二つ星の二重奏-2
放課後、透真が教室を出ようとした時だった。
「佐倉井」
後ろから呼び止められ、透真は振り返る。それは女子の声だった。クラスではほとんど接点の無い女子生徒だ。後ろで団子にまとめた髪を三つ編みで囲み、軽い化粧を乗せた顔が真剣に透真を見ていた。
「何」
いつもの男子ではなく、女子が声をかけてくるのは意外なことだった。だが、彼の態度は相変わらずだった。女子生徒もそこに言及しないようだ。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「さっさと帰りたい」
「一分で良い」
透真は仕方なく少女に向き直った。名前は確か、羽野 溢美。クラスでは女子の中心に居る彼女だが、透真とは今までこうして喋ったことは無い。
「あのさ、今度の秋祭りがあるでしょ。そこでゲーム大会が開かれるの。ゲームが好きな佐倉井なら知ってるでしょ」
溢美はいつものように明るく声を張ったりしなかった。何処か後ろめたいことでもあるのか、それとも透真の態度が移ったのか、ぶっきらぼうな声で早口に言った。
「一緒に参加してほしい」
透真は目を細める。
彼は、そんな依頼を最近もう一つ受けたのだ。それはちょうど昨日、雨斗から言われたのだ。
秋祭りでは今年、ゲーム大会が開かれるらしい。賞金も出るようなしっかりしたもののようだが、それに一緒に参加してほしいという依頼だったのだ。
自分は確かにゲームが得意だ。しかし、人前でゲームをするということは過去に一度も経験がない。青空隊のリビングはまた別だが、大会のようなものに出たことは無いのだ。ゲーム内の大会ならば何度も一位は取っている。賞金は出ず、ゲーム内で使えるコインやジェムが貰えるという小さなものである。
二人からも依頼が来るということは、よっぽど皆その大会に注目しているのだろう。しかし、透真は首を横に振った。
「頼むよ」
少女が少しだけ声を張る。
「どうしても一位になりたいんだ」
彼女の顔に影が差した。
「少し前に何でも屋に依頼したの。そしたら、もう少しお待ちくださいって。時間が無いから、早くペアを見つけないとならないの」
なるほど、と透真は合点がいく。あの依頼主は、どうやら目の前の女子生徒だったらしい。
しかしまたどうして、と透真は思う。彼女がゲームの話題で盛り上がっているところを透真は見たことが無かった。自分が知らない場所ではしていたのかもしれないが、そこまでゲームに関心があるようには思えない。賞金目当てなのか。
どちらにせよ、透真は協力する気などさらさらない。
「俺は一人でゲームするのが好きだし、人に見られる趣味もない」
「佐倉井」
教室を出て行こうとする透真を、溢美は追いかけるが、透真は今度こそ足を止めなかった。
「悪いけど他当たれ。もっと居るだろ」
「居ない。佐倉井にしか頼めない」
透真は彼女を振り切って歩いた。もう追いかけてくる気配は無かった。
*****
家に帰った透真は、部屋にこもった。パソコンをつけて、ゲームを立ち上げる。最初に表示されるホーム画面に、世界ランキングが載っていた。そこには、透真の名前があった。まだ彼の上に立つものは居ないようだ。チーターでさえ彼の上に立つことは難しい。ネット上でそう囁かれるほど、彼は存在感があった。もちろん、本人はそんなこと気にしない。ただゲームが楽しめるのならばそれで良いのだ。人に注目されてするゲームなど、何が楽しいというのか。金をかけたゲームなど、何が楽しいというのか。
ゲーム開始の合図が出た。リスポンしてすぐに居た敵をものの数秒で倒し、効率的にアイテムを集めていく。
コントローラーがかちゃかちゃと激しく動いた。
キャラクターの上に表示される名前を見ただけで近づいてくる者もある。彼にとってはアイテムを捧げる道具でしかない。倒してアイテムを奪い取り、次の標的のもとへと向かう。誰も彼を止められない。このゲームもまた、一位は彼のものなのだ。
彼は一位しか認めないのだ。
*****
雨斗がリビングでパソコンを触っていると、ぴんぽんとチャイムが鳴った。雨斗が立ち上がり、壁についたモニター付きの小さな機械を操作する。映ったのは天助だ。
『来たー』
「今開ける」
玄関に行って扉を開くと、天助は「失礼します」と礼儀正しく言って入って来る。
「みんなは?」
「小空は嵐平と買い物代行。青咲は仕事終わってそろそろ戻って来ると思うぞ」
「透真は部屋?」
「ああ。ゲームしてるんだろ」
