青きを踏め踏め幼子よ-4
『今呼んだ??』
雨斗のインカムから元気な少女の声がする。
「呼んだ。有益な情報を嵐平が得た。スーパーでお菓子を買う男がいるそうだ。そのスーパーの近くを調べて欲しい。嵐平にはスーパーを見張っていてもらう」
『いや、お菓子買う男くらい居るって』
「関係のありそうなヒントを得たまでだ。断定はできなくとも、可能な限り調べ尽くすのが仕事だ」
『はいはい。分かった分かった』
間抜けな返事だった。今日に始まったことではないので雨斗も特に何も言わない。
『まあ、俺の方も何も情報無かったし、やっぱこの辺はハズレっぽいんだわ。で、どっちの方向に行けばいいのよ』
「ああ、待ってろ」
雨斗はパソコンのディスプレイの中にもうひとつページを映す。そこには日本地図が映っていた。それぞれ色の着いた矢印がくるくる回ったり、移動したりしている。
「そのまま南西。あー、お前の速さなら五分だな。目的地周辺に着いたら合図するから下降しろ」
『ほーい』
少女の声が途切れる。風の音が聞こえてくるので早々に飛び立ったようだ。相変わらず「そういうポイント」を見つけるのが早い。
*****
羽実は橙色に染まる空をガラス越しに見た。太陽がガラス越しに見える。
夕日だ。この部屋に来て初めてではないこの光景。まだ誰も自分を此処から出してはくれない。
「......」
羽実は泣きそうなのを堪えた。が、もう限界だった。母親の腕の中が恋しい。美味しいご飯が恋しい。家のぬいぐるみ達も、近所の人たちも、何もかもが恋しい。
弱々しい泣き声をかき消すように部屋の中に男が入ってきた。白いビニール袋を放って寄越してくる。今日の飯だ。羽実はそれの中身を見たが、今日はウエハースが三枚だった。
羽実はそれを開けて口に入れる。水分がない。水を求めたが、遠くに中身がわずかのペットボトルが転がっているだけだ。手を伸ばしても、足枷が重くて前に進めず取ることができない。
「あ? 水?」
男が足元にあったそのペットボトルを蹴飛ばした。それは羽実の顔に当たる。痛くはなかった。しかし、今の彼女はどんなことを引き金に泣いてもおかしくないほど心がボロボロだ。
彼女の弱々しい泣き声が部屋に響き出す。男が「静かにしろよ!!」と怒鳴るが泣き声は大きくなるばかりだ。
「黙ってろ!!」
男がやって来て、彼女のこめかみを殴った。彼女の体は簡単に倒れ、泣き声もプツンと収まった。
「やば」
男が慌てて彼女の呼吸を確認する。死んではいない。気絶だ。
外から入る光を受けてキラキラと輝く、頬を伝う涙の筋、泣いたとき特有の鼻の赤み。
その光景に、男の心は鉛のように重くなった。
「......これも金のためだ」
自分に言い聞かせるように男は言った。
*****
小空は雨斗に言われたポイントに降り立った。閑静な住宅街と言った感じである。此処から七、八分もあれば嵐平が居るスーパーに辿り着くだろう。
小空は近くの家々の窓を睨みつけるようにして観察した。どこに居たっておかしくはない。どんな小さなヒントも見逃してはならない、と彼女は細心の注意を払う。
アパートはいくつか見つけたが、それらしい手がかりもない。男が乗っていたというバンも、似たようなものはあっても、雨斗が言うナンバーと一致していることはなかった。
防犯カメラに映っていることを想定して乗り捨てることは、十分に考えられる。遠い駐車場に停められていることだってあるかもしれない。
小空が近くの駐車場を地図アプリで検索しているときだった。
「ねえ、聞いた?」
「聞いたって、何?」
少し離れた公園だ。二人の女性が立ち話をしている。小空は地図アプリを見るふりをして、その場に立ち止まった。
「ひなたちゃん、まだ見つかってないんだって。警察も捜索を始めたらしいけれど、あまりにも情報不足だって言ってたの」
「そう言えば、最近ニュースで聞くね。五歳児の女の子が行方不明になったって。名前、なんだったかしら。おとはちゃん、だっけ。あっちは見つかったの?」
「まだよ。もう行方不明になって二週間ですって。あまり子供たちを外に出さない方がいいわね。そう言えば、サカキさんがね、隣に最近男が引っ越してきたって言っていたの。もしかしたら、って思うけれど......」
遠くから輸送業者のトラックがやって来るのを視界の端に移した小空は、スマホをしまった。そしてトラックが目の前を通ると同時に、頭に被っていたキャスケットを女性二人の足元目掛けて投げた。
「あら?」
女性の一人がそれを拾う。
「あ、すみません!!」
小空は慌てた様子で彼女のもとへと向かった。
「風で飛ばされて......」
「大丈夫よ、はい、お嬢ちゃん」
女性が帽子を手渡してくるので、小空はそれを笑顔で受け取る。
「ありがとうございます! 帽子をなくすとママに怒られちゃうんです......」
「そうなの......ママは何処に居るの?」
「買い物です! それまでそこの公園で遊んでてって言われて......」
小空は二人の後ろにある小さな公演を指さした。二人の顔が曇る。
