桜手招く入学式 後編
國枝 夏音は昇降口の扉に張り出された紙に自分の名前を見つけた。
知っている名前はひとつもない。唯一同じ中学校からこの高校を選んだあまり話したことも無い同級生はクラスが離れた。同じクラスになったからと言って沢山話すことはないだろうが、知っている顔がいた方が安心することには違いない。
さて、夏音はクラス表の一番上を見る。「1年5組」と書かれた欄を下に辿ると、自分の名前が現れる。中学校が三組制だったからか、「5組」という字に違和感があった。
やがて校舎の中に入った。受験の時に一度入ってはいるが、今日は今日でまた違う緊張がある。
友達はできるだろうか。自己紹介をして失敗したり、それで笑われたりしないだろうか。
昨日から緊張して眠れなかった。
小学生時代からほとんど顔が変わらないメンバーで中学生まで来たのだ。そんな彼らとも別れて今日からまた新たな生活が始まってしまうのだと思うと不安しかない。
気づけば教室の前に立っていた。扉の向こう側は賑やかだった。この賑やかさの中に自分が溶け込めるだろうか。
夏音は固まる体にムチを打って、扉に手を伸ばす。
ガラッ!!!
「ひい!?」
「うおおお!!?」
中から飛び出してきた人物とぶつかりそうになった。
夏音はバランスを崩して床に尻もちを_____つかなかった。支えられている。それは自分よりも遥かに背が低い少女であった。
「ごめん、怪我ない? 大丈夫?」
少女の華奢な腕が夏音の体を支えていた。
「......はい」
「って、やば!! 私今すごいセクハラしてる!!」
小柄な少女はそう言って夏音から離れた。
後ろでまとめられた髪は、解けば鎖骨までの長さになりそうだ。横に余った髪を垂らして、それが動く度にゆらゆらと揺れる。
小動物のような子だ、と夏音は思った。低くも高くもない声が耳に残る。そして、キラキラした目が眩しい。
「怪我ない? 足とか捻ってない?」
少女は夏音の足元に視線を落とした。
「平気です......。あの、えっと」
「あ、そうだ!! ねえ、連絡先教えて!!」
「え?」
急いでいた用事はいいのか、と夏音は心の中で突っ込む。おそらく同じクラスの子だろうが、随分グイグイ来る。彼女がスマホを取り出したのを見て、夏音も取り出した。すると、教室の中から笑い声が聞こえてきた。
「ナツナギー、お前さっき言ってたこと本気で実行する気かよー!?」
それは男子だった。クラスの中央で男子が五、六人ほど固まっている。ナツナギ、と呼ばれた少女はそれを振り返った。
「あったりまえだろー!? この学校にいる女性全員と連絡先交換するんだ!!」
「お前やばすぎ」
「とんでもねえ奴来たな」
少女は「くひひ」と笑って、
「あ、じゃあ交換しよー」
とスマホを差し出した。夏音も差し出す。彼女の画面に「なつね」と名前が表示された。一方夏音のスマホの画面には「小空」と表示された。
コソラ、と読むのだろうか。珍しい名前だ。
「えーっと、ナツネちゃん?」
「はい、そうです」
「漢字は......夏の音って書く?」
「はい」
パッと少女の顔は輝く。真夏の太陽を見ているような眩しさだ。
「わーお!! 私も苗字に夏が入るんだよー!! 運命感じる!! よろしく!」
大袈裟に彼女は言って、夏音の手を取った。ぶんぶん、と上下に激しく振る。握手のつもりだろう。これまでにないほど激しい握手だ。
「じゃ、私ちょっと用事あるんだわ! また後でね、夏音ちゃん!!」
「は、はい」
パッと手を離されると、彼女は走って行ってしまった。夏音はそこで初めてクラスに入る。
中学校の見慣れた教室とはまた違う。緊張が戻ってきた。此処で一年過ごせる気がまるでしない。
だが、
「夏音、だっけ? なあ、さっきのやつ面白いよなー」
中央で固まっていた男子からそんな言葉をかけられた。
さらに、
「あの子コミュ力凄くない? 私も連絡先交換したけど、すごいグイグイ来るから喋る間もなかったよ」
近くにまた知らない少女がやって来た。黒髪ショートの、こけしのような可愛らしい雰囲気を持った少女だ。髪に艶があり、くりくりとした目をしていた。
「ヤマブキもまたずいぶんグイグイ来られてたよなー」
再び男子の声が聞こえてきた。こけしの少女は、
「ほんと、小空ってあの調子で他のクラスも責めてるのかなー」
と、首を傾げている。
「夏音ちゃん、よろしくねー。何中から来たのー?」
ヤマブキという少女は夏音を席に案内しながら問う。夏音は素直に驚いていた。
初日など誰とも話せずに終わると思っていたのに、女子が二人、さらには男子とも会話をすることになるなんて。
(.......あんまり心配する必要ないのかな)
夏音はこれから始まる高校生活に淡い期待を抱き始めていた。
*****
入学式が終わり、夏音らは教室に戻ってきた。担任からクラス全体に、出席番号順に自己紹介をするよう言われてしまった。
この時間は夏音が最も恐れていることが起こりやすい。
それは、自己アピールの仕方である。話しすぎてしまえば、クラスを白けさせてしまうし、あまり話さなければ面白くないヤツだと思われるに違いない。その塩梅が難しく、昨日からずっと考えていたのだが上手い言葉は見つからなかった。
最初の席順は出席番号順になっている。このクラスは40人の生徒が居る。1番から20番までは男子、21番から40番が女子だ。夏音の出席番号は29。女子では9番目だ。前の人を参考にするならば丁度良いくらいの場所にいるだろう。
