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青空隊  作者: 葱鮪命
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二つ星の二重奏-3

「川下、腰下げろ!」

「はいっ」


 体育館は全ての窓と扉を全開にしているが、それでも熱気が籠る。生徒たちは汗を滴らせながら部活に専念していた。


 羽野うの 溢美いつみもその一人で、彼女はバレー部に所属していた。三年は引退し、二年が三年の代わりに部活を仕切らなければならない時期だ。溢美は副部長と言う立場になった。部長が居ない時は彼女が監督となり、後輩に指示出しやアドバイスをするのだ。


「みんな、今日動き鈍いよ。暑いから仕方ないけれど、もう少しテキパキ動かないと」

「はいっ」

「十分間休憩。その後試合ね。大野、ストップウォッチ持ってきて」

「はいっ」


 溢美は一年に指示を出し、壁際に並べられた水筒から自分のものを拾い上げる。


「羽野先輩、暑いですね」


 一年生の女子、川下 友華ともかが汗をフェイスタオルで拭いながら言った。


「だね。今年は去年よりも暑さが続くんだって。去年も先輩たち何人か熱中症になってさ。それからはこまめな水分補給するようにしてるんだ」

「そうだったんですか」


 溢美は水筒を傾ける。氷たっぷりの麦茶だ。夢中になって喉に流し込んだ。


 体育館では、男子のバスケ部が試合をしている。歓声とハイタッチの音が響き、外でこっそり見ているファン層がきゃあきゃあと喚いている。


「盛り上がってますねー」


 友華が目を細めて隣のコートを見ていた。


「まあ、毎年の恒例だよ。今年は一年にすごくかっこいい子入って来たらしいじゃん」

「そうなんですよ。松本とか言ったかな、クラスの子もみんな夢中みたいです」

「ふーん」


 溢美はもう一度喉に麦茶を流し込んだ。もう半分もない。去年はこれで済んだが、今年はもっと大きい水筒が欲しいくらいの暑さだ。


「お疲れー」


 開け放たれた窓から、一人の女子生徒が入って来る。休憩をしていた一年生が号令をかけた。「お疲れ様です」と気合の入った挨拶が体育館に響く。入って来たのは、部長のもり 亜衣奈あいな。溢美とは同じクラスだ。


「亜衣奈、何処行ってたの?」


 溢美は彼女に尋ねる。


「委員会の仕事でさ。ほら、今度秋祭りでボランティアするから、その打ち合わせ」


 溢美はそのワードにハッとした。あのポスターが鮮明に頭の中に浮かび上がって来る。校内では常に目に入る場所に貼ってあるが、皆あまり関心は無いようで通り過ぎてしまう。この前、他の学年の男子がニヤニヤ笑いながらそのポスターを囲んでいた情景が思い浮かぶ。


『ゲーム大会だってさ。お前出たら? 上手いじゃん』

『いいね。一位になって、五万円で飯行くか』

『寿司にしようぜ!』


 何食わぬ顔でその隣を通り過ぎたが、その後悶々とした気持ちだった。冗談でも、止めてほしいと思った。本気で参加する人が近くを通り過ぎるかもしれないというのに。


「今年はゲーム大会なんですってね」


 友華が汗拭きシートで顔を拭き始めた。手を出すと、ノールックで渡してくれる。溢美はそれを首筋に当てた。


「みたいだね。あまり人が来ないお祭りだけど、ゲームってなったらみんな目の色変えてたよ。FPSだってさ。詳しくは知らないけど」


 ねえ、と同意を求める亜衣奈。溢美はぼんやりと汗を拭いていた。


「溢美?」

「え?」

「大丈夫? 具合悪いんじゃない」

「なんで」

「だってぼーっとしてる。顔も赤いもん」


 亜衣奈に言われて、溢美は「そうかな」と首を傾げる。別にいつも通りだ。


「ちょっと休んできなよ。体育館、暑いもんね」

「そうですよ、先輩。たしかに顔真っ赤です」


 二人にも言われると、そうせざるを得ない。溢美は頷いて、水筒を持ったまま体育館を後にした。


 *****


 校内はまだ涼しかった。これでも暑いが、それでもまだ風を感じる。体育館は周りを建物に囲まれているので風が入ってこないのだ。剣道部や柔道部が使う道場、そして卓球部専用の練習場、外の部活の物置き棟……。体育館の立地は最悪だ。


