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青空隊  作者: 葱鮪命
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卯の花腐すは母の愛-3

 食べ歩きはダラダラと続いた。クレープで始まり、たこ焼き、ソフトクリーム、焼き鳥、ワッフル......。


 さすがに腹もいっぱいだ。リストにはまだ行きたい店の名前がチェックボックスを空にして並んでいるが、ツユはそれを諦めた。


「次、どこ行く?」


 小空こそらが聞いてきた。ツユはリストに目を落とす。食べ物以外でも、したいことはメモしてきた。リストには「カラオケ」や「猫カフェ」の文字が並んでいる。


 その中でも、ツユは一番行きたい文字を指さして小空に見せた。


「はあ、ゲーセン......」


 小空が意外そうに自分の顔を見てくる。


「悪い? だって、こんな場所絶対に、奈美恵なみえさんは連れて行かないから」


 まだ母親を名前で呼ぶことに抵抗があったが、言い切ると爽快感が襲う。やってやった、とそんな感覚だ。母親にやられていることを返してやっているのだ。文句は言わせない。


「一人で外出もしないの?」

「当たり前でしょ。絶対に誰かの目があるもん。今日だって......奈美恵さんには黙って出てきたんだから」

「はえー。ヤンキーかよ」

「うるさい」


 良いから行こう、と小空を引っ張る。そう言えば、人と手を繋いだのもいつぶりか、とツユは思った。


 演技の上で手を繋ぐことなど何度もあったが、こうしてカメラも向けられていないところで手を繋ぐ行為をする_____なんだか、犯罪に近しいことをしている気分だ。


 パッと手を離したのも束の間、小空が握ってくる。


「よし、行こう。近くにでっかいゲーセンあるみたいだし」


 スマホを片手に彼女がそう言ってグイグイ引っ張っていく。温かい手の体温に、ツユの顔が自然と綻ぶ。


(......楽しい)


 ツユは彼女の手を握り返し、帽子とマスクの下でずっと笑っていた。


 *****


 ゲーセン、所謂(いわゆる)ゲームセンターは、ツユが人生で一度も足を踏み入れたことのない未知の領域だった。常に耳に音が流れ込んでくる。色々なゲーム機が発する音が混じりあって、煩さの域を通り越していた。


「で、何やりたいの?」

「決めてない」


 結局手を繋いだま二人はゲームの海を少しの間漂った。アームに引っかかったお菓子の箱や、山のように積まれた人形、フィギュア。キャラ物に関してはさっぱりだが、見ているだけでも癒される。


「これ!」


 ツユが反応したのは猫のマスコットキャラクターのストラップだった。知らないキャラクターだが、猫は好きだ。黒い目がツユをガラスの向こうから見つめている。救助を待つ子どものようだった。


