憎き鹿の袋角-4
いつも読んでくださりありがとうございます。
執筆時間がなかなか取れず、
8月の半ばまで投稿をお休みさせていただきます。
時間が出来たらまた戻ってくるので、
お待ちいただけると幸いです!
「おはよー」
まだ生徒が少ない教室の扉が開いた。入ってきたのは、黒髪を後ろで短くまとめた女子生徒だ。
「おはよう、夏凪」
「小空、ニュース見たか?」
小空は自分の机に向かうまでに何人かに声をかけられた。足を止め、差し出されたスマホの画面に目を向ける。
そこには、人気俳優が逮捕されたという記事があった。また、朝の情報番組に出ている丸永 成佳が離婚を発表、という記事も共に映っている。
「え!? まじか!! 丸永さん、離婚したの!? 何で!! まさか、私に......」
「ポジティブ思考やめろ」
「旦那さんが犯罪行為してたらしいねえ」
都内の公園に小型カメラを仕掛けて、盗撮した疑いがあるということだった。小空はそれを見て「ほーん。酷いやつも居るもんだね」と言って今度こそ机に向かう。
「あれ? 小空、手どうした?」
気づいた男子の一人が小空の左手に巻かれた包帯に気づいた。指先から手首までぐるぐる巻にされているのだ。この前までそんなものは巻いていなかった。
小空が「あー、これ?」と手を顔の位置まで上げる。
「料理してた」
「どんな料理でその怪我するんだよ」
*****
放課後になって小空が教室から出ると、
「小空」
と、かなり高い位置から声が降ってきた。
それは黒髪に緑のメッシュを入れた男子生徒だった。嵐平だ。
「あれ? 嵐ちゃん。今日部活の集まりあるって言ってたじゃん」
「雨斗から連絡あって、家に帰って来いって言われたから」
嵐平がスマホを見せる。確かに彼のメールアプリのトーク画面には、そのようなことが書いてあった。
「何だろ。任務かな」
小空は首を傾げ、嵐平と肩を並べて帰り道を急ぐ。
「丸永さん、離婚してたなー」
小空がポソッと言った。
「でもさ、あんな男に関わってちゃあの人の人生めちゃくちゃにされるだけだよな。間違ってなかったよなー」
嵐平は何も言わなかった。
「ま、俺にチャンス到来ってことで。応援してよね嵐ちゃん」
「豚に真珠」
「おお、喧嘩売ってるの?」
*****
玄関を開けるや否や、小空は違和感に気づいた。
「あれ、誰か居る」
玄関には、明らかにこの家のものではない靴が置いてあった。朝にはなかった靴である。それは女性ものだった。
「依頼主が家まで来てくれたんかな」
小空が嵐平に言って、家に上がる。リビングを覗き込むと同時に彼女は「うえっ!?」と声を上げた。
リビングには雨斗、透真、青咲、そして一人の女性が居た。
初めて見る_____わけではない。毎朝テレビの画面の向こうに居るのを小空は見ている。
そこに居たのは、丸永 成佳だった。
「丸、永......さん」
幽霊でも見たように彼女の口からひょろひょろと言葉が出てくる。小空を見て、彼女は立ち上がった。
「小空さん、今回の件、本当に申し訳ございませんでした」
そして、深深と頭を下げた。小空は思わず「いや、え!?」と彼女と奥にいる雨斗を交互に見る。
「今回の盗撮事件だが、調査を依頼したのは丸永さんだ」
雨斗が淡々と言った。
「少し前から怪しんでいて、自分でも色々と調べてくれたらしい」
「は、はあ」
小空が成佳に視線を戻すと、彼女はちょうど頭を上げたタイミングだった。
「とりあえず座りましょうか。小空たちも」
青咲が言って、小空と嵐平を手招きした。
*****
「本来なら通報するべきことですが......ワンクッション置かせていただきました。雨斗さんに相談をして、お手伝いしてもらったんです」
成佳は目元にハンカチを何度も当てながらそう言った。
旦那の書斎で見つけた番号が、女子生徒のものであると分かった。最初は浮気を疑ったが、それが闇バイトで雇われている子どもたちだと知って、すぐに動いたという。
