表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青空隊  作者: 葱鮪命
26/54

卯の花腐すは母の愛-4

「ふーっ!!!」


 マイクを持って踊りながら歌うその少女に、合いの手を入れるもう一人の少女。この空間を他の人が覗いたら、カメラを向けるかもしれない。


 このカラオケルームの中では今大人気の動画配信者・ツユが、一人の少女のためだけに小さなライブを行っているのだ。


「いいねえ、最高ー!! 次、次これ歌って!!」


 小空(こそら)は予約した曲の画面を彼女に見せる。


「あのね......」


「あ、待って! やっぱこっち!!」


「......ちょっと」


 ツユはため息混じりに言うが、小空は聞いていないようだ。ファンの一人として、この状況に興奮しているのだ。スマホで動画を撮られていないだけ、まだ質の高いファンだろうか。


「ちょっと休憩させて」


 ツユはマイクを置いて後ろにあるソファーにドサッと腰を下ろした。コーラに手を伸ばし、ストローを口に咥える。


「やっぱ上手いね、歌。本人が歌ってくれるツユちゃんの曲なんて最高じゃね?」


 小空は興奮した様子で語っている。ツユはそれを冷めた目で見ていた。


 さっきまでカメラの前に居る時とは変わらない、『結川(ゆかわ) ツユ』を演じていたが、今はその仮面も完全に剥がしている。自分の部屋でしかできないことを、一人の少女の前でしているのだった。


「......ねえ」


「んー?」


 小空が顔を挙げずにタブレットをいじっている。予約する曲を決めているらしい。このカラオケルームに入ってから、歌っているのはツユだけだ。


「私、これからどうしたらいい?」


 小空がそこでようやく顔を上げた。


「帰れないでしょ、今日。だって、あんなに怒らせてるんだから......」


 ツユは鞄に放り込まれているスマホをチラリと見やった。今日は帰らないのが賢明だ。今までにないほど母親を怒らせているのだ。当然、仕事の人間だって巻き込んでいる。そんな敵だらけの場所に戻るほどの勇気は無い。


「......泊まってく?」


「はあ?」


 小空はニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。彼女のあの表情は、どの役者にも出せない雰囲気がある。悪いことを考えている子供のような、ワクワクを掴みに行くような、そんな顔だ。


「大丈夫、いくら可愛くたって手は出さんよ」

「当たり前でしょ」


 ツユが言うと、小空が「はははっ」と笑った。


 *****


「......本当にいいの?」

「大丈夫じゃないかな。どうせお母様は戻ってくるなんて思ってないよ」


 連れてこられたのは、住宅街にある一軒家だ。小空の家なのだろう。夕暮れの住宅街には、良い香りが立ち込めている。


「まあ、事務所の人が押しかけたら適当に返すよ。そういうエキスパートも居るし」


 そう言って彼女は家の扉を開いた。「ただいまー」と言って中に入っていく。ツユも恐る恐るそれに続いた。


「おかえり、小空。任務は上手く行った?」


 若い男の声がした。


「んー、どうかな。停戦中」

「停戦?」


 奥から足音がして、青髪の青年が姿を表した。エプロンをつけた、若い男だ。彼はツユを見るなり目を丸くしている。


「......ツユちゃん?」


 彼の口から、まるで幽霊でも見たかような声色で、自分の名前が出てきた。ツユは「初めまして」と小さく頭を下げる。


「は、初めまして。小空、どういうこと?」

「愛の逃避行」

「何言ってんの!?」

「なるほど」

「分かったんですか!?」


 一体どういう会話だろう。


 彼女たちの関係が分からない。小空を見ると、靴を脱いでいるところだった。


「まあ、上がってって。青咲(せいさく)、良いっしょ?」

「うん、いいよ。ツユちゃん、ゆっくりしていってね」


 そう言って、彼は奥に引っ込んで行った。ツユはぽかんとその場に突っ立っていた。


「ほい、行こう」


 小空に促されて、ツユはそっと靴を脱いだ。


 *****


「ごめんね、簡単なものしかできなくて。お口に合うといいんだけど......」


 リビングには五人の男女が集まっている。小空、ツユ、青咲。そして、黒髪に緑のメッシュを入れた少年。彼は嵐平(らんぺい)というらしい。もう一人は艶のある黒髪のメガネをかけた少年だ。彼は雨斗(あまと)というそうだ。