「ねえ、お嬢ちゃん一人なの?」
「へ? そうですが......」
「最近誘拐事件が増えているのよ。ニュース見ていない?」
「見てないです......」
小空はキョトンとした顔で二人を見上げる。
「お嬢ちゃん何歳?」
「小学生五年生です。あの、誘拐事件ですか? この辺でも起きているんですか?」
「そうなのよ」
力強く頷いたのは帽子を拾ってくれた方の女性だった。
「最近近くの幼稚園で大騒ぎになってね。園児が一人居なくなってしまったのよ。私の姪っ子もそこに通っているんだけれど、明日から登園を自粛するんですって。あ、自粛って分かる? 幼稚園をお休みすることよ。お嬢ちゃんの学校では何か聞いていない?」
「私この辺に住んでいなくて......今日はおばあちゃんの家に行くんです!」
小空は帽子を被りながら言う。
「でもおばあちゃんの家が分からなくて......サカキさんっていう人の家の近くって聞くんですが」
二人の顔が再び曇った。小空は気にせずポケットからスマホを取り出して、地図アプリを開く。
「ママからはひとりで行けるようになりなさいって言われているんです。場所ってわかりますか?」
「え、ええ......」
女性の一人が説明をくれる。此処から徒歩三分といったところだ。
「ありがとうございます!! 行ってみますね!」
「くれぐれも気をつけてね。ママは待ってなくていいの?」
「はい! スマホもありますし、大丈夫です!」
小空はスマホを見せて「じゃ!」と小走りでその場を離れる。女性らが見えなくなった辺りで耳元の機械のスイッチをオンにする。
「聞いたか? 俺の完璧な演技」
『小学五年生は無理があるだろ』
「身長小さいとこういう事もできるってね。いやあ、にしても綺麗な貴婦人たちだったなあ」
『お前の頭はそれしかないのか』
呆れ声の正体は雨斗である。小空は笑い声を混ぜて「そんで」と続ける。
「聞いたか? 話」
『ああ。聞いていた。場所は無事に聞き出せたみたいだな』
「あたぼうよ。可愛い女の子が待ってんだから、透真らに先越させるわけにはいかないんだよねえ」
『見上げた変態根性だな』
「おい」
小空が足を止めた。彼女の右手に白い小さなアパートがある。
「みっけ〜......おっと?」
小空はアパートの二階部分を見る。窓に格子が付いているが、チラチラと動く小さな人影が見える。そこから流れる歌が、舌っ足らずな童謡であることに彼女は気づく。
「一番乗りー」
小空はにい、と笑ってそのアパートへと近づいて行った。
*****
「はあ」
男は深いため息をつく。あれから子どもは起きない。殺してはいないが、人を殴って気絶させたのは初めてだったからだろうか、身体中虫が這っているかのようにソワソワと落ち着かないのだ。
口に板ガムを放り込む。煙草を止めてガムを吸い始めた。今の仕事は大金が貰えるのだと言う。それならば金を貯めて、働かずに豪遊したい。煙草は短命になるそうだから、太く長く生きるためにも、と板ガムにチェンジしたのだ。
ガムを咀嚼しながらスマホを開く。バッテリーの残量が残りわずかである。充電器は奥のコンセントに刺さっているが、取りに行くのも面倒だ。トークアプリを開いて、仲間から連絡が来ていないかをチェックする。すると、「未読メッセージが3件あります」と表示があった。名前の欄には「梅田」と書かれている。男はその欄をタップした。
「うわ」
出てきたトーク画面には、写真が一枚張りつけてあった。写真には床に四つん這いにさせられた四人の幼女。それぞれが足枷を片足にはめられ、首には犬が付ける首輪のようなものがついていた。皆泣き顔でカメラを見ている。腕や足には痣のようなものも確認できた。
これには流石の男も目を背けたくなった。自分も同じようなことをしてはいるが、ここまでとなると子どもたちの方に同情してしまう。
(大事な商品なのにな......)
そう、この世界の裏側には子どもを連れ去っては自分のものにしてしまう人間も居るのだ。自分たちは、そんな彼らに売る商品を捕まえる仕事をしている。今回が男にとって初めての獲物だが、報酬の額は今まで苦労して稼いできたものが全て無駄に思えるほど弾んだものであった。
そういうバイトが多く存在していると知ったのは、社会に出て数年。身を粉にして働いても大した金を得られないこの世の中にうんざりしていると、高校の頃の同級生の梅田から連絡が来た。久々に会おうとなり、街中の居酒屋に行くと彼は何やら稼げる仕事を紹介したいらしかった。
それが、この仕事だ。子どもを拐い、指定された場所に連れて行くと金になる。
そんなこと、この国でしたら確実に監獄行きだが、梅田の目は本気だった。大金が数日の働きで手に入る、そんな仕事を彼は持ってきた。
金が欲しいと懇願する男に、その話はあまりにも魅力的だった。
仕事の内容に胸は痛むが、仕事を受けて良かったと彼は思う。結局あの幼女が視界から消えてさえすれば手元には金しか残らない。記憶など曖昧なものでいずれ薄まっていくのだから。




