しいし。あとエナドリな」

「え、でもこんなにたくさん……良いの?」

「まあ。俺の金じゃないし」

「え?」


 天助が財布を取り出そうとあたふたしていたところで、透真は居なくなってしまった。

 このぬいぐるみの台に連れてくる前も、奥にあるアーケードゲームで目の前の相手をぼこぼこにしていたのである。

 天助が呼びに行ったことで、相手の顔には「助かった」とでも言うような安堵の表情が浮かんでいた。


 天助は膨らんだ財布を片手に、大きなぬいぐるみをもう一方の手で抱えながら、クレーンゲームの谷を奥へ奥へと進んでいった。


 *****


「あー、もうちょっとなのにー!!」


 天助は、穴の手前で完全に動きを止めてしまった箱入りのフィギュアを、恨めしい気持ちで見つめる。

 小空が好きそうなもの、と言われてもよく分からなかったが、女の子を象ったものならば何でも喜びそうである。


 そういう考えから、彼が今百円玉を投入し続けているのは、有名なアニメキャラのフィギュアが積まれた台であった。綺麗に整頓された最初の状態から、彼は何とか一つを景品獲得口ギリギリまで引っ張って来ることに成功したのである。


 透真ならば、既にこの台を空にしているだろうが、彼は一度だけ天助の様子を見に来ただけで、その時は手を貸してくれなかった。

 天助は彼を見返してやりたかった。


 初心者台で喜んでいるようではダメなのだ。

 もっと難しい、もっとベテラン向けの台で景品を取って、透真をぎゃふんと言わせてやりたいのである。


「あっ!」


 アームがしっかりと箱を掴んだ。そのまま確実に上に持ちあがる。ガコン、と固いものが落ちた音がした。

 下を覗くと、見事に扉の向こうに、狙っていた景品が横たわっている。


「やった、取れた!」


 それを手にして立ち上がろうとしたとき、天助は視界に影が差したことに気が付いた。

 見ると、知らないスニーカーが二足、天助の横にあった。

 顔を上げると、透真ではない二人組が此方を見下ろしている。


「お兄ちゃん、クレーンゲーム上手だね」


 それは人懐っこい笑みを浮かべて迫って来た。片方は天助の顔よりも、天助が今手に持っているフィギュアに目を向けている。


「もし良かったら、もっと良い台紹介しようか?」

「そんな確立機張ってたんじゃ、大事なお金無くなっちゃうよ」

「そうそう。あっちに簡単に取れる台があるから。そっちの方がお財布に優しいから、ね」


 天助は二人とは面識が無かった。しかし、二人がそれぞれ手にしている巨大なビニール袋の中に、大量の景品が入っているのを見たのだ。中には、天助が透真と別れて初めに食らいついて、そうそうに諦めた台の景品も含まれていた。


 天助の目は素直に輝き始めた。


「行く! 行きます!」

「よし、じゃあ行こう」

「俺、エナドリ? も欲しい!」

「エナドリね。乱獲できる台抑えてあるから。俺ら此処の常連なんだよね」


 天助はさらに顔が輝いた。透真をぎゃふんと言わせるという目標は、ついに達成できそうだった。


 *****


 彼らは、天助が諦めた台を次々と攻略していった。天助が持っていた景品袋は瞬く間に景品で膨らんでいく。


「お兄さんたち凄い。プロなんですか?」

「まあね」

「暇さえあればやってるからね」


 天助の片手で足りた袋は、今や両手を占領している。次の台に移る彼らを、天助は袋を引きずりながら追いかける。


「あっ、俺お金無くなっちゃった」


 一人の少年が自分の財布の中身を見た。もう一人も自分の財布を見て「俺も、もう無いや」と苦笑する。天助はハッとした。


 この二人は自分が取れなかった台に挑戦してくれていたのである。その景品は、全て天助の袋の中にあるのだ。


「あの、もし良かったら」


「お兄ちゃん、その袋俺らにくれるよね?」


 少年の一人が天助の腕にかかっている袋を指さした。天助は目を丸くして彼らを見上げる。


「袋、ですか?」

「そうそう」


 天助が不思議に思って、袋の中身を取り出そうと思うとすると「いやいや」と笑いながら止められた。


「その袋ごとくれ、って言ってんの」


「それ、ほとんど俺らが取ってあげたんじゃん? お金出したのも俺らだし」


 確かに、その通りだ。天助は袋を置いて、中を見た。彼らにあげても良いものを選別するつもりだったのだ。しかし、視界に手が伸びてきたかと思うと、次の瞬間には少年の一人に袋を奪われていた。


