立ち向かえ神立!-6
結局、小空から受け取った五百円を使い切ることはできなかった。子供用の小さな買い物籠いっぱいになるくらいの量のお菓子を買ったつもりだったのだが、それでも五百円に至らないのだ。
駄菓子屋の外にあるベンチで、天助は余った百円と十円を手のひらで転がしながら、もぐもぐと口を動かしていた。
「やっぱり使い切れないよな」
小空は隣で炭酸を開けた。サイダーだった。ぷしゅ、と炭酸の抜ける音がして、細かい粒が天助の体に降って来る。
「最初はそんなもんだ。プロになれば調整できて楽しいぞー」
彼女はペットボトルを傾けて、中身を喉に流し込んでいく。ペットボトルの表面に着いた雫が、太陽の光を受けて七色に輝いている。豪快な飲みっぷりに見とれて、天助は口を動かすのを忘れていた。
「ぷはー! 夏と言えばサイダーでしょ! なあ、天ちゃん_____」
言い切る前に彼女は盛大なげっぷを披露する。
「おっさんかよ」
透真の声がした。
「うるせー! 透真だってよくやってんじゃん。こうやって」
小空が白目をむいてもう一度げっぷを披露する。
「やらねえよ」
透真は少し離れた場所で、バニラ味のバーアイスを舐めていた。駄菓子屋の外には、アイス売り場があり、そこには天助がよく知るアイスから、見たことのない種類のものまで豊富に取り揃えてあった。
透真が食べているアイスは、この暑さによって冷蔵庫から出した瞬間に溶け始めている。ぽたぽたと甘い雨がコンクリートにシミを作っていた。甘ったるい匂いが天助の居るベンチまで香って来る。
「天ちゃんは、何買ったの?」
小空がスナック菓子を食べながら聞いてくる。天助は買ったものを見せた。小さなお菓子が大半で、スーパーで気になっても手を出しづらかったものも入っている。この歳になって、お菓子コーナーで真剣にお菓子を選ぶのは、少し恥ずかしかった。母もその事情を呑み込んでくれているのか、買い物をするときは天助が欲しいと思っているお菓子を聞いてから出かけるのだ。天助はそれがありがたかった。
「あ、それね。当たりが出るともう一個もらえるんだよ」
小空が天助の手のひらの中にあるお菓子を説明し始めた。天助はその説明を真面目に聞きながら、知らないお菓子の世界に魅了されていた。
「おい」
少しして、透真から声がかかった。彼は小空を呼んだのだ。小空が「ありがと」と手のひらを出す。その掌に乗せられたのは、天助が店の中で透真に見せてもらった青い飴玉だった。
「それ何?」
透真に聞いたとき、誰かにお使いを頼まれてこの飴玉を買うと教えてもらったのだ。一体、誰にお使いを頼まれているというのか。
「ああ、これ?」
小空が飴玉をポケットに入れる。
「まあ、今に分かるよ」
小空が笑って、立ち上がった。
「腹もいっぱいになったし、行こうか、天ちゃん!」
行くと言っても、一体何処に行くと言うのか。
天助は曖昧に頷いて、彼女についていった。
*****
やってきたのは、深間商店の裏側だった。Y字の道を左に曲がると鳥居が立っているのだ。Y字の右側が深間商店なので、鳥居と深間商店は背中合わせになるようにして立っている。鳥居を潜ると急勾配の階段になっていた。手すりも無いので、足を滑らせたら後ろに真っ逆さまに落ちるだろう。手に汗を握りながら登る天助に対して、小空と透真は慣れた様子で登っていく。
やがて、開けた場所に出た。顔を上げると、そこは誰も居ない境内だった。古びた社を囲むようにして木々が生えており、その葉のおかげで太陽の光が遮断されている。蝉の音が遠い。車の音も、人の声もしない。まるで、人から忘れられてしまったかのような場所である。
「此処、何?」
天助は木陰に汗を吸い取られていく感覚を覚えながら、小空に聞いてみた。小空は社ではなく、その傍らに建てられている小さな祠に向かっていた。その祠には、さっき小空に見せてもらったものと同じ飴が添えてあった。天助は小走りで彼女の背中に近づく。