 溢美は放課後の、閑散とした廊下を歩いていた。吹奏楽部の練習の音を始め、外で外周を走るラグビー部の掛け声や、補修を行う教師の声が聞こえてくる。


 溢美はそんな音で溢れる廊下の途中で足を止めた。目の前に一枚のポスターが現れる。


「秋祭り」


 溢美はその文字を読み上げた。もう一ヵ月もない。まだ誰と出るかも決めていない。エントリーの締め切りは間近。


 誰にも言ったことのない、彼女の夢がある。最近になって注目を集めてきた、ゲームのスポーツ。一度、興味本位でその人たちの動画をサイトで見たことがあった。その時に、思ったのだ。


 この世界に行ってみたい。


 それは、今まで生きてきて感じたことのないほど強い思いだった。勉強だって部活だって真面目にやって来て、ゲームなど見向きもしなかった自分が何故此処までこの世界に惹かれるのか全く理解できなかった。


 椅子に腰かけ、強い眼差しで画面を見つめ、コントローラを操作して相手を倒す。大きく表示された彼らの見ている画面には、まるで本物の戦場のような光景が広がっていた。実況の声が彼らの動きに対して熱い解説をし、人々はそれに対して歓声を上げている。画面からも伝わって来る会場の熱気は、どのスポーツにも無い不思議な感覚を溢美にもたらした。


 どんな世界かも知らないのに、どうして此処まで魅せられるのか。それは、彼らの華麗なキャラクター操作や、会場を盛り上げる実況や、BGMに原因があった。その全てがかっちりと彼女の心を射止めた。


 それから、こっそりと家のパソコンに同じゲームを入れてやってみた。あのプロたちのように動くことはできず、まだアイテムも取れていない状態で倒された。めげずに二回戦、三回戦、とやっているうちに、少しずつ面白さが分かって来た。これは、本当のスポーツだ。何も考えずにキャラクターを操作したら、簡単に敵に倒されてしまう。身を隠れる場所を見つけ、忍者のように敵に忍び寄る。相手に見つからないのがベストだが、見つかれば相手の攻撃が当たらないようにしなければならない。動画サイトを参考にしながら、賢い立ち回りを学んでいった。


 他にも、広大なフィールドの中央にある旗を奪い取る試合もある。取ったあとは、時間までにその旗を守り抜かなければならない。もし取られたら、取り返さなければならない。どんな動きをするのか、どこに逃げようとするのか、心理戦が始まる。適切な武器はどれか、どの敵から倒していくのが良いのか。


 状況のひとつひとつに、適切な操作が必要なのだ。それを考えていくのは、難しいが楽しいのだ。初めて一位を取れた時は、夜中にも関わらず声を上げてしまった。慌てて口を挟んで、父と母の寝室をこっそりと覗いたのだった。


 まだ誰にも言っていない夢だ。


 ゲームのスポーツの選手になる。もちろん、それで食って生きていくことができるのはほんの一握りの人間であることは承知している。それに関する大学があることも調べていた。両親にはどう頭を下げようかと考えているところだ。


 二人とも、娘がゲームに夢中であることを知らない。幼稚園の頃からやってきたバレーが人生の全てで、次いで勉強だと思っている。大学は行かず、高校を卒業したらそのまま社会に出て行くのだと思っている。友達も担任もそう思っている。本人だけは、その気がない。


 あんなに素晴らしい世界に触れてしまった以上、どうして気持ちを抑えることができようか。どんなに辛い道だとしても、あの世界しかないのだ。あの世界で一位になりたい。


 少しだけだが、ゲーム内での知名度も上がって来た。もちろん周囲の人間は誰も知らない。


 だから、堂々と皆に話せるようになりたいのだ。

 そのためには必要だった。


 溢美はポスターを見つめる。「ゲーム大会」の文字に触れた。


「優勝しなきゃ」


 皆を説得し、納得させるためにはこれしかないと思ったのだ。人生の分岐点となる彼女のステージは、今年の秋祭りだ。

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