朧月夜に万引き犯 前編
ぷるるる......ぷるるる......。
リビングで電話が鳴っている。
一定のリズムを刻むその機械音は、受験終わりの怠けた少女の鼓膜を震わせた。ソファーの上で、際どい格好の女性雑誌を顔に乗せてすやすやと眠っていた彼女は、雑誌を顔に乗せたまま手を空中にさ迷わせる。指先が、固いものに触れた。
それを引き寄せて、彼女は夢心地のままそれを手に取った。
「......はい、青空隊です」
眠りから覚めてまだそう時間が経過していないので、巻く回数が圧倒的に足りないオルゴールのような、ゆったりとした少女の声が雑誌に当たってくぐもって聞こえる。
「はい......はい......ああ、それはそれは」
少女は雑誌を避けることをしない。更にはソファーに寝転がったままという、電話をする上ではあまり宜しくない体制だ。
「はい、了解です。ええ、ああ、お代は結構ですよ。そういう輩はね、此方の得意分野なんで」
彼女の体が持ち上がった。ずる、と雑誌が顔からズレてパサ、と床に落ちる。雑誌の下から覗いた彼女の顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
*****
小さな町の小さな地元スーパー、「クルミ屋」。朝9:00から営業開始、22:00に閉まるその店は、日用品や、地元で採れた野菜を多く取揃えていることから、毎日地域の住民で賑わっていた。
店の駐車場で買い物終わりの客が談笑したり、卒業して会う機会が減った同級生に再会したりするなど、長い間地域に根付いてきた憩いの場でもあるのだ。
21:36。クルミ屋には閉店間近なことを示す、オルゴール調の柔らかいBGMが流れていた。店内に居る客もまばらで、店員の人数の方が多い状況だ。
手が空いた店員が店の掃除に回る中、一人レジに残った菊田 由麻は、今日最後の客になるであろうスーツの男性の買い物かごを受け取った。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「いいえ、持ってないです」
マニュアル通りの質問も三ヶ月経てば慣れたものだ。仕事の内容はレジ以外にもある。
しかし、店員が有り余る時間ではあるといえども、店側もバイトを始めたばかりの子はレジに立たすのが良いと考えたらしい。この時間にしかシフトを入れていないとレジを打つことが自然と多くなってしまった。
人と話すことが苦手というわけではないので、レジの仕事は楽しく感じている。
小さな町だからか、何気ない会話の中に新たな話題が入ると、伝達が早い。朝から夕方は大抵同じ会話が繰り返される。
何処かの家に新しく子供が生まれたとか、誰かが死んだとか、交通事故があった、とか。
そのほとんどが、夕方になる頃には朝の内容にだいぶ肉付けされてしまっていることが多いのだが。
「ありがとうございましたー」
持っているものが買い物かごからエコバックに変わった男性は、ぺこりと頭を下げて出口から出ていく。
由麻は軽く店内を見回してみる。遠くの方でベテランバイトの川村 江里子が床の掃除をしているのが見えた。もう一人奥の方にも居るはずだが、棚に隠れて姿は見えない。
由麻は腕時計で時間を確認し、レジ周りの片付けに入った。
レジから出てすぐの店の出口付近には雑誌コーナーがある。小学生が読む分厚い漫画から、大人向けの雑誌まで。コンビニまでとはいかないが、程々に揃ってはいる。
落ちていたティッシュや輪ゴム、目に見えるものは摘んで、近くのゴミ箱に入れる。どうせ最後に店を掃くので二度手間になってしまうが、目に入るとついやってしまうのだ。
周りにゴミがないか見てレジに戻ろうとした時だった。由麻の背中に向かって、夜風が吹いてきた。それと共に機械の音が聞こえた。
客が来たらしい。
「いらっしゃいませー」
振り返って確認すると、上は黒いパーカーに下はグレーのスウェット、そしてパーカーのフードを深深と被った男性だった。
背丈と体つきで男性と判断した由麻だが、何となく彼に嫌な気を覚える。
この時間に入ってくるというのも関係しているかもしれないが、大きな原因は彼が目深に被っているフードだった。フードのせいで顔はほとんど見えない。
雨でも降っていなければフードなど別に被る必要もないだろうに。視界も狭くなって歩きづらいだろうに。
由麻は彼のことを気にしつつもレジに戻った。あまり深く考えるのは良くない。被りたくて被っている人もいるのだ。
彼は案外早くレジにやって来た。手には炭酸ジュースの缶と、スナック菓子があった。
まるで小学生の買い物だな、と由麻は心の中で呟くが、もちろん口に出してはいけない。
バーコードを読み取り、いつもの質問を繰り返す。
「ポイントカードはお持ちですか_____」
「持ってないです」
食い気味だった。急いでいるのか、彼は商品をかっさらうようにして持つと横の出口から出ていってしまった。あまりにも一瞬の出来事に由麻はぽかん、と出口を見つめる他なかった。
知らない子だったと思うが、歳は同じか少し下だ。
高校生だろうか。それにしても愛想がない。まるで罰ゲームで買わされに来たような、そんな雰囲気だった。
(嫌な客)
「嫌な客ねー」
自分の心の中がダダ漏れになったのかと思って由麻はびく、と肩を竦ませた。