「じゃあ、お金入れて」


 小空が100円を何枚か入れた。ツユはボタンを押す。アームが動いてストラップに降りていく。驚くほどゆっくりしたスピードに、ツユは「遅っ!!」と悪態をつく。


「こういうもんだって」

「もっとパッと取れないの?」

「そういう設定なんだ、残念ながら」


 ストラップはアームに掴まれたはいいものの、微妙な隙間をアームが作っていたのでそこから滑り落ちて元の位置に戻ってしまった。


「これで終わり?」

「そう」

「取れないじゃん!!」

「確率ってやつ。待っててもお金取られるだけだって」


 小空が貸して、と場所を変わった。コインを入れて、再びアームを動かす。彼女はアームを少しずらして落とした。猫が可哀想なほど顔が潰れる。


「やめてよ! 可哀想でしょ!!」

「まあ、見てて」


 小空が笑って、さらにアームを下ろす。すると、スポンと猫がアームの圧力から逃げるように手前に転がってきた。そのまま穴に落ちた。


「はい、終わり」

「え、え?」


 ツユは目を丸くして小空を見る。彼女は腰を屈めて、機械の下についた透明な窓に手を突っ込んだ。そこから出てきたのは、ツユがガラスの向こうに見ていた猫のストラップだ。


 呆気なく取れたのでツユは目をパチパチさせる。


「掴んでなかったじゃん!!」

「掴んで落とすなんてしてたら金の無駄でしょ。良かったじゃん。ほい、どうぞ」


 小空が手のひらにストラップを乗せてくれる。黒猫だ。黒い目はツヤツヤしていて、チョコレートのようだった。


「小空って、本当に変」

「褒め言葉だよね?」


 小空がニヤニヤ笑って、再び違う機械に向かった。今度はお菓子を取ろうとしているそうだ。ツユもやり方を真似て隣の機械で挑戦する。


「奈美恵さん、こんなことしてるって知ったら大激怒だろうな」

「だねえ。そりゃそうよ、服リサイクルボックスに放り込んで、体重計乗るの怖いくらい色んなもん食べて、ゲーセンで投資してるんだもん」


 独り言のつもりだったが、小空には聞こえたらしい。


 相当やってきたな、と再確認しながらツユはアームを動かす。お菓子の袋詰めだ。留め具の輪っかにアームを引っ掛けて落とすゲームらしい。


「でも、逃げてきて正解。子供の名前もまともに呼べない人のところに居たって、気分悪いだけだよ」


 ツユはそう言って思い出した。そう言えば、今日依頼したのは、『私に、本名で呼んでくれる友達をください』だった。そこで小空が呼ばれたわけだが、彼女は今日一日、自分の名前を呼んでくれていない。


 チラリと横を見ると、彼女は集中しているようだ。しかしお菓子が落ちる気配は無い。


「あー、ダメだー」


 と嘆く彼女が此方を見た。キャスケットによって暗い影が顔の大部分にできていた。マスクをしていないので表情はよく分かる。小首を傾げて微笑んでくる。


「どしたの?」

「いや......何でもない」


 そう言えば、本名を教えていないのだ。ツユはもちろん芸名で、きちんと本名はある。ツユにかすりもしない名前だ。正直、その名前は嫌いだ。だが、本名で呼んでくれない周りはもっと嫌いだ。


 何より母親が本名で呼んでくれないのだから、前代未聞だ。


「小空」

「んー?」

「私、名前教えてなかったよね」

「ああ、そういやそうだっけ」


 小空は第二ラウンドに入ったようで、集中してアームを動かしている。


「この名前、嫌いだけど。小空になら呼ばれてもいいな」

「え、ちょっと待ってそれどういう意味?」


 小空がパッと顔を輝かせて此方を見てきた。ツユはハッとして今の言葉を取り消そうと頭を振る。


「違う、意味は無い」

「嘘だ!! 何、何て? 名前教えてよ」

「やだ。やっぱいい」

「えー」


 小空は唇を尖らして、コインを投入した。


「そのうち教えてね。依頼代、もったいないよ」

「......うん」


 依頼代、と聞いて彼女にとってこれが仕事だったと思い出される。

 仕事。嫌な響きだ。


 ゲームに集中にしてしまおうと手元のスティックを握った時、ポケットの中で何かが振動した。全身に冷や汗が吹き出る。


「......ちょっとトイレ」

「はーい」


 ツユはその場を離れて、トイレに駆け込んだ。個室に入って鍵をかける頃には、振動は止んでいた。恐る恐るポケットからスマホを取り出すと、着信一件、となっている。それは間違いなく母親だった。画面に映されるメール文の数も凄まじい。


 今日一日見るのを拒んでいたが、とうとう見なければならないのか。電話嫌いの母が電話をかけてくると、いよいよだと思ってしまう。


 メール文を開いた。


『何処にいるのか連絡ください。今、京船駅に車で向かっています。マネージャーにも迷惑をかけて。どう落とし前つけてくれるのかな、ツユちゃん』


 脅迫文だ、とツユは思った。こういうところが大嫌いだ。子どもの気持ちに寄り添うことを諦めた母親が、この世で一番嫌いだ。


『教えません』


 短く返すと、すぐに既読のマークがついた。監視しているみたいだ。気持ちの悪い。


 ツユはスマホを再びポケットに突っ込んだ。

 トイレの水だけ流して、個室から出る。


 何処か、遠くに逃げられないだろうか。まだ、この自由時間を楽しんでいたい。


 トイレから出ると、小空はそこで待っていた。ツユに気づいて、手を振ってくれる。ツユは彼女に駆け寄り、スマホを差し出した。画面を見せるように彼女の鼻先に自分のスマを突き付けた。


