立ち向かえ神立!-2
中学校も夏休みに入ろうとしていた。天助は例の二人と、教室にて遊ぶ約束を立てていた。
「決めた日に、公園に集合しようぜ」
「そうだなー」
教室に居るときは、誰から見ても仲が良い三人組だ。今日も終業式でいつまでも喋っているので、「一人が黙ることから始めろ」と担任に叱られたのだ。天助はその叱りすら嬉しいのだ。周りから親友と認められていると分かるからである。
金で繋がった関係だとしても、天助にとって二人は無くてはならない大切な存在なのだ。天助は二人を本当に親友だと思っているのだった。
「じゃあ、行くか」
「おう」
「行こう」
三人は、教室を出ていつもの場所に向かう。体育館倉庫の裏だ。此処はよっぽどのことが無い限り人が来ないので、彼らにとって格好の狩場だった。その「彼ら」には天助は含まれない。そして、「獲物」は金だ。
「最近、何を買うにしても金がいるなー」
先に倉庫裏に来た海靖が、わざとらしい物言いで天助を振り返る。天助は「そうだね」と緊張しながら頷く。物価高ということを言いたいのだろうが、買いたいものなどそもそもない天助にその言葉はあまり響かない。買うお金すらないのだ。ただ、肯定することで彼らの機嫌を損ねないようにするのは大切なことだった。
「夏休みに入るってことはさ、給食なんか当然ないわけ。それに、遊ぶ回数が増えるってことは……どういうことか分かる?」
海靖の大きな体が壁のように立ちはだかる。天助は頷いた。意味はよく分からなかった。
「こいつ、よく分かってないと思うぞ」
後ろから央大が言った。天助は肩を竦める。央大は人をよく観察している。嘘も全てバレてしまう。親友に嘘をついてはならないのだ。天助はいつ拳が飛んでくるかとびくびくしていた。
「あー、分かってないか。天助、ようはいつもより金が必要なんだよ。友達として遊んであげる分、夏休みは友達料金が上がるの。そうだなー、毎回会うごとに三千円で、どう?」
「三千円……?」
「安いよねー。千円札三枚。まあ、これくらいなら朝から昼くらいまで一緒に居てあげても良いよ」
「あ、あの、海靖……」
天助は声を絞り出す。この前央大に踏まれた背中がじくじくと痛んだ。
「俺、お母さんに少し怪しまれてるんだ。前に財布からお金抜いたのはバレなかったんだけど、最近何か大きなものを買ったのか聞かれて……」
「ふーん」
海靖は目を細める。
「それで、なんて答えたんだ?」
「えっと……」
天助の目が泳ぐ。
「図鑑……」
「図鑑?」
後ろで央大が吹き出すのが聞こえた。
「お前、それマジで言ってるのか? どこに真面目に図鑑を買うような中学生が居るんだよ。こんな町で真面目に図鑑読むようなやつは居ないんだよ。やっぱり違うなー、テンコーセーは」
「俺らのことは母親に話したのか?」
「ううん、話してない」
「へー、そりゃ良いや。やっぱりお前は良いやつだな」
海靖が笑って、天助の肩を叩いた。最初は驚いたが、どうやら機嫌が悪いわけではないらしい。天助は笑みを浮かべて、頷いた。
「ま、それとこれとは話は別な。三千円が用意できないのは、お前が一人でどうにかすれば良い。母親がだめなら父親の財布からでも盗んで来い。もし用意できなかったら、そうだな」
海靖と央大がアイコンタクトを取ったのが、天助には分かった。
「もう夏休み明けからは、シンユーごっこは終わりだ」
「え……」
天助は目を丸くして海靖を見上げる。
「やだ。絶対にやだよ」
「じゃあ簡単だ。金を用意したら友達でいてあげるって言ってんだから。ああ、シンユーか」
「三千円だよね……」
「おう。毎回会うたびに渡せよ。許可なく少なく持ってきたらぶん殴るからな」
「分かった……」
天助は頷いた。海靖は満足そうに頷いて、「じゃあ」と笑う。彼は手のひらを出して来た。
