憎き鹿の袋角-2
教室に戻った小空は、クラスメイトから口々に労りの言葉をもらっていた。
「急な発表だったな」
「明日の朝マルでちゃんと発表するって」
「次の恋はすぐ見つかるだろ」
椅子に座った彼女はネット記事を見向きもせず、机に突っ伏している。
「すぐ散るよねえ、夏凪の恋って」
そう口を開いたのは山吹 円香だった。こけしのように綺麗に切りそろえられた髪に、今日は青いピンをつけている。
「いやあ......完敗ですよ」
「相手は有名俳優だもん。勝てっこないね」
「私の方が幸せにする自信あるけどなあ」
顔を上げて、小空は大きなため息をつく。
前にもこんなことがあったな、と山吹は思い出す。入学して間もない体育の授業で、彼女を惚れさせた一人の女子生徒が居た。が、その子には既に彼氏が居るという事実を知り、今のように落ち込んでしまったのだ。
恋のパラメーターが常に左右に振り続けている彼女は、全力で高校生活を楽しんでいると言えるのかもしれない。
*****
次の日の朝、青空隊のキッチンの空気は一部重かった。それは主に一人の少女が原因なのだが、周りはほとんど気にすることも無く朝食をとっている。
「まあ、仕方ないよ。めでたいことでしょ? ちょっとタイミングが合わなかっただけで」
青咲が弁当を詰めながら言った。小空はトーストを齧りながら、昨日とは違うスローペースで朝食をとっている。亀のような遅さに、既に皿からいくつかのフルーツが嵐平に盗られていた。
「あーあ......そうだよなあ、初恋は実らないって言うもん」
「初恋何回目だよ」
透真がスマホから顔を上げずに言った。
「うるせー! お前には分からないんだ!! 初めて出会ったゲーム機が恋人作ったときの気持ちだよ!!」
「分かるかバカ」
「もー、喧嘩しない」
青咲がすぐ仲裁に入る。
二人はパッと言い争いを止めて朝食に戻る。
「ごちそうさまでした」
嵐平がパチン、と手を合わせて礼儀正しく言った。小空もそれを見て食べるスピードを早める。透真は焦りもせず、スマホを片手にトーストを齧った。
「今日、暑いそうだから水筒に氷多めに入れておくね」
「ん」
小空が空になった食器をシンクに置き、嵐平と共にキッチンを出ようとすると、「小空」と声をかけられた。
それは雨斗だった。だし巻き玉子に大根おろしを乗せているところだ。
「明日、休みだな」
「土曜日だし、休みだけど」
小空の声は相変わらず元気がない。ぶっきらぼうな感じさえする。
「今日の放課後に張り込み調査を頼みたい。都内の公園だ」
「......透真に言って」
さっきの鬱憤晴らしにか、小空は透真の名前を出す。
「いや、小空にしか頼めない」
「うわー、あまっちゃんいけないんだー。さては可愛い女の子関係でしょ。ビンゴ?」
小空の声に少しだけ明るさが戻ってくる。
「まあ、そういうところ」
雨斗がだし巻き玉子を口に運ぶ。
「おっしゃ、任せて。秒で任務終わらせて女の子落とすんだ」
宣言して、彼女は今度こそ部屋を出ていった。
「ちょろいな」
「ねー」
透真の言葉に青咲もクスクスと笑う。
雨斗だけは、黙々と箸を動かしていた。
*****
小空が教室に行くと、どうやら例の番組では本人の口から直接発表があったようで、その話題で盛り上がっているところだった。
「お、来たよ失恋魔」
「なんじゃそれ」
飯倉 亮平の言葉にムスッとした表情で返し、小空は席に座る。
「おはよう、夏凪。夜は眠れた?」
声をかけてくるのは山吹 円香だ。
「いいや、全く? 夢にまで出てくるしさあ、丸永さん。もう勘弁してくれよ」
「まあまあ、そういうもんだって。好きな人が幸せな顔してたら嬉しくならないタイプ?」
「相手の男を滅多打ちにしたいタイプ」
「怖......」
真面目な顔で言われて円香は冗談でも鳥肌が立った。相当来ているらしい。
「まあ、すぐ見つかるでしょ」
「あ、もしかして円香ちゃんが次の相手?」
「夏凪は重そうだから無理かな」
「ええー......」
そんな会話をしてるとクラスは賑やかさが増してくる。小空と円香の近くにも人が集まってきた。大抵、あのニュースキャスターに関する話で小空の心は丁寧に抉られていったのであった。
*****
夜の公園は人気がない。等間隔に置かれた街頭が発する冷たい光に照らされ、制服の少女が姿を表した。
遊具が無いタイプの公園には、ランニングコースやベンチが設けられてあるくらいだ。子どもが来ても楽しめる要素はどんぐり拾いくらいしか思い浮かばないような、そんな公園だ。
少女は公園の中に何ヶ所かある公衆トイレの中に入った。やましいことでもあるのだろうか。入る際、周りをキョロキョロと見回した。
数分後、少女はトイレから出てきた。その顔は浮かない。
おもむろに彼女は制服のポケットからスマホを取り出した。それを操作して耳に当てる。
「もしもし」
電話をしているようだ。
彼女のスマホのカバーは透明で、そのカバーには二人の少女がカメラに向かってピースしている小さな写真が挟んであった。背景は学校の校舎のようで、顔には笑顔が弾けていた。
「約束通り、二箇所......はい、はい......分かりました。ありがとうございます。失礼します」
少女は電話を切った。すぐに歩き出そうとはしなかった。その場でスマホを見つめ、そしてひっくり返す。
写真と目が合った。
少女の視界がゆらゆらと揺れる。
ガサッ!
