1年5組の桜人 後編
小空は買い物袋を持って、城のように立派なその家にやって来ていた。
門を開くとまず階段があり、それを上って庭まで行く。庭には色とりどりの花が咲いていて、春の香りが庭を満たすだけでは飽き足らず、門の外まで溢れていた。桜の木も植えられており、枝には溢れんばかりの花を咲かせていた。
そんな鮮やかな花たちに囲まれたレンガ道は、家の玄関に繋がっている。
買い物代行は、依頼主に頼まれたものを買ってくるという仕事である。依頼主の年齢層は幅広い。家の事で手が回らない主婦だったり、限定グッズを買いたくても買いに行けない学生だったり。
「ごめんくださーい」
「はーい」
チャイムを押し、玄関の扉に向かって声をかけると、その裏から声が聞こてきた。やがて、ガチャと扉が開く。綺麗な女性が姿を現した。
白いTシャツの上にリネンのエプロンを着ており、年齢は三十代後半。緩く結んだ三つ編みを横に垂らし、顔には柔らかい笑みを浮かべている。
小空は心の中で大歓声を上げていた。彼女の大好物であるものを全て詰め込んだと言っても過言ではない女性の容姿に、意識せずとも口の端が釣り上がる。目も細めて何とか笑顔に持っていく。
「これ、頼まれていたものです」
小空は買い物袋を彼女に手渡す。彼女はその場で袋を覗いて確認した。
「ええ、大丈夫そうです。ありがとう。最近子供が出来て、悪阻が酷くなってきたから、外に出られなくて......」
「そうなんですね。どうか無理せず安静になさってください」
「ありがとう。そう言えば、あなた色科高校の子よね? 私の娘も春からそこに通っているのよ」
「娘さんですか!」
小空はこの家の表札を頭に思い浮かべる。『花村』と書いていたはずだ。
頭の中で自分のクラスの名簿を確認するが、花村という女子生徒は居なかった。そうなるとほかのクラスだろう。今のところ三クラス分の女子の名前と顔は把握しているが、そこにも花村という子は居ない。
「あの子取っ付き難い性格で小さい頃からお友達が居ないのよ......もし良ければあなたがお友達になってくださる?」
「ええ、そりゃあもちろん!!!」
頼まれればそうするしかない。頼まれなくても小空ならばそうするのだが。
「ただいま」
その時後ろから声が聞こえてきた。庭の階段を小空と同じ制服の少女が上って来ている。小空は彼女を見てピンと来た。少女もまたピンと来たらしい。
そう、嵐平のクラスに居た、あの美少女だったのだ。
「あなた......」
彼女は警戒しているようで階段の途中で止まっている。
「あら、スミレ。おかえり」
「......ただいま」
スミレと呼ばれた少女は小空から目を離さずに口を開く。
「お母さん、この子......」
「あら、お知り合いだったの? お母さんの代わりにお買い物に行ってきてくれたのよ」
女性が袋をスミレに見せた。スミレは少しだけ驚いた顔をしている。
「この子が?」
「そうよ」
「......」
スミレはじと、とした目で小空を見る。
「娘さんめちゃ可愛いです」
小空は振り返って女性に言う。
「実は学校にいる時も思ってたんです」
「あら、そうなの? ふふ、父方の祖母がフランス出身なの」
「なるほど、クォーターでしたか」
道理で日本人離れした顔立ちなわけだ、と小空は納得した。
「......お母さん、何を言ったの」
スミレは母親を軽く睨んだ。今の会話はまだ階段にいる彼女にはよく聞こえなかったようだ。スミレの言葉に母親はいたずらっぽく笑った。
「いいえ、何も。今日は本当にありがとうね」
「はい、また何かあればお気軽にどうぞ!」
小空は彼女に頭を下げて、その場を後にした。門を潜るまで背中には突き刺さるような視線を浴びていたが。
*****
「いやあ......まじで可愛かったわけよ」
小空は家のリビングにて例の少女のことを熱弁していた。
彼女の前にはローテーブルが置いてあり、そこで雨斗がパソコンを広げている。制服は脱いで部屋着になっていた。彼は小空の話を聞いているのかいないのか、相槌すら打たない。
「フランスの任務とかあればなあー。周りを美女に囲まれちゃったりねえ。あー、ロシアでもいいんだけどね」
「......」
「いや、やっぱハワイとか? 水着美女とキャッキャうふふとかね」
「......」
「ああ、あとは______」
「おい、少し黙れ」
やっと彼が口を開いた。
「お! あまっちゃんもこの話題に興味を持ってくれたようだね?」
「持ってない。これ以上喋ったら口縫うぞ」
「やだ、あまっちゃん!! 乙女の唇を縫うなんて!! これがホントのお口チャック_____」