「まずは頭金。はい、今ここで三千円出して」
*****
今日は腹が痛い。
よろよろと歩きながら、天助は腹を擦る。
今日は一銭も持ってきていなかった。三千円などと言うのは、中学生の天助からしたら大金だった。家での小遣い制が決まった時に真っ先に買うべきだと思ったのは、友達の話題についていくためのゲームだった。ただ、三千円で買えるゲームなどほとんどない。それならば、むしろたくさん貯めて、今度生まれる弟か妹にでも何か買ってあげようかと思っていたのだ。もうそれはできなくなってしまったが。今の自分は、人の財布から勝手に金を抜くほどに貧乏になっている。
家が見えてきた。天助の腹はさらに痛む。
母には、まだ何もバレていないはずだ。財布からお金が減っていることや、海靖と央大に友達料金を払っていること。父もきっと知らない。卒業するまで誰にも知られないようにしなければならない。
バレたらどうなるのだろう。親の金を無断で人に渡すというのは、何かしらの犯罪になるのだろうか。学校の先生はどんな顔をするのだろう。こんなことをするような子だったのか、と驚かれるのだろうか。いや、それ以前に、あの二人にどんなお仕置きを受けるのか。親友が終わってしまう。そんなことは絶対に嫌だった。
「ただいまー……」
家に戻って来た。ひんやりと涼しい。
靴を脱いで家に上がる。誰も居ないのではないかと思うほどに、とても静かだった。
今日は検診の日だっただろうか、と天助はリビングに顔を出す。すると、リビングのテーブルの上におやつが置いてあることに気づいた。母が用意してくれたらしい。冷房もついていて、天助が帰って来るのを見計らってつけたようだ。
天助は鞄を背負いながらテーブルに向かった。見ると、シュークリームだ。冷蔵庫から出したばかりのようだが、部屋には誰も居ない。いつもならばおやつが用意されているだけだが、今日はその横にメモ用紙と三千円が置いてあった。母の字で以下のことが書いてある。
『今日のおやつは、パパのお土産のシュークリームです。手を洗ってから食べてね。それから、三時に買い物代行さんが来ます。お金を置いておくので、代行さんが来た時に払ってね。ママは上で寝てます』
天助はそれを読んで、三千円をじっと見た。そして、頭を振った。これは手を出してはいけないお金だ。買い物代行を頼んでしまったのだから、お金を払わないのはいけないことだ。海靖や央大に渡すわけにはいかないのだ。
手を洗って、天助はシュークリームを食べた。静かな部屋の中で、彼はただ黙々と口を動かす。三千円がどうしても目から離れなかった。
*****
「あー、暇」
夏休みが始まって少し。小空はリビングのソファーに寝転がって、テレビを見ていた。美味しそうな料理が次々と流れてくるが、嵐平ではないのでそこまでそそられない。
リビングには小空以外誰も居なかった。雨斗はまだ学校だ。青咲は仕事。嵐平は家に一時帰省している。嵐平は午後には帰るという話だったが、今はまだ真昼間。夕食の香りが立ち込めた頃に玄関の扉が開くだろう。
しかし、家には小空の他にもう一人だけ居た。透真である。彼は小空よりも早くに夏休みに入ったが、二階の自室から全く出てくる気配がない。冷房をガンガンに利かせて、ゲームに夢中になっているのだろう。夏休みはゲーム三昧に違いない。
小空はテレビをぼんやりと見ながら、画面の左上に表示された四つのデジタル数字を見る。ちょうど、夏雲が良い具合に育っている時間帯だ。夏休みに入れば雨斗の許可なく空を飛んで良いというルールがあるのだが、小空はこのソファーから動く気配を見せない。
面倒くさいことに、彼女にはこだわりがあるのだ。
