朧月夜に万引き犯 後編
西谷 惟月はその日もクルミ屋に来ていた。
一週間前からこの場所は彼の万引きのテリトリーと化している。
閉店間際になると客は少なく、レジは若い女性一人だけで、あとは数人掃除しているスタッフがいるだけだ。防犯カメラの死角も一日目の下見で確認済みで、今まで特に問題なく物を盗めている。
万引きなど最初はとんでもないことだと思っていたが、このスリルに一度手を出せば二度と後戻りは出来なくなってしまう。
高校二年生の終わりから、受験だ、就職だと迫られる中で嫌気が差して始めた悪い遊びのひとつだった。案外バレないものなので、将来はこれで飯を食っていけるかもしれない、と最近本気で思い始めていた。
そう、最近までは。
その日だって、自然に店に入ったのだ。少し気になったのは、後ろから知らない男女がついてきていること。会話の内容を聞く限り二人は知り合いのようで、友達か兄弟かは分からないが、仲は良さそうだった。
今日はこの二人の目も気にする必要があるようだ。
だが、惟月はもちろん自信があった。
今まで声をかけられたことすらないこの万引き行為に、彼女らは気づくことなんてない。
「なあなあ、アマト? お菓子買ってきていい?」
惟月がお菓子の棚を眺めていると、裏側から少女の声がした。
後ろからついてきていたあの少女の声だろう。低くも高くもない、中性的な声をしている。
それに続いて、
「今日は明日の昼飯買いに来たんだろ」
と、低い男の声が聞こえてきた。きっとあの青いパーカーの男だ。
「いいじゃん、どうせセイサクから予算より多く持たされてんだろー?」
女にしては男みたいな口調で喋るな、と惟月は思った。見た目からして中学生くらいだったし、そういう口調に憧れる時期なのかもしれない。
「一個な」
男の呆れた声がした。
「お、わかってらっしゃるじゃないですか」
惟月は反射的に顔を上げた。
話の内容からして今少女はこのお菓子コーナーに来ようとしているようだ。これでは盗みができないではないか。
少女の足音が聞こえてきて、惟月は一旦距離を置こうと少し離れた位置に立った。
棚の向こうから声の主が現れる。淡い色のパーカー、マスタードイエローのハーフパンツ、キャメルのキャスケット帽。帽子からは小さく纏められた髪がぴょこ、と出ており、余った髪を横に垂らしている。背は小さく150cmあるかないかだった。
惟月は彼女に顔を見られないよう、なるべく自然に下のお菓子を手に取って見ていた。
怪しい動きをしたってあんな小さい少女、万引きに気づくことすらないだろうが。
「どれにしよっかなー」
少女は独り言なのか、そんなことを言いながらクッキーの箱やらスナック菓子の袋を眺めている。
そして、
「おー、良いもの発見ー」
惟月は視界に入ってきた淡いパーカーの袖にぎょっとした。
少し前まで何メートルも離れた位置にいたはずの彼女が、今、ピタリと自分の横に居たのだ。
棚の裏から回ってくる時にしていた足音は全くもって聞こえなかった。
少女の手は、惟月の足元にあったファミリーパックのチョコレート菓子を掴もうとして止まった。少女が不思議そうな顔をして惟月のことを見上げていた。
「お兄さん、もしかして、彼女募集中っすか?」
「......は?」
少女の口から飛び出た謎の質問に、惟月は頭の中をハテナで埋め尽くされた。音もなく近づいてきたと思ったらなんてことを言い出すのだ、と思ったが、惟月は次の瞬間ハッとした。
首の後ろに違和感がある。
惟月は慌ててパーカーのフードに触れた。指先に感じるものが裏地だと分かったと同時に血の気が引いた。
しかし、次の瞬間、少女はパッと花のような笑顔を見せた。
「んやー、うちの学校で流行ってたんですよね。フードが裏返しになってると恋人募集中っての。お兄さんも裏返しになってたんで、ついそうなのかなー、って」
少女は手にファミリーパックのチョコレートを持ってプラプラと振った。惟月の口から「ああ......」と間の抜けた相槌の声が出る。