「太い針でいいな」
雨斗が立ち上がったのを見て小空はぎょっとする。
「待て、待つんだ雨斗!! 悪かったって!! 訂正するから!! 日本の美女が一番そそられるって!!」
「訂正してないだろ」
雨斗は立ち上がりかけていた体を戻してパソコンに戻る。小空は喋り疲れたのか、ソファーの背もたれに倒れかかって天井を仰いだ。
「高校生最高......」
「良かったな」
「あまっちゃんのところは可愛い子居た?」
小空頭だけ上げて雨斗を見る。
「興味無い」
「あ、はいはい。嵐ちゃんと一緒、と」
小空が再び頭をソファーの背もたれに戻した。
「......で、さっきから何してんのさ」
「新たな任務が来た」
「美人関係?」
「女の子ではある」
「おっしゃ」
小空が弾みをつけてソファーから起き上がる。雨斗はさっきから変わらない厳しい顔をしていた。
「誘拐事件だ。日本各地から、五歳児が次々と消えているらしい」
*****
「ママ、あれやる」
舌っ足らずな声で、その女児は母親に言った。左手を母親に繋がれ、右手は店の出入口に置いてある数台のカプセルトイを指差す。その中に、女児が大好きなうさぎをモチーフにしたトイがあった。
母親はそれをちらりと見て、「お買い物終わったらね」と通り過ぎようとした。
「今やる」
女児が足を止めようとする。母親は「後でって言ってるでしょ」と構わず前に進んだ。
今日は幼稚園の引渡し訓練の日で、給食もなく帰ってきた娘を連れて買い出しに来た。本来は午前に済ませるべきだったが、掃除と洗濯とで時計を見ればすっかり時間が経っていたのである。
子どもを連れての買い物がどれほど大変か、それは子どもを持った後によく理解した。目を離せば何処かへ行くので、必ず手を繋ぐ必要がある。籠を持ち、片手に子どもだと商品を手に取って吟味することすら一苦労だ。子どもは母親の手から逃れてカプセルトイの方に向かおうとするので、常に片腕に神経を集中させる必要があった。
「羽実、ちょっとは我慢して」
母親が少し強く言うと、羽実と呼ばれた女児は泣き出した。周りの目が此方を向いたのが分かったが、気にしない振りをして手に取った野菜の状態を確かめる。
「ママ、きらい」
小さな声で言われた。泣き声が大きくなっていく。次のコーナーに進もうとするも、子どもはその場に居座ろうとした。
「ねえ、いい加減にして。ママ忙しいんだから」
そう言ったが、彼女は黙りを決め込んで動こうとしない。
「もう知らない。好きなところ行きな」
母親が言って手を離すと、再び泣き出した。周りの目がいよいよ刺さってきた。
煩いので静かにしろ、と言われているようだが、子どもは泣くものだし、大体あんな場所にカプセルトイを置いている店側にだって責任はある。子どもの興味を嫌なところで引いてくる。
恨めしい気持ちで出入口付近にあるカプセルトイを睨み、母親は続いて精肉コーナーに向かった。羽実も着いてきているらしい。
こんなことになるなら、掃除洗濯よりもまず買い出しに出るべきだった。
母親は小さくため息をつき、娘の好物である、うさぎの形をしたキャラ物の冷凍ナゲットをそっとカゴに入れた。
*****
異変に気付いたのは、刺身コーナーに居た時だった。ふと顔を上げると、いつの間にか娘の姿はなかった。
さっきまで後ろをついてきていると考えていたが、後ろにいたのは中年の女性で、突然振り返った母親を不審な目で見てきた。
母親は手に取っていた刺身を戻し、お菓子コーナーに向かう。大体子どもが居るとしたら此処だが、二列にわたるそのお菓子コーナーには人っ子一人見当たらない。ならば、と隣の列、さらに隣と見ていくが、小さな子どもなど何処にも居ない。
「羽実」
店の迷惑にならない範囲で、母親は娘の名前を呼んだ。しかし走り寄ってくる足音も、返事もない。もう一度呼び、今度は棚の影も見てみる。それでも姿は見えない。
まさかと思って出入り口を見に行く。カプセルトイの前に居るのかもしれない。今の娘にとって欲しいものはお菓子よりもあのうさぎのトイだ。
そう思っていたのに、トイの前はがらんとしていた。外では暖かい陽気によって温められた空気がゆらゆらと小さくに揺れている。
その中で、一台のバンが動き出した。白くて、大きなバンだ。そのバンの後部座席の窓から小さな子どもの手の影が見えた時、母親は全身から汗が吹き出た。
迷子など、そんなことを疑っている場合ではないのだ。子どもの手を離すということは、どういうことか。
母親はそれを身をもって体験した。
読んで頂きありがとうございます。
7月から更新再開します。




