青きを踏め踏め幼子よ-2
「依頼主はある母親。五歳の一人娘を持つ」
リビングに淡々と声が響く。
「地元のスーパーで娘から目を離し、気づけば何処にも居なくなっていたそうだ。外を見ると、ちょうど白いバンが発進しようとしているところだった」
雨斗はパソコンに既に概要を書いているのか、それを読み上げているらしい。
青咲は不安げな顔をし、小空はソファーの背もたれに寄りかかって、目を閉じている。
透真はアイスティーを口に含み、嵐平は透真にもらったシフォンケーキを大事そうに食べていた。
「後部座席に乗せられていたのが、恐らく自分の子供だったと、依頼主は言っている。それが一昨日の出来事。娘は今も戻ってきていない。警察にも話はしたそうだが、不安のあまり俺らにも捜索を依頼したそうだ」
「不安だね......」
「誘拐か」
青咲に続いて透真が口を開く。
「ああ。今回の事件は、恐らくある大きな事件に繋がっていると思う。日本の様々な地域で女児が行方不明になっているそうだ」
雨斗がパソコンを操作した。彼がかけている太い黒のフレームのメガネに、パソコンのブルーライトが反射している。
「恐らく、原因はこのサイトだ」
彼はパソコンをくるりと回転させて、四人に画面が見えるようにした。
「......なんだこれ、『幼子ショップ』?」
画面の一番上にある、ポップな字体のその字列を、小空が目を細めて読み上げる。
「ああ。要は人身売買の違法ページだ」
「じっ......」
小空が目を見開く。
「は? 売られてんの? 誘拐された子?」
「俺の予想だ。関係あるとすれば、これかと思って調べた。三日前の新聞記事に、ある名前が載ってる」
雨斗はスマホを取り出して操作する。画面を大きくして、パソコンの隣に並べた。
「えっと......『九瀬 優菜ちゃん五歳、都内のマンションで保護』......この優奈ちゃんって子?」
青咲がスマホから顔を上げて雨斗を見た。彼は「そうだ」と頷く。
「調べてみたところ、そのサイトで名前が出てきた」
「ネットではヒットしないけどな」
透真がアイスティーを片手に自分のスマホを操作している。「九瀬 優奈」と打ち込んだようだが、新聞記事だけがヒットし、雨斗がパソコンで出しているような画面は出てこないようだ。
「ダークウェブってやつだ」
雨斗が声を低くして言う。
「ダークウェブ? 何それ」
小空が首を傾げる。
「簡単に言えば、一般の人は閲覧できないサイトのことだ。特殊なソフトやツールを使えば、こういう風に入ることができる」
雨斗がパソコンを見た。
「え、じゃあこれ、本当は入っちゃいけないサイトじゃん」
「そういうことだ。ネットの深い場所で行われていることは、様々だ。違法な武器の売買、薬物なども。そして、この人身売買だってな。人の目につかないところでおびただしい数の犯罪が蠢いてる」
「ほえー......」
リビングに不気味な沈黙が降りた。本来は開くことができないはずのサイトが、今目の前にあるパソコンにて開かれていることに皆少なからず恐ろしさは感じていた。
「で、その新聞記事の子供の名前はそのサイトで見つかった、ってことでいいのか?」
透真が雨斗に聞いた。
「ああ、そういうことだ。もちろん、もうその子は警察に保護されたからこのサイトからは消されていたけどな。今回行方不明になっている子どもで、何人かがこのサイトで見つかった。しかも、その子たちはまだ家に帰ることができていない。そして、サイトでは売却済みになっていた」
全員が息を呑んだ。
「このサイトの運営者を、俺は何とか調べてみる。今回青空隊で行うことは、依頼主の子供の保護だ。ある程度目星はつけているから、四人にはそこを探してもらいたい」
皆が頷くと、雨斗のスマホが鳴り出した。画面に「東江 幸奈」と書いてある。雨斗がすぐに「応答」のボタンを押した。
「はい、此方青空隊」
『もしもし......東江 幸奈ですが......雨斗さんでしょうか』
「はい」
『羽実が当日着ていた服装と、羽実の顔写真......捜査に必要とのことだったので、添付ファイルで送らせていただきました......』
それは元気の無い女性の声だった。何日も眠っていないような、疲労の現れた声がスピーカーから流れてくる。雨斗はパソコンを操作しながら、「はい、届いています」と頷く。
「青空隊の隊員の方にも共有させていただきます。見つけた後はきちんと此方で消去致しますので、ご安心ください」