「盗撮をすること自体立派な犯罪行為ですけれど、そこに純粋な子どもたちを巻き込んでいるとすれば、もう居ても立ってもいられなくて。雨斗さんには、夫の所属する事務所に証拠を送ってもらいました。警察も動いてくださっているようです」
成佳が弱々しく微笑んだ。
「まだ夢に中にいるように感じます。現実で起きているようには思えないけれど......でも、絶対に無視できないことです」
「......そうですね」
小空は頷く。
「小空さんは、私のファンだと聞いています。結婚のことでとても悲しんでくださったんですね」
「......」
小空は雨斗を軽く睨んだが、雨斗はスマホに目を落としていた。新しい依頼でも来たのだろう。
「結婚とか離婚とか、テレビ局の皆さんにも迷惑をかけてしまいました。また公式で謝る機会を作っていただく予定です。そして、頼もしいヒーローが裏で動いてくれたことも......」
「......それは、秘密で。私たちは、あくまでただの何でも屋なんで」
小空が言うと、成佳は微笑んだ。
「じゃあ、秘密にしますね」
*****
小空は彼女を駅まで送り届けることになった。
「自分の足で帰るんですか?」
「はい。誰にも言わないで来たので」
家を出て、二人は肩を並べて歩き出す。
「高校生で何でも屋さんなんて、すごいことをやっていますね」
成佳が歩きながら言った。
「そんなそんな。ボランティアですよ、大半は。悪い大人からはたらふく巻き上げますけど」
「ふふ、頼もしいですね」
既に日は暮れ始め、遠くの空に星が瞬き始めた。街灯が二人の影を濃く地面に写した。
「私、人を見る目ないのかな」
彼女がボソリと言葉を漏らした。小空がぎょっとして、「んなことないですよ!!」と声を出す。成佳は目を丸くしていたが、やがて優しく笑った。
「小空さんは、恋をしたことがあります?」
「......まあ」
頭の中で今までの恋を数えるが、とても数え切れる量ではなかった。
「私は初めてだったんです。誰にもときめかなかったのに、ですよ。一目惚れってやつですね。あの衝撃は、もう二度と経験できないかも」
「そんなの、私がいくらでも」
「えー? 私、なかなかハードルが高いんですよ」
「超えますよ。くぐり抜けたっていいです」
成佳が笑った。それは、今まで見たことがない笑い方だった。心から笑ってくれているようだ。
小空はホッと胸を撫で下ろす。
「人を見る目って、恋に限らないですよ。成佳さんが過ごしてきた環境を作り上げてくれた人がいるじゃないですか。カメラマンとか、仕事仲間とか、あれ全部成佳さんが選択して手に入れたものですから。今してる仕事を楽しいって感じていたら、その人たちを選択したことが正解だったんですよ。別れた旦那さんは範疇に入ってませんよ」
「......そうですね」
「だから、人を見る目がないなんて言わないでください。どうしても範疇に入れない人もいます。自分責めるのはいけないです」
「......ありがとう」
人が多くなってきた。駅も近いらしい。
「画面の前に立ったら、また応援して欲しいな」
「もちろん。毎日録画しますからね」
「わー、噛まないように頑張らなきゃ」
成佳がクスクスと笑って、駅の改札で小空を振り返った。
「じゃ、また」
「はい。画面越しに、また会いましょうね」
彼女が改札の向こうに消えた。小空は見えなくなるまで彼女を見送る。やがて、見えなくなって小さなため息を漏らした。
「......恋、ねー......」
*****
数週間後、朝のリビングのテレビ前には一人の少女が居た。画面にこれでもかと顔を近づけ、鼻息荒く「あー、かわいい!!」と叫んでいる。
「小空、遅れるよ!」
リビングを覗き込んでそう言うのは青咲だ。
「あと、あと三分!!」
「ダメ!! 嵐平がもう玄関の扉開けてるもん!」
「あ、嵐ちゃん待って!! 置いてかないで!!」
小空がテレビの前から居なくなる。彼女が見つめていた画面の中には、何処か晴れ晴れとした顔で喋る女性の姿があった。




