憎き鹿の袋角-1
いつも読んでくださりありがとうございます!
今回のお話は四部構成です!
「おはよー」
今日もキッチンは人が多い。
エプロンを着て高校生たちに弁当を作る青咲を始め、相変わらず目の前に並ぶ朝食の量が常人の範囲を越している嵐平、決まって和食しか食べない雨斗、トーストを持つ片手間でスマホゲームに没頭する透真。
そして、
「んぐ!! ごふぃほーふぁま!!」
運ばれてものの五分でトースト二枚を口に押し込んだ小空が手をパチンと合わせた。それを聞いた青咲が目を丸くして振り返る。
「どうしたの小空。いつもそんなに急いで食べないでしょ」
「いふぉふぁんふぉふぁいふぁふ」
「何だって?」
ちょっと待って、と手で制され、数秒後、彼女の喉がごくん、と動いた。無事に最後の欠片まで喉を通せたようだ。
「今年の春から朝のニュースキャスターのお姉さんが新しくなったって友達に聞いてさ。ちょっとそれ見たくて」
「朝のニュースキャスター......ああ、もしかして丸永さん?」
青咲は知っているようで、納得した様子だ。
「僕も会社に行く前に見るよ。明るくて良い人なんだよ。地方のテレビ局から移動してきたみたいだね」
「何で教えてくんないのさ!」
小空が空になった皿をシンクに下げるついでの青咲の顔を覗き込む。彼の顔には呆れた表情が浮かんでいる。
「朝にそんなの見てたらテレビの前から動こうとしないでしょ。遅刻しちゃうよ」
「学校よりお姉さん優先はこの世のルール!」
「そんなルール作られたらたまったもんじゃないよ」
青咲の返しに小空は眉を顰め、チラリと壁にかけられた時計を見た。ハッとして「始まっとるやん!!」とキッチンを慌ただしく出て行った。
「一体何人好きになるつもりなんだか」
青咲が弁当を詰めながら苦笑した。
「......丸永」
ボソリと声がした。それは雨斗の声だった。彼は味噌汁を啜っている。
「あれ? 雨斗も知ってるの?」
意外だった。彼はほとんどネットニュースしか見ない。テレビの画面よりスマホかパソコンの画面を凝視している時間が長い。
「......まあ」
彼の返事は曖昧だった。
*****
「ふっはー!! 可愛い!!!」
リビングのテレビの前で小空は思わず叫んだ。画面にこれでもかと顔を近づける。
画面のほとんどが、可愛らしい子犬で埋められている。SNSに投稿されて多く再生された動画を見るコーナーが展開されているらしい。
しかし、小空が注目しているのは子犬ではない。画面の端で小さく映し出されている一人の女性。
セミロングの黒髪、ぱっちりとした目が特徴の若い女性だ。白いブラウスは小さい箱の中でよく映えている。
小空は彼女に釘付けだった。
丸永 成佳。この春から始まった朝の番組「朝の丸わかり」に出演するニュースキャスターだ。カメラに向かって真剣な眼差しで情報を伝える時と、時折見せる笑みや天然さのギャップが視聴者から大絶賛されていた。
小空はこの情報をクラスメイトの男子から仕入れたのだ。可愛いお姉さんが毎朝テレビに出ていると言うならば、見ないわけにはいかない。
当然録画リストに毎日予約するよう設定した。
「小空、そろそろ出ないと遅刻するよ」
青咲がリビングの横を通り過ぎながら行った。
「はいはい」
小空は名残惜しく思いながらテレビを消して、リビングから出る。玄関に向かうと嵐平が靴を履いているところだった。小空も倣ってローファーに足を入れる。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
青咲が手を振って見送ってくれるので、小空と嵐平もそれに応じる。
扉がゆっくりと開く。
ゴールデンウィークも目前。夏を感じさせる風が家に入り込んできた。
「行ってきまーす」
「おやつ楽しみ」
「今日のおやつはバナナマフィンね」
「やった」
嵐平の輝く表情が最後に見えて、扉は閉まった。
*****
小空と嵐平が通う色科高校、通称「シキ高」では、体育館に全校生徒が集められていた。高校生活が始まって最初の大連休、ゴールデンウィーク前の全校集会だ。
続々と体育館に生徒が集まる中、小空のクラスは早くも全員揃って整列していた。
「小空、朝マルみたか?」
出席番号順に並び、男女が一列ずつなので小空の横には男子が居る。
「見たっ!! 丸永さん超タイプっ!!!」
スマホで女優の最新情報を集めていた小空がバッと顔を上げた。
「杉野が言ってた通り、笑った時の顔反則級」
「やっぱそうだろ!?」
小空の横は、出席番号11番杉野 湊。サッカー部に所属している。クラスでは情報の収集が早い事で有名だ。
「やっぱ良いよな、あの人。なんて言うか、周りの空気が透明になるって言うか......浄化装置みたいなとこある」
「分かる。たぶん前世は空気清浄機だな」
「どんな会話してんだ」