「!!」
遠くで芝生を踏むような音がした。
少女は肩を竦め、一目散に駆け出した。
*****
丸永 成佳は幸せの絶頂に居た。
朝、起きれば同じ屋根の下に大好きな人が居る幸せを、彼女は初めて感じていた。
雑誌もテレビも次々と幸せの速報を全国に届けた。
しかし、その幸せも熱が冷め始めている。
成佳はその理由を探った。
最近、彼が妙に冷たい。
何処と無く上の空のような気がするのだ。
声をかけても生返事で、少しだけ声を荒らげて呼ぶと不機嫌そうに此方を見る。
その表情をされることが、成佳はとても悲しかった。
彼が自分よりスマホと目を合わせる時間が長くなったのは、思い違いでは無いはずだ。
彼がスマホを置いて何処かに行くよう願う自分が居ると考えた時は、手遅れだと思った。
幸せをかみ締めているはずの自分たちに、亀裂は確実に入っているのだ。
だが、何もせずに終わるのは納得がいかない。
彼は自分以上に、一体何に夢中になっているというのだろう。
それを調べるまで離婚はお預けだ。
*****
彼は多忙だ。有名俳優の一週間というのは仕事の嵐だった。ドラマの撮影、番宣のために引っ張りだこで、雑誌の撮影も数え切れない。
成佳も忙しさはあるが、彼からしたら止まっているも同然かもしれない。
彼はスマホを片時も話さなかった。まるで親の形見かのように。スマホを覗くのは諦めた方が良いようだ。
続いて目をつけたのは、彼の書斎だった。
居る時間も少ないだろうに、彼は書斎を欲しがった。結婚する前、一人時間は必ず持つというのが二人で決めたルールだったのだ。成佳も一人部屋は持っているが、ほとんどリビングで時間を過ごしている。
彼の書斎の前に立った時、ゾワゾワと寒気を覚えた。まるで踏み込んでは行けない領域に踏み込むような、そんな感覚だ。行けないことをしているような、後ろめたい気分になる。
彼は書斎に入るなとは言わないが、成佳は今まで入ってこなかった。
今日初めて、その未知の領域に足を踏み入れるのである。
彼は今外出中だ。誰も家に居ない。こんな絶好のチャンスを、誰が逃すか。
彼女は扉を開いた。自分の家なのに、嗅いだことのない香りがするような気がした。別世界に来たようだ。
窓に向くように置かれたデスクと、背の低い本棚、足元を照らす間接照明。シンプルだが、彼の大人の色気が部屋にきちんと現れている。
成佳は恐る恐る部屋の中央まで進んだ。
そして、デスクの上が散らかっていることに気づいた。あれだけ綺麗好きな彼が、デスクを散らかしたまま外出することは信じられないことだ。
デスクに近づくと、そのほとんどが小さなメモ用紙だと分かった。番号が並んだメモ用紙が数枚、そして住所のようなものが書かれたものもある。
数字の並びからして電話番号だ。
マネージャーのだろうか、と彼女が首を傾げていると、遠くの方で扉が閉まる音がした。
「ただいまー」
成佳は慌てて部屋から出た。
階段を駆け下りて、彼を迎える用意をする。玄関で靴を脱いでいた彼が、階段を駆け下りてくる妻を怪訝な顔で見つめていた。
「どうした?」
「いや、虫が出て......こう君に取ってもらおうかなって」
「虫? いいよ。成佳、どうしてか虫は無理だよな。怖いものなさそうなのに」
今日は随分上機嫌だ。そう言えば、外出先も聞いていない。
モヤモヤした気持ちで、成佳は彼の背中について行った。