心臓が変に音を立てている。
惟月は今、これまでに無い感覚に陥った。
万引きがバレている______
何故か。惟月は万引きの商品をいつもフードに隠していたのだった。
頭を搔く振りをして店員の前でフードを触っても、レジ打ちをしている店員の前でフードが気になるふりをしても、絶対に気づかれない。最大限の楽しみ方だった。
ポケットに入れるなどそんな絵に描いたようなことはしたくなかった。自分の中で、自分だけのオリジナルの盗みを考え出した結果だった。
少女の屈託のない笑顔に惟月は大混乱していた。
フードが裏返しになっていた? そんなはずはない。裏返しになっていたのなら、首の後ろに当たる生地の違和感で気づいただろう。
なのに、今少女に言われるまで自分は気づかなかった。
たしかにフードは裏返っている。
少女は純粋な疑問で自分にそう問うたのだろうか。学校で流行っているということをしている人間をたまたま見つけて、嬉しくなって声をかけたのか。
だとしても、何故、よりによってパーカーのフードのことを口にする。
「おい、決まったか」
棚に向こうから声がした。さっきの男の声だ。少女が「あー」と曖昧な返事をする。
「もうちょい待って」
「分かった」
少女はファミリーパックを手にして真剣に悩んでいる様子だ。
やはり偶然話しかけられただけなのだろう。
惟月は思った。
今日は止めだ。直ぐにこの場を立ち去ろう。
そう思っていたが、
「お兄さん、ファミリーパックか、普通の箱で買うかってなったら、やっぱりファミリーパックの方がお得ですか?」
再び少女が話しかけてきた。
惟月は勘弁してくれ、という思いで軽く少女を睨んだが、少女の純粋無垢な目は惟月をしっかり捉えている。
彼女はきっと他人に話しかけるのが好きなのだろう。たまに居るのだ。誰彼構わず友達のように話しかけるやつが。それにしてもどうでもいい質問である。
だが、そんなことを言って不審に思われても迷惑なので惟月は愛想笑いを浮かべた。
「そうだと思う」
適当にそんなことを言ってやった。
少女は「ははーん」と適当な相槌を打ちながら、ファミリーパックの説明書きを読んでいる。
(聞いておいて何なんだよ)
心の中で突っ込むと、少女は「よしっ!」と満面の笑みを浮かべた。
「じゃあお兄さんの意見も参考にファミリーパックにしますね!! 箱じゃ入ってない味もあるから、やっぱこっちの方がお得な感じしますよねー!」
大事そうに袋を胸に抱える少女。そして、やっとその場を離れる気になったのか惟月の後ろを通っていく。いや、通って行こうとした。
「あー、そうだ。お兄さん」
少女の声が弾んだ。
「隠すならフードはあかんすよ。防犯カメラから案外見えちゃうからさ」
惟月の体全体に汗が吹きでた。
「自分から言った方が良いことあるかもですよ。ご参考までに」
足音が離れていく。今度は確実に足音が聞こえた。惟月は震える両腕を抱きしめるようにしてその場に座り込んだ。
酷い目眩がした。少女が持っていたものと同じ袋がまだ陳列棚に並んでいる。ファミリーパックの文字が妙に滲んで見えた。
*****
由麻は仕事が終わり、休憩室に居た。隣には店長の桑田。そして二人の前にはあの男性が立っていた。
名前を西谷 惟月というらしい。
やはり彼は万引きをしていた。隠していたのはジーンズのポケットでも、パーカーのポケットでもなかった。彼はパーカーのフードに商品を入れていたのだという。
彼の手口としては、まずターゲットの店を決めたら防犯カメラの死角を確認するために視察をするのだそうだ。続いて店員の人数や、客の数。大抵の店はこの時間に客足が途絶えるので、店の目さえ注意すれば取り放題だったのだとか。
更に由麻が驚いたのは、桑田と惟月の関係性だった。彼は桑田の息子の同級生だったのだ。小さな町なので、クラスの面子は幼稚園から中学校までほとんど変わらない。
