卯の花腐すは母の愛-1
「次の動画もまた見てね〜」
カメラに笑顔を向ける少女が居る。頬にはえくぼ、流行りの服とメイクで着飾ったその少女は、カメラに向かって両手を振った。
カメラの向こうに居る数え切れないファンを思い浮かべる。
皆、お菓子でも貪って見ているのだろう。
自分の動画を見終えたら、続いて違う人の動画を見るのだろう。趣味に片寄った、好きが詰まった動画を見るのだろう。
緩い部屋着を着て、母親に呼ばれても適当な返事をして済むような温い生活を送っているのだろう。
それが羨ましい。
自分には、それがないのだから。
「まずまずね」
録画を止めた女性がそう言った。テレビの前に何人のファンを作ったか。大女優の母親だ。
「もう少し自然に笑えないの? 前の動画のコメント欄、酷かったわよ。そりゃ、親のエゴだとか言われるのは分かるけど、こうして愛情たっぷりに育ててやってんだから。心から笑ってくれないと、困るのよ。もう少しでランキングの上位にも行けそうなんだから」
捲し立てるように言われて、少女は目を伏せた。
ランキングが何だ。乗るとどうなる。
エゴと言われて当然だ。むしろもっと言ってやれ。視聴者がいつだって正しい。この母親を、誰か止めてくれ。
「ツユッ」
バン、と目の前の机が叩かれた。少女は肩を竦めると同時に、ああ、と思った。
この机は、動画ではいつも映る机だ。
視聴者の大半は、この机で母と娘が仲良く飯でも食っていると思っているのだろう。
こんなに激しく叩かれていると知る者など居はしない。
「うん、次から気をつける」
少女は笑った。
自然な笑みが、彼女にはもう分からない。
*****
今話題の人気動画配信者・ツユ。16歳のその少女は、大女優である母親を持ち、注目の人材として小さい頃から脚光を浴びていた。
動画配信を始めれば、動画の再生回数はうなぎ登り。流行りの歌を歌えば、歌手としてもテレビ番組やCMに出ることになった。モデルの仕事も始まり、最近では子役としてドラマへの出演が決まった。
あまりの忙しさ故に高校は中退、母親の権限を見事に振りかざされた。
高校に行けば、皆近寄り難いのかすぐに離れていった。近寄ってくると思えば、それは有名人の裏の顔を知りたいという、下心の現れた者だけだった。
そんな状況から抜け出せるなら、まだ良いと思っていた自分を殴りたい。
高校に費やしていた時間は、母親に使われた。
「今度歌を歌うでしょう、ボイストレーニングを入れることになったから」
「動画で言うこと、まとめておいたから。頭に叩き入れて」
「ドラマのセリフ、まだ覚えていないわけ? 出番なんてたった数分なんだから、さっさと覚えなさいよ」
「生放送するから、さっさと準備して」
自分の時間など貰えるわけがない。
高校に行っていた方がきっと幸せだった。
少しの孤独感が、これだけの代償になっていたのだ。
「ツユ、いい加減にしてよ。私の顔に泥を塗るの?」
「ツユ、早くしなさい、遅れるでしょ。恥をかかせないで頂戴」
「ツユ」
ツユ。
それは本名ではない。
学校でも、事務所でも、番組でも、そして家でも。
結川 ツユとしてしか生きられないのか。
『私に、本名で呼んでくれる友達をください』
その日、母親の目を掻い潜って彼女は家を飛び出した。タクシーを捕まえ、電車に乗った。
深深と被った帽子のつばとマスクの隙間から、周りの景色を見た。
皆、自分を見ている。
コソコソと隣の人に耳打ちする人。スマホに何かを打ち込む人。
もう、やめてくれ。
そう懇願したいのに、脳裏に浮かぶは母の顔だ。
『次は_____』
無機質なアナウンスが彼女の鼓膜を震わせた。
ハッとして立ち上がる。
扉が開く。目が合った人が皆息を呑むのがわかった。
少女は帽子を被り直し、早足で改札を潜った。
*****
「あれ、小空お出かけ?」
ゴールデンウィークの真っ只中。青空隊のリビングには、小空と嵐平の姿があった。
連休はルームウェアで過ごす小空が、今日は着替えている。頭にはキャスケットも健在だ。
青咲がそれを見て問う。掃除中だったそうで、手にはフローリング用のクリーナーがあった。
「んー、任務入った」
小空はスマホを眺めながらそう言った。
「そうなんだ。でも家の中で帽子は取りなよ」
「ほーい」
間抜けな返事で彼女は帽子を取って、隣でテレビを見ている嵐平の頭にノールックで被せる。
テレビには最近巷で有名らしいオシャレなカフェの情報が流れていた。嵐平はそれに夢中のようだ。
「時間は大丈夫なの?」
「ん、10時から」
小空が壁にかかっている時計を見て言う。今は朝の9時。連休にしてはリビングに人が多い。
「あまっちゃんと透真は寝てる?」
「うん。朝ごはんは置いていたけど......雨斗は当分起きないかな」
「寝溜めデーか」
小空と青咲は笑いあった。
青空隊の副隊長・雨斗はショートスリーパーだ。一時間か二時間の睡眠を挟めば、24時間フルで動くことができる。
しかし、一ヶ月に一回は丸一日眠ってしまう。本人曰く寝溜めをしているようで、冬眠する熊のようにベッドから出てこないのだ。
「まあ、そんなに大変な任務も入ってないから大丈夫だろうけどさ」
小空がそう言って、スマホに視線を戻した。青咲も「だね」と頷いてリビングの床掃除に取り掛かる。
リビングにはテレビの音だけが響いていた。開け放たれたカーテンから朝の柔らかい光が差し込んでくる。長閑な朝だ。
「......ん!?」
突然、小空がソファーの背もたれから背中を浮かした。
「どうしたの?」
彼女はスマホを凝視していた。
「京船駅にツユちゃん居るらしい!!!」
「ツユちゃん?」
「有名じゃん!! あの、超可愛い動画主!! 最近テレビ出てるじゃんか!!」
小空が興奮気味に話す。青咲は遠くを見つめ、ツユちゃん、と呟く。
そう言えば、昨日昼のバラエティーで名前が出ていた。動画投稿サイトにて、ランキングに乗るようになった少女だ。母親が有名女優だと思い出して、青咲は「あの子か」と記憶の奥からその子を引っ張り出した。
「そう言えばサイダーのCMに出ていたよね。あれ? 車にもだっけ」
「それどころか、この前歌番組で歌ってたよ。つか、こんなことしてる場合かよ!! 俺ちょっと行ってくる!!」
小空が嵐平の頭からキャスケットを奪い取って頭に被った。
「約束はいいの? 依頼、10時からでしょ?」
リビングを出ていこうとする小空に青咲は声をかける。
小空がニンマリ笑って振り返る。
「依頼主さんとは、京船駅集合になってるんだよねえ。何たる偶然!! 超ラッキー!!」
ピースを決めて、彼女は外に飛び出して行った。
やれやれ、と青咲が小さくため息をつくと、テレビが丁度CMを挟んだ。さっき話していたサイダーのCMが流れる。
『限定パッケージにあるコードをスマホで読み込むと、私の声が聞こえるよ! 今日も、爽やか元気に頑張ろう!』
母親譲りの目鼻立ちがくっきりした少女だ。そうそう、この子だ、と青咲は画面を凝視する。
「この子が駅に居るなんて。凄い騒ぎじゃないかな」
青咲が嵐平に言うも、サイダーに魅了されている少年の耳にそれは届かないらしい。
CMは次に切り替わった。




