青きを踏め踏め幼子よ-3
「はい、これぐらいの小さい女の子なんですが......」
青咲は、北部のまだ寒さが残る市内で聞き込みを行っていた。道行く人に雨斗から送られてきた写真を見せながら、見覚えはないかと繰り返し聞いていく。が、それらしい情報は今のところ得られていなかった。
「力になれなくてごめんなさいね」
「いえ、お忙しいところありがとうございました」
買い物帰りだという女性からも情報を得られず、女性が立ち去った後で青咲は片耳に入れているイヤホンの電源をオンにした。
「やっぱりこの辺ではなさそうだね」
『そうか。分かった。その地域は視野に入れないことにする。犯人が闇バイトで子供を拐っているとしたら、冬を越す金なんて持ってないだろうしな』
右耳に聞こえてくる冷静な司令塔の声を聞いて、青咲は「そっか」と頷く。
確かに春とはいえこの辺は寒い。来る途中に溶けかけの雪も見た。子供を引連れて此処まで来るのは難しいかもしれない。
『全体への業務連絡だ。依頼主の娘は頭にうさぎのピンを付けているらしい。写真も送付した。各自確認しろ』
雨斗がそう言うと、青咲がズボンのポケットに入れていたスマホが短く震えた。取り出してみると、幼い子どもが写った写真が送られてきていた。公園で水遊びをしているようで、その髪に可愛らしいうさぎの顔がついたピンが刺さっている。
『へえー、かわいい』
イヤホンから雨斗ではない少女の声がした。小空である。
『このピンなら分かりやすそうだな』
透真の声も聞こえてきた。
『青咲の場所は視野から外して考えることになった。青咲はこっちにすぐに戻ってこい。ほか三人の方は引き続き捜索を続けてくれ。嵐平は近くのスーパーで聞き込みを頼んだ。透真は大通りに出てくれ』
『わかった』
『了解』
嵐平と透真の返事がそれぞれ聞こえてくる。
青咲は近くの高台を探す。すぐに戻ってこいと指示を受けたので、急いで動かなければ。
『透真ちゃん、俺より先に見つけんなよ〜? いくらうさぎ大好きでも、女の子の頭にあるピンもぎ取っちゃダメだからね〜』
『......雨斗、今から進路変える。小空を一発殴ってから捜索再開したい』
『そんなこと許すか』
いつもの調子で喋り始めた三人に呆れつつ、青咲は反対が崖になっている坂の上にやって来た。今まで走り回ってきた街を一望できる。
住民が良い人ばかりだった上、途中でオシャレなカフェやレストランも見つけた。任務でなければ、また来たいところだ。
(早く見つけてあげないと)
一体あの女の子は何処にいるのだろう。
痛いことをされていなければいいのだが、とそんなことを思いながら青咲は坂の頂上で助走を付け、崖から飛び降りた。
勢いよく風が下から吹き上げ、青咲の腹をぐん、と上に押し上げる。彼はそのまま空に飛び上がった。誰かに見られる隙も与えないまま、彼の体は曇天に吸い込まれていった。
*****
羽実は男が投げて寄こしたお菓子を食べていた。今日はチョコレートがかかったクッキーだった。インスタント麺も渡されたが、羽実は自分で作ったことなどなかった。母親が食べていたものを一口もらったことはあるが。
開けてみると、袋と固い麺が入っている。お湯などないので羽実は麺をそのまま齧った。味が全くしない。似たようなお菓子を食べたことがあるが、それには味がついていた。袋の方を開けると、粉が出てきた。指につけて舐めると、驚くほどしょっぱい。
羽実はそれらを投げ出して、最初に食べていたクッキーで口直しを試みる。母が作ってくれるものはもっと美味しかったはずだが、と不思議な気持ちで床に転がったインスタント麺を見ながら、彼女は少しだけ涙を流した。
男は一日に何回か家を留守にした。一時間か、二時間か。彼が何処に行っているのか、羽実は知らない。もしかしたら母親が外に居て、話しているのかもしれない。
一度心細さに耐えきれず大声で泣いたら、壁からドン、という大きな音がした。泣き止むと、音はそれっきり聞こえなくなった。
それが母親かどうかは分からない。が、隣の部屋に誰かが確実にいるのだ。
クッキーを頬張る羽実から少し離れた場所で、男は床に横になって眠っていた。大きないびきをかいているので、完全に眠っている。
ちょうどさっき部屋に戻ってきて、羽実の前に缶ジュースだけ開けて置くと、そこからあのままだ。
お菓子を食べ終えて、ジュースでそれを喉に流し込むと、羽実は後ろにあるすりガラスの窓を見た。
朝焼けのためか、空がほんのり色づいている。何処かでカラスが鳴いた。車が通る音がする。だが、外にはいけない。この足枷と、格子窓のせいだ。
羽実は窓にそっと手をついて、気づいた。冷たい朝の空気が何処からか流れてきているのだ。目を凝らすと、窓の桟に溜まったホコリのせいで窓が完全には閉まっていなかった。ただその微妙な隙間が空いているだけで、指一本も通らない。
彼女はその隙間に何か入れられないだろうかと考えた。
部屋を見回してみると、ダンボール箱が見えた。何とか届きそうな範囲である。
羽実はそれを覗き込む。中には丸められた針金、その下に汚れた作業着やペンチなどの工具が入っていた。男の職業が伺えるが、幼い子どもにはそこまで興味を引くには値しないものだったようだ。
羽実は覗くだけ覗いて、中に面白いものがないと分かると再び窓辺に戻ってきた。リングを光にかざして見たり、お菓子の空き箱を工夫して人形に見立てたりと、退屈しない遊びを考えている内に時間が経っていたらしい。
「出かけてくる」
男の掠れた声がした。羽実は驚いて振り返った。いつの間にか男が起き上がっていたのだ。男が眠たそうに部屋から出ていくのを見届けて羽実は再び人形遊びに戻る。
こんな童話を知っている。
塔の上に閉じ込められたお姫様を助けに来る王子様のお話だ。小さな女の子にとって、それは指輪とこの殺風景な部屋から連想される唯一のおとぎ話だった。
彼女の口から、単調なメロディーが流れ出す。それは、毎朝見ていた子供向け番組で歌われる、お姫様の歌だった。舌っ足らずな子供の声に乗せられて、それは朝日が差し込む静かな部屋の中に寂しく響いていた。
*****
「お菓子好きな男の人......」
嵐平は今聞き出した情報を復唱した。此処はあるスーパーだ。住宅街の中に佇む大きなスーパーで、そのレジで嵐平は聞き込みをしていたのだ。
「そうなんです。その方が買っていくものって、ほとんどお菓子かビールで......ああ、あとはカップラーメンかしら? お菓子もビールのおつまみには少し甘すぎるかな、ってものばかりなんですよ」
嵐平は頭を掻くフリをして耳の中のイヤホンの電源を入れた。雨斗の声がする。青咲に指示を出しているようだ。
『嵐平、話は聞いた。今日は何時来たか聞いてくれ』
「今日その人は何時来ましたか」
雨斗に言われたことを嵐平はそのままレジの店員に言う。
「そうね......朝の10時くらいかしら?」
『10時か......今は18時だし、夜飯を買いに来るなら張り込みをしていてもいいかもな。嵐平はそこで待機しろ』
嵐平は店員にお礼を言って店の外で待つことにした。耳の中で雨斗が『小空』と呼ぶ声がした。