気づくとレジの向こう側に川村が立っている。モップを片手に、さっき男性が出ていった自動ドアを睨んでいた。
「今までいなかったんだけどなー、あんな子。由麻ちゃん知り合い?」
「え、いいえ......でももしかしたら、同級生とか......先輩かも」
地元から出ていった先輩や同級生のことは時々SNSでチェックしている。だが、あれほど暗い方向にシフトチェンジした仲間を由麻は知らない。みんな大学や就職先で楽しそうにしているし、暗い話題はまだ耳に挟んでいない。
「こんな時間に来るし......明日も来たら少し様子見かな」
川村は真剣な顔で言った。
様子見というと、まず考えられるのは万引きの可能性があるということだ。
たしかにあの格好は、顔を見られないというのが第一条件という感じにも思えた。人を疑うのは気が引けるが、商品を盗まれると店側の代償も大きいので早めに捕まえるのがベストだ。
「由麻ちゃんも、ちょっと目を光らせてみてね」
「はい」
(明日も来たら、ポケットの膨らみをチェックしよう)
由麻はそう思いながら腕時計を見た。小さな丸い円盤はあと五分で店が閉まることを伝えていた。
*****
次の日もその男性はやって来た。
その日は赤いパーカーだった。しかしフードは被っておらず、代わりにキャップを被っていた。野球関連のキャップらしい。
野球に根から興味が無い由麻には、描いてある野球ボールでかろうじて、大きくプリントされたごちゃごちゃした文字がどこかの球団のロゴだということが分かったくらいだ。
彼が手に持っていたものは昨日とあまり変わらなかった。ペットボトルの炭酸ジュース、チョコレート菓子。
チョコレートと炭酸は果たして合うだろうか。
スナック菓子と炭酸ならまだしも、これはなかなかそそられない組み合わせである。
もちろん口に出すことはなく、由麻はちゃかちゃかと事を済ませていく。
そして、レシートとお釣りを手渡す瞬間、目線が下に行くことを利用してまずパーカーのポケットに目を走らせた。
だが、特別膨らんでいる感じはしない。
「ありがとうございましたー」
彼が出口から出ていく時ももちろん見逃さない。次はジーンズのポケット。
だが、こちらも全く膨らみがない。
由麻は負けた気分で彼の背中を見送った。
「由麻ちゃん」
昨日と同じく、川村がやって来る。
「どうだった?」
「分からなかったです......見た感じだと、何も入っていないように見えたんですけど......」
「うーん、そっかあ。私も注意してたけどねえ。特別何でもなかったなあ。やっぱりそういうわけじゃないのかな」
そうですね、と由麻はもう一度出口を見てみるが、夜の闇がすっかり彼を覆い隠してしまっていた。
*****
次の日もその次の日も、由麻は目を光らせてみたがポケットが異常に膨らんでいるということはなかった。川村ももう注意する必要はないと感じたのか、今まで通りに戻っている。
彼は毎日のようにパーカーを着ていて、最初の日以外はずっとキャップを被っていた。
きっと野球と甘いものが好きなのだろう。
由麻はそれくらいしか思わなくなっていた。
しかし、事は彼が店に訪れるようになって一週間ほどで大きく動いた。
その日、彼の後に店に入ってきたのは少女だった。
私服なので何歳かは判断しづらいが明らかに子供で、背も小さい。少女は淡いピンクのパーカーにマスタードイエローのハーフパンツ、そして頭にはキャメルのキャスケット帽を被っていた。キャスケット帽からは小さく結ばれた髪の毛がちょこん、と覗いている。
そしてもう一人。
今度は少女の頭半分ほど背が高い少年だった。青いパーカーに、黒いジーンズ。大きな黒縁メガネをしており、少女の後ろをついて行くようにして歩いている。艶のある黒髪が遠くから見ても良いシャンプーを使っていることを知らしめてる。
それにしても珍しい。最近はこの時間では彼以外に誰も客は来なかったというのに。
由麻は彼女らが棚の奥に消えるのを見届けて、家に帰ったら何をしようかと考える。
昨日やりかけていた大学のレポートを完成させるか、それとも新たに投稿されたアイドルの動画を見るか。悩ましいところである。
「由麻ちゃん」
声をかけられて、由麻はハッと我に返った。
流石にぼーっとしすぎたかもしれない。
気づくと、横に女性が立っている。川村ではない。彼女は今日、お墓参りに行くと行って休みを貰っている。
由麻はその人物と数回しか会話をしたことがない。緑色のエプロンに付けられたネームプレートには「桑田」と書いてある。桑田 史恵。クルミ屋の店長だ。
「は、はい」
由麻は彼女に向き直る。
何やら真剣なトーンで名前を呼ばれたので、これから起こることが頭の中に想像される。
ぼーっとしていたことの注意か、もしくは、クビか。
流石に閉店間際とは言え営業時間内にクビはないか、と思っているが、かつてないほど真剣な顔をされたので由麻の中で緊張が走る。
「終わったら、少し時間貰えるかな。お手伝いして欲しいことがあるんだけれど」
「お手伝い......?」
どうやらクビというわけではなさそうだった。
そうだよ、と桑田は頷く。
掃除か、精算か。はたまた違う仕事か。
有り得そうなものを出せる限り頭の中で出していると、桑田が小さく手招きした。耳を貸してほしいという合図だろう。由麻は彼女に顔を寄せる。
「やっぱりあの子、万引きしてる」