「この飴を、此処に置くのよ」
小空が既に置いてあった飴と、今持ってきた飴を交換した。
「で、」
小空は目を閉じて、手を合わせた。ぱちん、という音が境内に響き渡る。天助は後ろの透真を見た。
「同じことやってみろ」
そう言われたので、天助は小空に並んで手を合わせる。これで何かが変わるのだろうか。これ以上いじめられないようにするためのまじないか何かなのだろうか。
三十秒ほどして、天助は目を開いた。
気づくと、隣に居るのは小空ではなくて透真になっていた。彼も真剣な顔をして祠に手を合わせている。後ろの社よりもこの小さな祠の方が重要なのだろうか。
天助が祠と透真の横顔を交互に見ていると、小空に呼ばれた。彼女が立っている場所を見て、天助はぎょっとした。
この神社は崖っぷちに建っている。さっきの急勾配を上って来たのはそのためなのだ。この境内は、落下防止用のフェンスで囲われていたが、小空が今立っているところはフェンスが一枚綺麗に無いのだ。もし足を滑らせて後ろに落ちてしまえば____命があるかも分からない。
「こっち、来てみ!」
そんな彼女があろうことか自分を同じ場所に立たせようとしてくる。天助は首を横に振った。
「お前、まだ天助から答え聞いてないのに隊員にしようとしてるだろ」
後ろから透真の声がした。
「何で? 答えはもうわかってるでしょ」
「許可なしに飛び降りさせたら雨斗かんかんだぞ」
「大丈夫だって!」
一体何の話をしているのか。
天助はまるで見当もつかない。すると、再び小空に呼ばれた。
「天ちゃん、俺らの仲間に入りたくない?」
「仲間?」
「そうだよ」
小空があの笑みを浮かべる。
「青空隊」
青空隊、と天助は彼女の言葉を復唱した。そして、あの家に集まっていた不思議な少年少女の正体がつかめたような気がした。この二人がどうして買い物代行をして、いじめっ子たちを撃退したのか。
「お人好しなヒーローごっこだよ」
小空が言った。
ヒーロー。たしかに、彼女たちはそんな言葉が似あうと思った。あの地獄のような日々から救ってくれた彼女らには、そんな言葉がぴったりだ。その仲間に、自分も。
「入れるの? 俺も、あのリビングに居て良いの?」
「もちろん」
「俺も買い物代行しても良いの?」
「まあ、それはあまっちゃんに聞かないとね」
もう一度手招きされる。今度は足が動いた。天助は彼女の傍までやって来た。フェンスが取り払われたそこからは、夏空がよく見えた。沸き立つ入道雲が、誘うように空に浮いている。
「青空隊に入隊する条件はただひとつ」
突然、片手に温かいものを感じた。それは、小空の手だった。
「この崖から飛び降りて、空に認められること!!」
ぐいっと体が引っ張られた。天助は足に力も入らず、体が斜めに傾くのを感じた。足が地面から離れる。頭が下になって、景色が逆さになった。重力に引っ張られる。
「行くぞ!」
突然、突風に襲われた。天助は目が開けられなくなった。容赦なく風が吹きつけてきて、かつてないほど髪が乱れる。自分が今どちらの方向を向いているのかも分からないくらい、天助は体をもみくちゃにされた。小空の手の感覚はまだあった。耳に吹き付ける風の音に混じって、微かに彼女の笑い声が聞こえてくる。
やがて、風が止んだ。
「目、開けてみな」
小空の声が近くでした。
天助は、強く閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
眼下に綿あめのような白い塊がある。周りを見回すと、それは天助の居る方へもこもこと盛り上がっていた。天助は気づいた。足の裏に地面の感覚が無いのだ。慌てて周りを見回すと、青色が続いている。太陽が突き刺すような熱を天助に浴びせてきた。