リビングには雨斗しか居ない。天助はソファーに座り、見てみて、とポケットからあるものを取り出した。得意げにそれを雨斗に突き出してくる。それはスマホだった。少し前の機種で、画面は最新のものよりも一回り小さい。天助の手にはちょうど良い大きさだろう。
天助はスマホを持ったのだった。それは、雨斗のおさがりだった。中学生の頃に彼が使っていたものだ。いつもスマホでやりとりする青空隊を天助は指を咥えて見ていたので、見かねた雨斗が譲ったのである。青空隊の一員となったので、天助もスマホで情報を共有しなければならない。しかし、彼は一度も依頼らしい依頼を貰ったことがなかった。
雨斗曰く、もう少し飛ぶ際にコントロールできるようにならなければ、いざという時に危険だから、ということである。
天助はそれを飲み込んで、毎日のように小空に訓練してもらっているのだ。最近は雲の中でも泳ぐように動き回れるようになってきた。服はびしょ濡れになるのだが。
さて、スマホを雨斗に見せた天助。スマホのカバーを新しくしたようだ。雨斗が譲った時についていたのは、長い時間によって黄ばんでしまった透明なラバーケースだった。今は天助のカラーでもあるオレンジ色のラバーケースに変わっている。
「かっこいいな」
雨斗が言うと、天助は「でしょ」と笑う。
「俺にも早く依頼ちょうだい! 買い物代行やる!」
「まだダメだ。もう少ししてからな」
雨斗の返しに、天助は頬を膨らませる。
「もう少しって、どのくらい? 明日? 明後日? それとも一週間?」
「さあな」
天助は「もー!」とソファーの背もたれに勢いよくもたれかかった。
「小空たちばっかりずるい! 俺だってみんなと一緒に任務行きたい! 青空隊に入隊してもう一月経ったじゃん!」
「時間の問題じゃないんだよ」
「俺、もう小空の助けなくても飛べるよ!」
「まだ危なっかしい」
「けち!」
天助が言うと、リビングの扉が開いた。透真だ。
「どうした」
雨斗がパソコンから顔を上げて、透真を見る。透真は彼のパソコンの画面を覗いているようだ。
「いや、ちょっと。ノーパソ貸してくんね」
透真の言葉に、雨斗は僅かに眉を上げる。
「ついに壊したか」
「なわけねえだろ」
引っ手繰るようにしてノートパソコンを雨斗の前から取り上げ、透真はソファーに腰かけると膝にそれを乗せて操作を始める。天助は立ち上がって、透真の隣に移動した。一体何をするつもりだろう、と気になったのだ。
透真が開いているのは、依頼主の依頼を確認するページだった。雨斗が分野ごとに細かく仕分けをしているので、彼はすぐに目当てのページに飛ぶことができた。そこには、ある依頼が表示されていた。
「……これか」
透真は小さく呟く。
秋祭りにて、ゲーム大会に一緒に参加してほしいという依頼だ。同じクラスのあの女子が送って来たものである。
「受ける気になったのか」
雨斗はパソコンが無くなった代わりに、スマホを開いていた。透真には背を向けていたが、彼が何のページを見ているかはすぐに分かったようだ。
「受けるわけないだろ。俺に何の得があるんだよ」
「賞金貰えるだろ」
「そんなの要らねえ」
二人の会話を聞きながら、天助は文字を目で追っていた。こういう風に自分も依頼を受けてみたいものだ。それには、何か突出した能力が必要らしい。自分が他よりも得意なものは何だろう。
考えているうちに、透真はノートパソコンの蓋を閉じた。
「その依頼、受けないの?」
天助は透真の顔を見る。透真は「ああ」と頷いた。
「何で? 依頼主困ってるんじゃないの?」
「困るかよ。地方の秋祭りで一位になれないくらいで」
透真は鼻で笑う。天助は首を傾げた。
「そうかな。困るからわざわざ依頼するんじゃないの? 青空隊ってそういう場所でしょ?」
自分は依頼を受けたことは無いが、今まで見てきて、依頼をしてくるのはどれも困りごとがあるときだ。何もなければ、自分で解決できるならば、わざわざこうして依頼などしてこない。
「だってよ」
雨斗がちらりと透真を見た。
「……はあっ」
苛立たしそうにため息をついて、彼はソファーから立ち上がった。雨斗の前にパソコンを置くと、さっさとリビングから出て行ってしまった。
「受けないのかな。依頼」
透真が出て行った扉を見つめたまま、天助は雨斗に聞いてみる。
依頼が0の自分からすると、とても勿体ないことをしているような気がする。自分がその依頼を受けたいくらいだが、天助は大会で優勝できるほどゲームが得意ではない。「FPS」という言葉も初めて目にしたのだった。
「まさか」
雨斗が言った。その横顔に、天助は微かな笑みを見た。
「プライドだけは一丁前にあるからな」