 青咲がリビングに運んできたのは、すき焼きだった。解いた卵の小皿と椀に盛られた白米が目の前に置かれる。


「美味しそう......」


 誰かの手作りは久々だ。最近はコンビニ食や買ったもので済ましていた。楽屋の弁当も飽きていた。こういう家庭的な食事は、母親が面倒くさがって作らない。


「いただきまーす」


 小空が肉を摘んで自分の皿に持っていく。嵐平もすぐに箸を伸ばした。


「ん!! うまー!」

「ちょっと、お客さんが先!」


 リビングが一気に賑やかになる。特に青咲と嵐平の攻防が激しい。


「こら、嵐平! お肉何枚持ってくの!」

「許容範囲」

「なわけないでしょ! ごめんね、ツユちゃん」

「いえ......」


 ツユも肉を口に運ぶ。あまじょっぱい。白米を口に含み、烏龍茶でそれを喉に流した。


「ど?」


 小空が顔を覗き込む。


「美味しい。すっごく」

「そりゃよかった」

「うん、よかった」


 小空も青咲も嬉しそうだ。ツユは静かに箸を進める。雨斗という少年はさっきからスマホを触って箸が進んでいない。彼を見ていると、小空の腕が視界に入ってきた。ツユの前にあったテレビのリモコンを掴んだらしい。


「テレビつけるねー」


 そう言って、リビングのテレビがパッとついた。ツユの咀嚼が止まる。


「あ、奈美恵なみえさんだ」


 小空の声が上ずる。ツユはテレビの画面を恐る恐る見た。鬼の形相はそこにはいない。何人ものファンを虜にしてきた名女優の顔があった。


「ドラマ、今度のやつも出るんだっけ」


 青咲が野菜を取り分けながら聞く。


「そうそう。花屋の役って言ってたっけ。花に囲まれた美女とかメルヘンだなー」


 小空は完全に箸を止めてテレビに釘付けだ。


 このドラマの母は医者の役だ。何人もの患者に恋文を送られても、彼女の思いはただ一人、過去に死別した旦那に向かっている。甘酸っぱい恋愛ストーリーを描いたものらしい。

 勉強のために、とツユは台本を渡されて読んでみたが、いまいち面白さが分からなかった。


「ツユちゃん、お肉もっと食べる?」

「......いただきます」


 ツユは皿を差し出し、肉を分けてもらった。


 カラオケルームで電話をしてからスマホを一度も開いていない。小空の電話で諦めてくれただろうか。外泊など母の許可無しにすることは初めてだ。今日は母の掟を破ってばかりだ。まるで、違う人間の人生を歩んでいるように感じる。


 *****


「ツユちゃん、お風呂どうぞ」


 夕食を食べ終えてリビングに居ると、青咲がそう言ってきた。


「あ、ありがとうございます」


 すっかり泊まることになってしまったので、ツユは申し訳なくなる。だが、この家から出ていくとなったら、自分は本当に行く場所がない。


「俺も一緒に入る」

「小空は後で」

「ケチ......」


 小空を抑えて、青咲が「これ、小空のだけど」と服を渡してくれた。


「入るかな」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 受け取って、ツユはリビングを出る。小空も後ろから着いてくるらしい。