誰が何と言おうと、此処は天空だった。
「俺ら、浮いてる」
天助は言った。夢なのかもしれない。もしかしたら、自分は長い夢を見ているのかもしれない。
「浮いてるね」
小空がにやにや笑っている。
「天ちゃん、入道雲って知ってるか?」
「この、下にあるやつ……」
天助は眼下に佇む巨大な雲の塊を見た。入道雲を上から見下ろすなんて、絶対にあり得ないことだ。
「この中ってどうなってるか分かる?」
「わかんない」
小空が「じゃあ」と言った。次の瞬間、天助が片手に感じていた彼女の手の感覚がふっと消えた。
「確かめてこい!」
彼女の声は上から降って来た。それは、自分が降下していることを示していた。再び頭が下になった。かと思うと上になったり、横になったりと忙しく体が回転した。空気が変わった。視界が青から白へ、そして黒へ。体中が重くなった。冷たい。冷蔵庫に放り込まれるという表現が正しいのかは分からないが、そんな感覚だろうと思った。
重力は天助を容赦なく下へ下へと引っ張っていく。小空と手をつないでいた時はこんなに重力を強く感じなかったのだが、今はまるで自分に牙をむいているかのように強く引っ張って行く。
全てが初めての感覚だった。
そして、天助の片手には再び小空の手の感覚が戻って来た。
「天ちゃん、入道雲ダイブ成功!!」
顔に叩きつけるような雨が降ってくる。気づくと青空は何処にも無かった。眼下には暗い街が広がっている。遠くに天助が通っている中学校が見えた。
小空は、天助の手を掴んでいた。彼女の顔の向こう側には、この大雨を生む巨大な雲の塊が浮いている。自分はあそこから落ちてきたのだと、天助は再確認した。
「俺、あの中に居たの?」
「だよ」
小空が頷く。
びっしょりと体は濡れていた。下着まで水を吸っている感覚がある。普段なら不快で仕方がないのに、今はその感覚が嬉しかった。
あの重力の感じをもう一度試したくなった。この雲の上にもう一度出たいと思った。突き刺すような太陽の光に会いたくなった。
「天、って漢字は空って意味なんだよ」
小空が言った。彼女は自在に重力を操れるのだろうか。天助の体は、再び入道雲に向かった。
「好きになった? 空」
それは、少し前に彼女に受けた質問だった。あのいじめっ子を倒す前の、彼女が聞いてきた変な質問だった。
天助は満面の笑みで頷いた。
「うん」
彼の答えに、小空は嬉しそうだった。あの悪戯っぽい笑みから、少しだけ少女の一面が見えた。
「合格」
*****
「で、勝手に引き入れて連れてきたと」
雨斗は苛立った様子で頭を掻く。リビングにすら入れてもらえなかった三人は、玄関でびしょ濡れのまま正座させられていた。
「透真、止めなかったのか」
「まあ、仕方ないよな」
透真は吐き出すように言う。
「こいつが止まらなかったんだから」
彼の目は小空に向けられた。小空は酷く落ち込んでいた。それは、勝手に隊員を増やして怒られたからという理由ではなかった。彼女の手の中には、駄菓子屋の女将と交渉して手に入れた結川 ツユのブロマイドがある。入道雲ダイブによってびしょびしょになった服の中に入っていたのだから、ところどころ破れて悲惨なことになっている。彼女はそれがショックでここ三十分ほど泣いていた。
そんな二人の真ん中で、太陽のような笑み浮かべている少年が居る。彼は天助。青空隊の六人目の隊員である。
「……楽しかったか?」
雨斗は真ん中の少年に聞いてみた。
「うん!!」
呆れるほど元気な返事だった。
「……」
雨斗は大きなため息をつく。
「全員、風呂入って来い」
*****
夏空の下に、洗濯物が揺れている。大量の服の隣に、小さくスペースが作られていた。洗濯ばさみで挟まれて、ふやふやになったブロマイドが一緒に揺れていた。
この物干し竿に新しい服がかかるのも、そう遠くない未来の話。




