編み物とロッキングチェア
小学生の頃、母と弟と一緒に家具屋さんに行ってロッキングチェアを買ったことがあった。
外人のおばあちゃんがこの椅子に揺られながら編み物にせいをだすようなイメージがあった。
配達してもらった椅子に座ったが、前につんのめりそうな感覚がして、落ち着いて座れない椅子だった。きっと廉価すぎて不良品だったのだろう。釣り合いがとれず、変な感じがした。
なぜ今頃になって思い出したかというと、編み物をしていて、集中していたら、小説のネタを考えていて、ロッキングチェアが思い浮かんだからだ。
「ロッキングチェア探偵なんて、どうかな?」
老齢の女性がロッキングチェアで編み物をしていて、孫たちが話している内容から推理して、事件を解決!
だけど、肝心の事件が思いつかない。SFだけじゃなく、ミステリも読むべきか?
小説を書く時、見切り発車の時が多い。登場人物が動き出したら、話が進み、ここはこうだから、ああじゃないと辻褄が合わない、とやっていくうちにパズルのピースが埋まっていくように話が出来上がってゆく。自分で、これはこんな話だったのか!と驚くことが多い。50年読書やテレビ鑑賞、漫画読みを続けてきた集大成で書けるようになっていた。多分、同じ年代以上の人が私の小説を読んだら、これ、あれと似てる!と思うことがありそうな気がする。多分、ロッキングチェア探偵って、誰かが書いたことがある話かもしれない。
ロッキングチェアに揺られずとも、編み物をしていると、いろいろ考え事をして、小説のネタが降ってくる。
手指を使って何かやっていると脳が活性化するのだ。
学生の頃勉強する時に、ただ目で読んで覚えるよりも、ノートに何回か書いた方が覚えてしまっていた。めんどくさいと思う暇ももどかしく、繰り返し覚えるまで書いていた。
新井素子さんの小説を読んで、自分もSF作家になりたいと強く思い、小説を書けるくらいいろんなことを知りたいと思って、勉強したいという気持ちが強くなった。家が貧しかったので、育英会の奨学金をもらって大学に行った。知的好奇心旺盛で、勉強が面白かった。
あんまり考えすぎるとおかしくなるギリギリまでを体験した。
だからほんとにおかしくなったかもしれない。統合失調症だ。SFみたいに2つの記憶を辿った経験もある。
今日はぼんやりと、賞に応募した小説がだめだった時どうするか考えていた。多分、だめだろう。だって、海千山千の人たちが応募しているんだから。でも、9つ応募しているから、どの路線がだめで、どの路線がいいところまで行くかわかるだろう。そしたら、それで作戦練り直してまた応募だ!50歳の記念に賞がとれたらなー、と思っていたけど、そんなに甘くないだろう。だから気を引き締めて次のこと考えなくちゃ。
とにかく、何か書いていよう。それが大事。
だから、今これを書いている。