友達の母親ともなると当然顔など覚えられているわけで、惟月は罰悪そうに床から視線を上げようとしなかった。
桑田は彼に万引きした理由、今まで盗んだ商品の行方などを事細かに聞いていった。
聞いていく中で、彼は勉強が上手くいっていないことが原因で万引きを始めたことが分かった。
単純で、もったいない、と由麻は思った。勉強が上手くいかないことで万引きに走るなど、もっと他のやることがあっただろうに、と。
長い事情聴取が終わったところで、桑田の口調が和らいだ。
「お母さんとか、元気?」
「元気、です」
あまりにも質問の内容が変わったので由麻も惟月も驚いていた。
「そう、よかった。じゃあ悲しませちゃダメじゃない。元気なお母さん困らせちゃ」
「......」
惟月は何度も頷いている。反省はしているのか、由麻にはよく分からない。だが、桑田は腕組をして、「あのね、惟月君」と諭すような口調で言った。
「万引きは悪いことだし、君のやってきたことは褒められることじゃないけれど......もう一度やり直すなら、私、応援したいと思ってるんだ」
惟月は驚いた様子で顔を上げた。
「今回のこと......本当はいけないよ。でも、警察には黙っておくってことでどう?」
「......」
「桑田さん、それは_____」
由麻は流石にまずいだろう、と口を挟もうとした。が、それは桑田が手で制した。
「その代わり、三つ宿題を出します」
桑田が三本指を立てて、惟月の鼻先に突き付けた。
「ひとつ、お母さんと夕食一緒に食べること」
「......」
「ふたつ、挨拶すること」
惟月も由麻もぽかんとしていた。由麻は宿題の内容よりも、彼女が警察に話をしないということに衝撃を受けていた。
万引きを見過ごすというのは店長としてどうなのか。
しかし、彼女の目に迷いのようなものは全く見られなかった。
「みっつ、」
桑田の口の端が持ち上がった。
「このお店で三ヶ月バイトをしてください」
「えっ」
「えっ」
由麻と惟月は同時に声を上げた。桑田がふふ、と笑った。
「盗まれたらどんなに大変か、働いてもらったお金で買うとはどんな気持ちか、君には感じてもらいます」
「......」
桑田はパン、と惟月の肩を叩いた。
「二度目はないよ。しっかりやりな」
「......はい」
*****
「歩きながら食うなよ」
「んー」
青いパーカーの少年は隣で買ったばかりのお菓子を口に含んでいる少女に言う。
「警察に届けは出さないって......お前、いいのかそんなことして」
「んー」
「......おい」
少年の苛立ちの混じった声に気づいたのか少女はお菓子を飲み込んだ。
「いいじゃん、子どもの味方するのが俺らの仕事だし」
少女はそう言って、もうひとつお菓子を取り出す。
「桑田さんも言ってたじゃん。二度目はないって。あの人ああいう子を何回も見てきたんだってさ。今回は知人だったってこともあって色々考えたけど、俺もあの、惟月君だっけか? ちゃんと出来そうな子だったし」
少女は笑みを浮かべてお菓子の包装紙を破いている。
「ま、フードに隠すってのは目からウロコだったけどなー。ありゃわかんねーわ。座布団一枚」
「......お前な」
少年はため息をついて、空を見上げる。薄く雲がかかった月がぼんやりと辺りを照らしている。何処かで犬の鳴き声がした。
「朧月だな」
「ねー」
「......惟月っていったよな」
「うん」
「......いい名前だな」
少年が小さく言った。少女が笑う。
「アマトだっていい名前だよ」
少女の言葉に少年は何も言わなかった。
*****
後日、二人はクルミ屋に向かった。スマホにメモした「買うものリスト」を開く少年の隣で、キャスケット帽の少女はぐる、と店内を見回す。
そして、ニヤニヤと笑みを浮かべながら隣の少年を肘で小突いた。少年が迷惑そうに顔を上げる。
少女の視線の先を辿ると、昼間の忙しいレジの内側で、緑色のエプロンを身につけた惟月がぎこちなく接客をしているのが見えた。