卯の花腐すは母の愛-2
青空隊の住む家から最寄りの駅で電車に乗って30分。京船駅は比較的都会の駅だ。
小空はそこにやって来た。
SNSを何気なく見ていたら、京船駅にて最近話題の人気動画主・ツユが居るとの情報が流れてきた。
何と言う偶然か、その駅は彼女がその日の依頼主との待ち合わせ場所だったのだ。
『私に、本名で呼んでくれる友達をください』
依頼内容はそれだけだった。依頼主は名前すら明かしていないが、京船駅に居るとだけ言った。
依頼主もラッキーだな、と小空は思いながら電車を降りる。心做しか、電車を降りる人の数が多い気がする。ゴールデンウィークだからか、それとも噂を聞いてなのか。
当然、後者だろうと小空は予測していた。
*****
駅の構内は凄い人混みだ。もともと利用者が多い駅ではあるが、それにしてもこの人混みは予想外だった。
人集りを探していると、小空のポケットでスマホが震えた。
「何だよ、今忙しいのに」
小空がスマホを取り出すと、それは依頼主からだ。
『駅に着きました。いらっしゃいますか?』
小空はうげ、と顔を顰める。仕方ないとは言え、せめてツユを見てからが良かった。が、依頼主ファーストであり、客を待たせるなど言語道断。
仕方なく、文字を打った。
『今着きました。何処でしょうか』
『鷹見珈琲店の前です』
小空はすぐに向かった。鷹見珈琲は広い世代に愛されているコーヒーチェーンだ。甘いフラペチーノも取り扱っているので、中高生にも人気が高い。
その店もまた混んでいた。店の前まで人が溢れている。新商品でも出たのか、と小空が目を凝らすと違和感に気づいた。
並んでいるにしては、人の配置が不自然だ。それに、皆手にスマホを構えている。
果て、と小空は首を傾げる。
「ツユちゃんだって」
「本物? ドラマの撮影かな」
小空はピンと来て人混みを潜り抜けた。小柄な彼女なので、人の脇の下をすいすいと通り抜け、人の壁の向こう側に出た。
ガラスの壁に寄りかかるように、帽子を目深に被った少女が居た。それは、帽子を被っていてもいなくても、今世間を騒がせている大女優の娘だと判断できた。
「依頼主さん、ですね」
小空が言うと、彼女が顔を上げた。スマホを開いていたようで、そこには確かに小空とのトーク画面が写っていた。
「行きましょうか」
小空がそっと手を差し出す。少女はそれをおずおずと握った。
二人は人混みの中を早足で歩いて行った。
*****
「中学生?」
ツユはバスの一番の後ろの席に乗り、隣の少女に尋ねた。自分を迎えに来たのは、確実に子どもだった。何でも屋というのだから、理解のある大人が来てくれるものだと思っていたが、そうでもないらしい。
「高校生ですよ。背は小学生ですけど」
彼女はケラケラと笑っている。久しぶりの感覚だ、とツユは目を細めた。
しかし、彼女が何処まで自分に迫ってくるか分からない。プライバシーは守ると言う話だったが、子どもとなるとどうなるか。
「どこ行きます?」
少女の名前は小空と言った。キャメルのキャスケット帽を、彼女も目深に被っていた。
「何処だっていいよ。目立たないで遊べるなら」
ツユはそう言って、背もたれに深深と腰をかけ直す。
やはりあの場所は目立つらしい。いや、電車に乗った時から視線は感じていた。前に番組で着た服を着てしまったのが問題だったのだろうか。
それとも、もっと大きなマスクを付けるべきだったのか。
少女は自分の手を引くと、すぐにバスに乗った。今のところこのバスに乗っている人は誰も気づいていない様子だ。隣に人が居ると居ないとでは、かなり変わるらしい。
「んー、行きたいところ調べておくんでしたね。カフェとか、レストランとか」
小空が横でスマホを操作している。
「つっても、美味いもんなんて分からないし......舌のレベル違うでしょうし」
小空がまた笑う。ツユは目を伏せた。
彼女は自分が結川 ツユであると気づいている発言だと思った。あれだけ駅構内を騒がしておいて、気づかないというのはおかしな話だが。
「何処に行っても怒らない?」
ツユは絞り出すようにそう聞いた。小空は「もちろんです」と微笑んだ。じゃあ、とツユはスマホを取り出した。
行きたい場所をリスト化していた。母親に見せたら失神しそうな、そんなリストだ。これに自分がしたいことの全てが詰まっている。
「食べ歩きしたい」
*****
「うっま」
やって来たのは駅からかなり離れた都心部。人の量はさっきの駅の比にならないが、行き交う人々はツユの正体には気づいていないらしい。
「此処のクレープ、1回食べてみたかったの」
ツユの目は輝いていた。チョコバナナと生クリームたっぷりのクレープは、彼女の顔と同じくらいの大きさだ。
幸せそうにクレープを頬張る彼女に小空もホッとする。駅で彼女を見つけた時、まさかとは思った。匿名の依頼は多いが、こうして有名人が依頼してくることもあるのだ。
プライベートだとしたら、あまり深い場所まで踏み込まないのが鉄則である。
「小空のも一口頂戴」
「え、あ、はい」
小空はツユに持っていたクレープを差し出す。彼女もまた自分が持っていたクレープを小空に差し出してくる。小空はそれを一口もらった。
「こっちも美味しいですね」
小空が頷くと、ツユが不満げな顔をして小空を見ていた。何かいけないことを言ったろうか、と小空の中に緊張が走る。