『ええ......ありがとうございます』
ぐす、と鼻をすする音が聞こえてきた。
『私、すごく後悔しています。どうしてあの時、羽実から目を離したのか......羽実の小さな願い事をすぐに叶えてあげなかったのか_____』
声が震えた。
『羽実にどんな顔をして会ったらいいのか分かりません』
雨斗は黙っていた。すると、小空がひょい、と体を前に倒した。
「もしもし、お母様ですね?」
『え、あ......はい』
「青空隊の隊長、小空と申します。自分を責めるのはNGですよ。羽実ちゃんのためにお菓子とジュースを用意してあげてくれますか? 目いっぱいの笑顔で扉開けてあげてください」
小空がニッ、と笑う。声も表情も、とても明るい。その様子が画面の向こうにも伝わっているようだ。
「必ず羽実ちゃんは見つけます。我々が出来ない仕事はないんですよ。今まで全勝してますよ。信じてください。そして、羽実ちゃんもお母さんを信じてますから。大丈夫」
『......はいっ......』
「お菓子とジュースですからね。お母さんの笑顔付きのお迎えでお願いしますよ!」
『はい、はいっ......』
やがて電話は切れた。リビングに、静寂が戻った。
「......それぞれのメールに服と顔を送っておいたから、あとは指定されたポイントに飛んでくれ」
それぞれのスマホが小さく震えた。それは、作戦の始まりの合図でもあった。
*****
東江 羽実はあるアパートの一室にて、小刻みに震えていた。母親と共に行った店で、突然男に話しかけられた。
「あれやりたいの?」
男は突然、羽実が母親に強請ったカプセルトイを指さして聞いてきたのだ。母親は少し先に居て、男の声は届いていないようだった。すっかり泣き疲れた羽実が無言で頷くと、男は小さく手招きした。
「俺がやらせてあげる。ママには内緒だけど」
一回だけな、という条件付きだった。羽実はその甘言にすっかり乗せられ、カプセルトイの前まで歩いていった。
欲しいものを指さそうとすると、突然抱えあげられ、外に連れ出された。叫び声をあげる暇もなく、近くに停めてあった白いバンに乗せられた。
間もなくして車は発進した。降りようとしても、扉はロックされていた。
車は羽実が知らない場所を長い間走り続けた。やがて連れてこられたのは、閑静な住宅街の中にある、古いアパートだった。
部屋は狭く、男が住んでいるような雰囲気はほとんど感じられない。開けられたダンボール箱や、コンビニのビニール袋、煙草の吸殻入れくらいしか置いていない。窓には外側に格子があり、外には出られないようになっていた。
押し入れを開けると現れる木の柱に、羽実は繋がれた。右足に枷をはめられ、その柱から離れられないようにされた。
「飯」
男がビニール袋を投げて寄こした。目の前に乱暴に転がる袋に羽実は肩を竦める。
「ママは?」
羽実はか細い声で聞いた。自分がどうして此処に居るのか分からない。どうして此処に連れてこられたのかも。
男は羽実の質問には答えなかった。羽実はそっと袋の中身を覗いた。そこには、羽実が好きな宝石の玩具が入ったお菓子の箱が入っていた。夢中で開けると、ピンク色のハートの宝石がついたリングが出てくる。
悪い人なのか、それとも良い人なのか。
羽実はそれを指にはめて、ついている小さなラムネ菓子を口に入れた。シュワシュワと口の中で溶けていくラムネは、何故かしょっぱさを感じた。
*****
「ああああ!!! 雨斗おお!! 飛ばされる!! 俺今飛ばされとる!!!」
小空は耳の中にあるスピーカーに向かって叫んだ。此処は上空約一万メートル。小空は生身でそこを飛んでいた。
『我慢しろ。もう少し行ったら合図する。そこから下降しろ』
「何でもしてやるよ!! 可愛いお嬢ちゃんのためならなあ!?」
小空は風に声がかき消されないように叫んだ。
上空一万メートルは主に飛行機が飛行する高さである。
小空はそこを文字通り飛んでいた。彼女の眼下には小さな雲の大群がポコポコと現れており、見上げれば青と僅かに白い空のコントラストが目に飛び込んでくる。
青空隊がどうして世界中から任務を託されるか。
それは、彼女らの仕事場への到着の速さにあった。普通の何でも屋と彼女らの違いというのは明確である。
空を飛ぶことができるということ。
山を超えて、海を越え、真っ先に助けを求める者の元へと行くことができるということであった。