「覗くの?」

「え! いいんですか」

「バカ」


 風呂場の場所を案内するつもりだったらしいが、彼女がすることはだいたい裏がありそうでならない。


「奈美恵さん、大丈夫かな」


 脱衣所について、ツユは小空を振り返る。


「さっきの感じは大丈夫。今頃顔パックして寝てるよ」

「何で分かるの」

「勘よ、勘」


 小空が扉に手をかける。ごゆっくり、と言ってその向こうに消えていった。


「......」


 ツユは服を脱ぎながら脱衣所の中に視線を巡らす。ふと、洗面台に置かれた詰め替え用のシャンプーに母の顔を見つけて自然と目を逸らした。そう言えば、シャンプーのCMの仕事もしていたのだ。母の自然な演技は、女優として尊敬している。


 次の役は花屋。

 花に囲まれた美女。


 今度はどんな名演技でお茶の間を沸かすのか。


 ツユはぼんやりと突っ立っている自分に気づいて、慌てて服を脱いだ。


 *****


 小空の部屋は思っていた以上にシンプルな部屋だった。窓が二つ、クローゼット、机、ベッド、ビーズクッション。しかし、


「いやあ、だってツユちゃん来るって言うなら不快にさせたくないし......」


 恥ずかしげに言う彼女がクローゼットの中身を見せてくれた。なかなか際どい女性のポスターがどっさりと入っていた。


「......壁が寂しいなと思った」

「普段はカレンダーすらかけられないほど埋まってるからね」


 何処か誇らしげだった。大事な女優コレクションらしい。本当に女子高生なのだろうか。


「青咲が布団を用意してくれたから、私は床で寝るよ」

「いいよ、そんな」

「大丈夫!! 床大好き!!」


 嘘つけ、と呟いて、ツユはビーズクッションにそっと腰を下ろした。


「疲れちゃった」

「今日歩いたもんねー。感情も揺さぶられただろうし」


 小空も横に腰を下ろし、足を投げ出して座った。


「......私、少し考えてみたんだけど」


 ツユは目を伏せた。


「奈美恵さんが女優として活躍しているのを見ているのって、一番は私なのかも。私の自然な演技って、全部奈美恵さん譲りで、あの人を一番近くで見てたから築かれたもので」


 ツユはポケットに入れていたスマホをそっと開いた。メールは入っていなかった。


「大嫌いだけど、たぶん、一番好きな女優さんかも」


 スマホから顔を上げると、小空は微笑んでいた。


「女優としては100点満点ってこと?」

「うん、勝てる人いないよ。母親としては0点だけど」

「最高じゃん。ステータス全振り」


 小空が笑って、「寝よう」と立ち上がった。


「明日、家に帰ってみてもいい?」

「もちろん。春花(はるか)がそうしたいなら」


 ありがとう、と言ってツユは顔が真っ赤になった。顔を上げると、やはりあのいたずらっぽい笑みがあった。


「何で急に呼ぶのっ!!」

「可愛いー。今の録画したかった」

「バカ!!」


 *****


 次の日、ツユは小空の家を出た。駅まで送る、という彼女に甘えて、駅まで歩いていく。帽子を深深と被り、通勤するサラリーマンの波に乗った。


「はい、これは切符代」

「え?」


 改札口にて、小空から硬貨を何枚か渡された。ツユは戸惑って彼女を見る。


「切符? 私、電子マネーだけど」

「電車に乗るためのもんじゃなくて」


 小空がツユにしっかりと硬貨を握らせる。


「お母さんとの仲直り片道切符。今の時期は......カーネーションがおすすめかなー」

「......」


 ツユは硬貨を受け取った。じんわりと温かい。


「......ありがとう」


 小空はニッと笑い、踵を返して人混みの中へ姿を眩ませた。ツユはそれを見届け、硬貨を握り直す。初めてのお使いをするような、不安と期待が入り交じった気持ちが彼女をホームへ急がせる。


 頭に帰る途中までの地図を思い浮かべた。その中に花屋は無いかと、彼女は考えて電車に乗り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