「お母さん、電話かけてきたの?」

「......うん」

「出た?」


 ツユは首を横に振った。


 この逃避行がいつまでも続くわけが無い。覚悟を決める時が近いのだ。ツユは力なくスマホを持つ手を下げた。


「私、帰りたくない」

「そう言ったらいいんだよ」

「伝わるわけないでしょ。あんな人に」

「私も手伝ってあげるからさ」


 一体どう手伝うのか。

 話が通じるのか、あんな人に。


「カラオケ行こうか」


 小空が再び手を取った。


「行きたいとこリストに入ってたよね」

「......うん」


 小空に手を引かれて、ツユは歩き出した。


(絶対に話なんかできない)


 *****


 カラオケに来るのもまた初めてだった。薄暗い部屋に壁掛けテレビが眩く光を放っている。


「此処なら電話してても誰にも聞かれないよ」


 ソファーに腰かけメニュー表を眺めながら小空が言った。


「......もし、困ったら助けてくれる?」

「できる範囲なら」


 ツユは「ありがとう」と言って、ゆっくりと深呼吸をした。電話越しに話すのは、表情が見えないからかもっと怖い。だが、小空が居てこそ自分の気持ちを伝えられる気がする。


 スマホを持つ彼女の手は小刻みに震えていた。


 メールアプリからえ直接電話をかけることができるので、まずはアプリを立ち上げるところからだ。


 カラオケルームは静かだった。何処からか、自分がCMの中で歌っている曲が聞こえてきた。嫌な仕事の気分に戻されそうになる。


「小空」


 メニュー表を見ていた小空が顔を上げた。


「私の名前、春花(はるか)って言うんだ。封印されちゃった名前だけど」


 アプリが起動した。震える指が母親の名前を探す。すぐに見つかった。電話のマークに指を落とす。


 電話のコール音が聞こえてきた。スピーカーをオンにして、そっと机に置いた。画面には「奈美恵」という漢字三文字が無慈悲に浮かんでいた。


 五コールで、電話に出た。


『ツユッ!!』


 第一声は怒鳴り声だった。声が籠っているので、車の中だろうか。


『いい加減にしてよ!! どうしてそうアンタはいつもいつも_____』


 この会話だけは小空に聞かれたくなかった。


「ごめんなさい」


 素直に謝った。


「でも、私の気持ちも分かって欲しくて」

『迷惑行為も甚だしい! 何百人がアンタを探してるのよ! ネットに写真まで載って......怪しい男と居るって情報まで流れてきて!』


 ソフトドリンクを口に含んでいた小空がぶふっと吹き出したのが聞こえた。


『何処に居るのか教えないと、もうこの仕事辞めるってことになるから! 私の顔に泥を塗りたくって、ファンのこと裏切って、一生世間の笑いものになってね、ツユちゃん』


 目に涙をためて、ツユは顔を上げた。小空の前で罵倒されることに耐えられないのだ。小空はじっとスマホの画面を見つめていた。


『何とか言いなさいよ』


(何も言う隙を与えてくれないくせに)


 ツユが口を噤んだ開こうとすると、小空がそれを手で制した。


『ツユッ』


「春花は俺が預かった!!! 返して欲しけりゃ、今の態度反省して、次のドラマの台本頭に叩き込んで、顔パックして、さっさと寝ろっ!!」


 ブツッ。


 小空が電話を切った。ツユはぽかんとして彼女を見つめる。


「......切ったの!?」

「勝手に切れたんだよ」


 いや、さすがに無理がある。


 ツユは画面に恐る恐る目を戻す。新しいメールが生まれている。


『今の誰?』

『なんでツユの名前知ってるの?』

『誘拐されてるの?』


 ツユはため息をついた。


「もう......勝手なことして」

「いいじゃん、お母さんもゆっくりする時間が出来たんだから立派な親孝行だよ。よっし、歌おうぜー!!」


 小空がマイクを一本持った。もう一本をツユに差し出す。マイクを受け取りながら、ツユは「名前」と小さく言った。


「ん? ああ、可愛い名前じゃん。春花」

「......ありがとう」


 春花はマイクのスイッチを入れる。反対にスマホの電源は切った。鞄に放り込むと、心がスっと軽くなった。

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