「......敬語、やめてくんない」
「あ、はい」
「友達って依頼したんだけど」
「ごめん」
なかなかドスの効いた声だった。小空は、画面の中の彼女と目の前の彼女のギャップに驚いていた。
画面の中では清楚で、柔らかく笑う純粋無垢な少女というイメージがある。実際その清楚さが買われて、サイダーなどの清涼飲料水のCMに出るのだ。車では、受験期の娘という役で出ていた。反抗期と受験期の難しい時期の娘を自然な演技で演じきって、視聴者から絶賛されていたのを小空は知っている。
声だって、普段は透き通った天使のような声と称されるが、今のはなかなかレアな声だった。
録音しておくべきだったか、と小空は口の中でバナナの欠片をコロコロと転がした。
「次は何処行く?」
小空が問うと、ツユはスマホを取り出した。チラリと小空は画面を盗み見る。
『何処に居るの?』
『早く帰ってきなさい』
『京船駅が大混乱してるんだけど』
『事務所でも大騒ぎよ』
ツユはそのメール文が浮かぶ画面を虫のように上に払った。その下から、チェックボックスがついたリストが出てくる。
「服、変えようかな」
ツユが独り言のように小声を漏らす。
「目立つから?」
「京船駅で写真撮られてネット上で拡散されているみたい」
「あらー」
想像していたことなので小空はそこまで驚かない。すると、ツユがギロっと小空を睨んできた。
「小空が早く迎えに来ないからこうなるの」
「ごめんって」
皆が知る彼女の裏の顔が見られるこの依頼は、なかなか悪くない依頼だろう。
小さくなったクレープを口に押し込み、小空はそう思った。
*****
ツユは目立たない色の服に着替えた。といっても、着る人が着ると服も輝くわけで。
「おお」
買ってすぐ着替えた彼女が試着室から出てきて、小空は思わず手を叩く。
「似合うじゃん」
ツユは頭のてっぺんからつま先まで買い換えたい、とのことだったので、その店で全て揃えた。服はもちろん、靴や帽子も全てだ。さっきまで着ていたものは、店のリサイクルボックスに放っていた。それらは全てブランド物だった。小空が知る限り、高校生が簡単に手を出せる代物ではない。
彼女はそれを躊躇うことなくボックスに突っ込んで、「スッキリした」と呟いた。
「この服、好きじゃないんだよね。ていうか、嫌い」
ゲンナリした顔でリサイクルボックスから離れる彼女を小空は追う。
「大胆だなあ」
「良いの、服なんて腐るほどあるし」
ツユはスマホを開く。やはり大量のメール文が画面いっぱいに張り付いていた。彼女はそれに目すら通さず、ロックを解除してリストを開く。
「次はどこ行く?」
「食べ歩きの続き。私、たこ焼き食べてみたい」
「たこ焼き?」
予想外の食べ物に小空の声が裏返る。
「そう。食べたことないんだよね。ママが_____」
ツユがそこまで言って口を噤んだ。
そして、小さく息を吸い込む。何かを決心したような表情だった。
「奈美恵さんが、たこ嫌いなの」
奈美恵、と小空は呟く。結川 奈美恵。それがツユの母親だ。わずか7歳でデビュー。天才子役として世に名前を知らしめてきた、知らない人はいない大女優である。
「親子間、名前で呼び合うんだ」
人に当たらないように二人は道の端を歩く。二人とも深深と被った帽子で、何度か人に当たりかけたのだった。
「普通は呼ばないでしょ。ママとか、お母さんとか。今まで演じてきた子で、母親を名前で呼ぶ子どもなんて居なかったし」
ツユは詰まらなそうに言った。
なるほどお、と返事をして、小空は近くのたこ焼き屋の情報を調べる。
庶民的なものにはなるが、奮発すれば財布が紙より薄くなりそうである。仕方なくチェーン店で検索をかけ、ヒットした場所を道案内のアプリに落とし込んだ。
「奈美恵さん、だって。変なの。馬鹿みたいじゃない」
ツユの声に棘が混じる。小空は彼女をチラリと見やる。そして、「此処行こっか」と見つかった場所を彼女に見せる。
ツユはそれに反応はしなかった。
「小空って、変だよ」
「えっ、何で」
思わずスマホを落としそうになって、小空はスマホを両手で掴む。ツユはそれを見て可笑しそうに笑った。
「こんな世間を騒がす女の子隣に歩かせておいて、何も思ってないような顔してるじゃん。依頼した時、相手は驚いてぶっ倒れるんじゃないかって期待してたんだよね。それなのに、こんな小さな女の子が来るから拍子抜けしたんだけど。驚きもしてなかったし」
「驚きはしたけど......事情を汲んだって感じかな」
「こういう子、多いの?」
「どうだろうねー。私が受け持つのは初めて。まあ、満足だけど。可愛い子横に連れて歩けてるってだけで」
小空はニヤニヤ笑って前を向く。
「何でも屋やっててよかったー」
「下心丸出しってことか」
「あ、バレた? 依頼の内容、友達じゃなくて恋人だったら良かったのに」
「本名で呼んでくれる恋人が欲しい、って依頼が良かったってこと?」
そゆこと、と小空が頷く。真剣な顔だ。
馬鹿、とツユが吹き出した。小空もケラケラ笑った。
二人の少女は人混みの中を歩いていく。それは、どこからどう見ても友達そのものだった。だから、誰も彼女の存在には気づかない。
それは、ツユにとってあまりにも心地よいことだった。