「あ、それは」

「何?」


 今まで温かかった少年の目が、氷のような冷たさを孕む。


「俺らが取った景品を、何で一円も出してないやつに渡さないとならないんだよ」


 天助が呆然としている間に、もう片方の景品の袋にも魔の手が伸びる。天助は我に返って、その袋をぎゅっと掴んだ。


「これは、ダメ!」

「はあ? なんで」

「こっちの袋は、俺がお金出した景品も入ってる!」

「いやいや、お兄ちゃんさ。そんな激甘台、すぐに取れるんだからタダみたいなもんでしょ」

「そうだよ、ケチ」


 もう一人の手も伸びてきて、天助の胸を強く押した。ぐらりと体が揺れて、床に尻もちをつく。ズボンのポケットから百円玉で重くなった財布が転がり落ちた。


「ラッキー」


 少年の一人がそれにも手を伸ばそうとするのを、天助は光の無い目で見つめる。

 今度は体が動かなかった。今の瞬間まで忘れていた恐怖心が、彼の中で蘇ったのである。


 信じていた友人に裏切られる気持ちを、彼は静かに思い出していた。


「お、フィギュア入ってんじゃん」

「そういや、最初に確立機の前に居たもんな」

「こっちはぬいぐるみか。まあ、ちょっとは金になるかな」


 二人は袋の中身を見てニヤニヤ笑っている。天助は床に座り込んだまま、彼らの冷たい笑い方を観察していた。


 袋に入っているお菓子もぬいぐるみもフィギュアも、家に持ち帰るつもりだった。それを、彼らは金に換えるつもりなのだ。一つ目の袋の中身の大半は、彼らが取ったものではないのに。


「いつまで座ってんの?」


 少年の一人が、まだ地べたに腰をつけている天助に気が付いた。


「あ、泣いてる。可愛いー」

「あのねー、ボク。ガキがこういうゲーセンに一人で来ちゃダメでしょ。こういう悪ーいお兄さんがたくさん居るんだよ」


 天助の財布は、一人の少年の手のひらの上でポンポン、お手玉のように跳ねた。


「またお財布持ってきなね。そうしたら今度は、お菓子でいっぱいにして渡してあげるからね」


 少年二人はくるりと向きを変えた。既に天助のことは忘れてしまったかのようである。天助はまだ立ち上がれずに居た。


 どうして自分は____。


 あの時もそうだった。目先の事だけを優先して、相手がただ金に目のくらんだ者と知らないままついていったのだ。


 天助は彼らが角を曲がったのを見た。

 追いかけてやり返せば良いというのに、体は驚くほど言うことを聞こうとしなかった。殴られたことのある腹が、じんじん痛む。


 すると、ゲーム音の中に微かな悲鳴が混ざった。


 少年たちが消えた角から、ぽーんと通路に弾き飛ばされるものがある。それはゴミ袋のように宙を舞い、壁に当たって床に落ちた。滞空時間の長さからして信じられないが、それはあの少年の片割れだったのである。天助は目を見張った。


 驚いている間に、もう一度同じことが起こった。それはもう一人の少年で、彼もまたゴミ袋のように放り投げられると、同じ軌跡を辿って壁に当たり、先の少年の上に落ちた。


 天助はそこで初めて立ち上がった。何が起きたのかと頭を整理しようとしているうちに、角から現れたのは透真だった。

 彼は片手に、天助が少年たちに取られた景品袋と、もう一方の手には天助の財布を持っていたのである。


「透真」


 天助の足は彼に向かって動いた。彼に届く前に財布が投げられ、慌ててキャッチする。


「帰るぞ」

「え、あの人たちは?」

「お前の景品と財布持ってたから、ぶん殴っただけだ」

「倒しちゃったの……?」


 透真の陰から恐る恐る顔を覗かせると、少年たちはまだ伸びている。地面に落ちた時はそれほどの衝撃が無いように思えたが____吹っ飛ばされる前に何発か食らったのだろう。


「……ありがと」


 片方の袋を受け取った時にそう呟いたが、ゲーム音の方が大きくて届いていないようだった。


 出口に向かう透真を追いかけながら、天助はあの日を思い出した。あの日もそうだった。透真と小空が、いじめっ子を撃退してくれた日だ。


 自分は、いつだって彼らに守られてばかりなのだ。

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