「飯倉 亮平です。南橋第二中から来ました。中学ではソフトテニス部に入ってました。高校ではまだ部活入るか悩んでいるんですけど、ソフトテニスもう一回やってもいいかなーって思ってます。一年間よろしくお願いしまーす」
出席番号1番の生徒が自己紹介を終えた。夏音は参考にするためにしっかりと聞く。
なるほど、中学校の部活と、これから入る予定の部活を言うとかなりちょうどいい文字数になりそうだ。だが、29番目にその自己紹介は飽きるだろうか。40人分聞くのだから被らない方がいいのだろうか。
悶々としていると、すぐに女子まで回ってきた。
「相澤 小麦です。体を動かすことが大好きです! 中学校の時は水泳部でした! あと、地元の体操教室に通っています! 好きな教科はもちろん体育で、高校では引き続き水泳部に入る予定です! よろしくお願いします!!」
名前の通り健康的な肌の色をしている少女が立ち上がって言った。
あの子が女子の中で出席番号が最も早い生徒のようだ。
この席順だと自分の順番が目に見えて分かるので軽く恐怖を覚える夏音だった。
「どーりで体締まってるわけだー」
小麦が席に座ろうとした時、そんな声がした。それは後方の席からだった。全員の目が其方を向く。そこには小空が座っていた。頬杖をついて小麦を見ている。
「腰のライン好みっすわ。あとで連絡先交換しない? 小麦ちゃん。てか名前可愛すぎ。パン好き?」
「待て待て、お前何横から入ってきてるんだよ」
男子の方から声が飛んでくる。小空が「えー?」とニヤニヤ笑った。
続いて次の生徒が立ち上がる。
「石井 紗夜です。動物が好きで、将来は動物病院で働きたいです。家では猫を三匹飼っているので、時々ブレザーに毛がついてしまうことがあるのですが......そのときはごめんなさい」
「そんなの私が取ってあげるよ。安心しな」
またもや声が飛んでくる。小空である。
「因みに猫ちゃんの名前は?」
「えっと、『ちくわ』と、『わさび』と、『寺嶋さん』です」
「テラシマさん!!?」
クラス全体で声が重なる。
猫に苗字を付けるとは珍しい。
紗夜は反応が嬉しかったのかはにかんで頷く。
「捨て猫だったんですが、名付けに困っていたら、ちょうど夕方のニュースがやっていて......その時のニュースキャスターが寺嶋さんという方だったので......」
クラス全体が笑いに包まれた。
「なかなか無い名前の付け方するねえ!?」
小空が最も爆笑している。紗夜は笑いの中で嬉しそうに椅子に腰かけた。
その後も女子が自己紹介をする度に小空が突っ込んで、そこからひと笑い加わるということが繰り返され、夏音の番が回ってきた。すっかりクラスの雰囲気も柔らかくなり、夏音は緊張が吹き飛んでいた。
「えっと、國枝 夏音です。美栄中学校から来ました。中学校は吹奏楽部に居ました。高校でも所属する予定です。よろしくお願いします」
「美栄中って、めちゃくちゃ吹奏楽強いよね!? 私の学校コテンパンにされたって言ってたわ!!」
小空が大きく頷く。
夏音は素直に驚く。今の言い方からしてきっと彼女は吹奏楽部ではない。が、自分が所属していない部活の敵の学校の情報まで持っているとは。話を広げるのが本当に上手いようだ。
「ちなみに楽器は!?」
「えっと、フルートです」
「わ、あの横笛か!! 私絶対吹けん!!! 口笛なら上手いんだけどね」
彼女がヒュウヒュウと口笛を吹く。最近はやっている曲だが、音程が外れすぎていて、皆は手を叩いて笑っていた。夏音は爆笑の渦に紛れながらそっと腰を下ろす。
(......何とか終わった)
ほとんど小空と会話をしていたようなものだが、きっと残りの女子もみんな同じ運命を辿るだろう。
*****
夏音の次の次が小空の番だった。あれだけ目立ちまくった彼女なのだからとてつもない期待の眼差しを向けられている。彼女自身もそれは分かっているのか、こほん、と分かりやすく咳払いをして立ち上がった。誰かが既に堪えきれないのか笑いを漏らしていた。
彼女は口を開く。
「えっと......」
彼女は身を縮こませた。
「夏凪 小空って、言います......。中学校の時からすごくシャイで......高校では友達できるか分からないので、皆さん沢山声をかけてください......」
蚊の鳴くような声だった。クラスが笑いの渦に包まれる。
「さっきの威勢どうしたんだお前!?」
「別人かよ!!」
「しっかりしろー!!」
そんな声が飛んできて、小空はいたずらっぽく笑った。
「まあまあ、それは嘘で、私の高校での目標はこの学校にいる女性全員と連絡先を交換することです!! めちゃくちゃ女性好きなんですよ! 一番好きな女優さんは飛鷹 亜矢子さんです!! どうぞよろしく!!!」
最後は決めポーズまでしていた。額の前で人差し指と中指を二本揃えてウインクをして見せた。アニメのキャラクターのような決めポーズだが、彼女がすると様になっていた。
男子が口笛を吹いたり、手を叩いたりしてはやし立てている。夏音も拍手をしながら彼女から目を逸らせなかった。
クラス全体の雰囲気を明るく変えてしまった。
一体彼女は何者なのだろう。
そして、これからこの子が居るこのクラスで過ごせるのだ。なんて楽しみな高校生活だろう。
夏音は心からの拍手を彼女に送った。