二人で盛りあがっていると、前に並んでいた男女が振り返る。小林 鞠亜と白石 日向だ。
「丸永さんが空気清浄機だってこと」
「性能良いやつね」
息ぴったりに説明する二人を見て日向は呆れ顔でため息をついた。
「これから一年間、この列順で集会されたら俺らどうなるか分からねえな。鞠亜」
「忍耐訓練でも受けてる気分だね」
鞠亜も同意するらしく、頷いた。
「鞠亜ちゃん困らせるのはアカンな。杉野、黙れ」
「俺だけだったか?」
そんな会話で盛り上がっていると、小空は肩を叩かれる感じを覚えて振り返った。いつの間にか隣に男が一人が立っている。
真宮 将貴。1年5組の担任だ。
「やべ、つい口が」
女性についてセンシティブなことに触れすぎたか、と思った小空だが、どうやらそういうことで肩を叩かれたわけではないらしい。
「小空、今日表彰されるからクラスの一番前に並んでくれ」
「んえ? 何かしましたっけ」
身に覚えがないので小空は眉を顰める。
「この前、線路で女性を助けたって言う話あったただろう。あの表彰」
数週間前に線路で動けなくなっていた車椅子の女性を、小空は助けていた。お礼に彼女から学校へ饅頭が届き、それを嵐平と食べながら帰路に着いた記憶がある。
「大袈裟ですねー。助けただけなんで、ほんと」
小空がヒラヒラと手を振るも、真宮は彼女を列の先頭に連れてきた。
「どした? 表彰されるの?」
「いつの間にか警察の世話になったらしい」
「マジかよ」
前列は相澤 小麦と飯倉 亮平だ。小空が先頭になることで自然と女子の列はひとつ後ろにずれる。
「ま、小麦ちゃんに見られてる状況でいられるなら何でもいいや」
小空は先頭にやってきてキョロキョロと辺りを見回す。周りに誰もいないと見晴らしがすこぶる良い。彼女はクラスで一二を争う身長の低さなのである。
「前列も悪くないなー」
「スマホいじれないのは勘弁して欲しいけどな」
隣の飯倉はうんざりした顔をしている。
なるほど、前列は教師の目を盗んでスマホを見ることは難しいらしい。詰まらない集会ならば生徒はすぐ何処かに意識を飛ばそうとするので、それが出来ないのは辛いようだ。
「まあ、教えてやるよ。最前列の特権を」
小空がニンマリ笑っている。飯倉は果て、と首を傾げた。
*****
ゴールデンウィークを前にして、長期休暇の過ごし方について指導があった。また、休暇明けは身体検査も多いそうで、体調管理には気を配るよう耳にタコができるほど言われた。
小空は欠伸を噛み殺しながらそれを聞き、いよいよ表彰式に移るとなって、横の飯倉を肘でつついた。
「何だよ」
「いいや、そろそろやでー、って」
「はあ?」
一体何が、と飯倉は眉を顰める。
すると、春休み中にいくつかの部活で地区の総体があったそうで、名前を呼ばれた何人かの生徒がステージに上って行った。
校長が賞状を生徒一人一人に渡していく中、飯倉は小空が言っていたことが分からず、ただぼんやりとその様子を眺める。
が、
「いやあ、絶景」
「......お前はさっきから何見てんだ」
「最前列ってのは、ステージに上がる生徒を見上げられるだろ? そんで、だいたいの子は賞状を貰うのよ。その時にお辞儀をする。最近の女子ってのはスカートを折ってる子多くてさー......」
小空の顔にニヤニヤと悪い笑みを浮かんでいた。
「最前列の特権ですよ」
「小空お前......」
「ハレンチ」
「最低」
聞こえた周りの生徒からそんな言葉が飛ぶも、小空は至福の表情でステージ上に釘付けだった。
「な? 最前列って最高だろ? 飯倉」
「気づきたくない事実だったわ。ありがと」
飯倉がそう言ったところで、マイク越しに小空の名前が呼ばれた。
線路上で動けなくなっていた女性を助けた、素晴らしい生徒が居ります、というアナウンスも流れた。
「やばー。カメラ欲しい」
小空は立っても尚ニヤニヤが止まらない様子だ。
「早く行け」
「何か腹立つ」
「本人はこんなことを考えてるとも知らずにな」
「本当に警察の世話になるか?」
他クラスや教師からの熱い眼差しに対して冷ややかな視線を向ける周辺の生徒の声を背に、小空は堂々と階段を上って行くのだった。
*****
「ごちそーさま」
小空は手を合わせて弁当を片付ける。
もちろん、昼食はいつもの青空廊下。
隣には既に弁当を空にしてスヤスヤと心地よさそうに眠っている嵐平の姿がある。
小空はスマホを取り出した。今彼女の中で最も熱い、朝の情報番組に出演する丸永 成佳について調べるのである。
検索欄に「丸永」と打ち込むとすぐに彼女の名前が出てきた。しかし、ふと彼女の目につく文字があった。
『丸永 成佳 結婚』
『丸永 成佳 プロポーズ』
『丸永 成佳 結婚相手』
「......」
小空の顔がみるみるうちに真っ青になった。数秒後、彼女の絶望の叫びは青空廊下を突き抜け、1年5組まで届いたという。