夏空は二人以上で楽しむものである。一人で飛んでも、楽しさを共有できる人が居ないのであればつまらないというのだ。他の隊員はそれが理解できないようだった。
「せっかく入道雲出てるのになー……」
小空がぼそりと呟いた時だった。彼女のスマホが振動した。メールが入ったらしい。見ると、雨斗からだった。
『買い物代行の任務が一件入った。』
「えー」
小空は体を起こす。テレビを消しながら、天井を見上げる。ゲームを邪魔されたら怒るだろうが、話し相手が居た方が任務は楽しいのである。
*****
天助がリビングでテレビを見ていると、インターホンが鳴った。買い物代行が来たようだ。散々悩んだ末に、彼は三千円を握りしめて玄関に走った。扉を開くと、現れたのは二人の男女。高校生くらいだろうか。
一人は、短い髪を後ろで束ねた少女だ。余った髪を顔の横にゆらゆらと垂らしている。背は天助と同じくらい低い。頭にはキャメルのキャスケットを被っており、白いTシャツが目に眩しい。キュロットパンツから見える足もまた眩しかった。もう一人は背が高い。黒髪に紫のメッシュを入れており、全体的に黒で統一した服装だ。目つきが悪く、第一印象がヤンキー、と天助は思うのだった。
「買い物代行でーす」
少女の方がビニール袋を差し出してくる。天助はそれを受けとり、彼女に三千円を渡した。
「はい、たしかに。じゃあ、また何かあったらよろしくどうぞー」
少女がにっと笑って、扉の向こうに消えた。天助は浅く礼をして、彼女らを見届けた。ぼんやりと玄関に突っ立っていたが、彼は何を思い出したかリビングに走った。そして、家の前が見えるリビングの窓に寄る。レースカーテンを捲ると、家の前の道を歩いていく今の少女たちの姿が見えた。
少女の方は、少年に楽しそうに話しかけていた。声からして明るそうな子だった。あの二人は恋人なのだろうか。
恋人になるのも、お金が必要なのだろうか。
「パパはママに何円払ったんだろう」
天助はボソッと呟く。ビニール袋の中を見ると、今日の夕食になるのであろう、冷凍食品と、天助のためのものなのかお菓子が入っていた。天助は冷凍食品を冷凍庫に入れた。お菓子は明日のおやつにしよう、と棚にしまう。
ソファーに戻ろうかと思ったところで、再びインターホンが鳴った。さっきの代行が戻って来たのだろうか。
天助は再び玄関へ走った。
*****
「何で俺が買い物代行に付き合わされるんだよ」
透真は不機嫌そうに棒アイスの袋を開ける。その隣で小空はけらけらと笑った。
「部屋に引きこもってないで外に出た方が健康的かなって思ってさ」
「勝手に決めるな」
二人は深間商店に居た。年老いた店主がたった一人で営んでいる小さな駄菓子屋だ。風鈴の音が柔らかく響く道路には、車が滅多に通らない。
「夏休み、始まったねー」
小空は空を仰いで言った。夏雲と目が合う。
「そうだな。海外任務があるとか言ってたよな、雨斗」
透真は棒アイスを咥えて、道に出来上がる陽炎を見つめている。夏雲の横を真っ白な飛行機が横切って行く。
「……」
「……」
「……飛びに行こう!!」
「言うと思った」
透真が呆れ顔を小空に向ける。
「いつも言うけど何で一人で飛ばないんだよ。入道雲ダイブぐらい一人でしろ」
「分かってないなー、あれは一人より二人の方が良いんだって。透真が下に居ないと地面分からないし」
「俺がびしょ濡れになるんだよ」
「それはお互い様」
小空がサイダーの瓶の底を空に見せた。ビー玉の涼しげな音が鳴る。
「飴買ってくる! 透真はさっさとアイス片付けろよー!」
そう言い残して、少女は駄菓子屋の中に消えていった。一人残された少年はため息をついて、アイスを口に咥える。棒を伝って、甘い汁が彼の手を濡らした。
「……手洗うにはちょうど良いか」




