人をダメにするソファ(税込\39,800)の転生 ~ソファな令嬢は婚約者の王子をダメにしたい~
私の前世はソファだった。
それもただのソファではない。
中材には手触りのよい微粒子ビーズが詰められ、外材は滑らかな手触りかつ伸縮性のある生地を使用した、人をダメにすることに特化したソファだった。
お値段なんと、税込\39,800。
これを安いと取るか高いと取るかは人によって異なるが、一大ムーブメントになった事もあるので妥当な値段だったのではなかろうか。
私を購入した家族の間では、私に座る権利を巡って常に争奪戦が繰り広げられていたものだ。
そんな私の華々しい時代は、一匹の猫によって終わった。
『ダメよ、ミーちゃん!』
にゃあん、という独特の鳴き声と白茶の毛皮が私に迫ったのを感じ取った佐藤道代(43)が声をかけるも、時既に遅く。
彼女がミーちゃんを抱き上げた時にはもう、私の柔らかな身体は取り返しの付かないほどに切り裂かれていた。
私の外材は手触りがよい分ひっかき傷に弱く、また中材のビーズが細かいだけに通常のクッションのように縫い合わせることも難しい。
家族達は私を惜しんだものの、人をダメに出来ないソファなどただのソファ。ましてや座る度に微粒子ビーズがこぼれ落ちるソファなどゴミ同然。
結局私は粗大ゴミの日に捨てられ、その生を閉じた。
―――筈だった。
「おめでとうございます、奥様。
可愛らしい女の子ですよ!」
「まあ、なんて可愛らしい……」
次に私が意識を取りもどした時、そこは見知らぬ部屋だった。
おかしい。私は粗大ゴミの日に佐藤朝彦(47)によってゴミ置き場に捨てられたはずだ。
ここが私たちソファの間で処刑場と恐れられる「焼却場」なのだろうか。
しかし、その割には私が置かれている室内は塵一つなく綺麗に整えられていた。
そこでもう一つ、私たちソファの間で噂になっていた「救済」を思い出す。
粗大ゴミとして捨てられたソファはごく稀に、別の人間によって持ちかえられる事があるらしい。
まさか―――私も救済されたというのだろうか。
いや、しかし私の身体はもう使い物にならないはず。いくら物好きな人間とはいえ、私を持ちかえるものなど……。
考えこむ私の前に、銀色の髪の美しい女性が現れた。
顔には色濃い憔悴の色が浮かんでいるが、それでも私を見てにこやかに微笑んでいる。
この人が、私の新しい主か。
それに納得する間もなく身体が浮かび、抱き上げられる。
―――抱き上げられる?
私は人をダメにするソファ。私に寄りかかった人々を優しく包み込む為、その身体は縦160㎝、幅80㎝、重さ7㎏といったなかなかのサイズになっている。
そんな私をいとも容易く抱き上げたこの女性は一体……いや、違う。
改めてよく見ると、私を取り囲む全ての人が私よりも大きいことに気がついた。
加えて、望めば動くこの身体。
私が捨てられる一ヶ月前に産まれた佐藤唯(0)にそっくりではないか。
どうやら私は転生したらしい。
それも、私の知る世界とは異なる世界。いわゆる「異世界」に。
それに気がつくまで、時間は掛からなかった。
私を特に愛用していた佐藤藍(16)が、私に腰掛けながらよくネット小説を読んでいた為だ。
彼女は食事時や何か用があって私から離れなければいけないとき、よく自分のスマートフォンを私の上に置いていった。
そうすることで彼女の父である朝彦が私に腰掛けたとき「そこに私のスマホがあるじゃない」と主張して、私に座る権利を取り戻せる為だ。
その為、私と彼女のスマートフォンはよく話をした。
中でも頻繁に話題に上がったのが、彼女が好んで読んでいた異世界転生小説だ。
主の興味のあることについて、自らも興味を持つ。彼女のスマートフォンはまさに、所有物の鏡だった。
当時の私は自分の境遇に満足していた為、その小説の良さは全く分からなかったが―――知っておいて本当によかったと思う。
そうでなければ、自分の置かれた境遇を理解するまで更に時間が掛かったことだろう。
さて、話を戻すと私はどうやらアストルムと呼ばれる国にある公爵家の令嬢に産まれたようだった。
金銭的な不自由は何もなく、父母の仲もよく、八つ違いの兄も私を可愛がってくれ、まさに順風満帆な生活と言えるだろう。
しかし私には不満があった。
「人をダメにしたい」
それは私の存在意義であり、前世から続く唯一の願いだった。
幸いなことに、家族は私を目に入れても痛くないほどに可愛がってくれている。父や兄はよく「母さんやお前といるとどんな疲れも癒される」と言っているから、目的は達成できているのだろう。
しかし、それは私が私である為ではない。私が彼らの家族だからだ。
もちろんそれでも癒やしが与えられているので構わないのだが、元「人をダメにするソファ」としては自らの実力で人を癒したい。
この世界の教育を受けたことにより、前世のように私に近づく全ての人を優しく包み込んで癒すことが立場上許されないことは知っている。
人間とは、なんとも不便なものだ。
しかし、私には婚約者がいる。アストルム王国の王子である、パトリック殿下だ。
彼は将来的に私と結婚し、家族となる人間。彼なら癒してもよいのではなかろうか。
そう考えた私は、早速人をダメにする術を学ぶことにした。
といっても、もちろんこの場合の「ダメにする」とは堕落させるといった意味ではない。
私といる間は気を張ることなく、何も悩むことなく、ただゆったりと疲れを癒してもらう。
それが人をダメにするということだ。
まずは身体から工夫するとしよう。
人をダメにするソファで大切なのは、座ったときの感触だ。ただ沈み込むような柔らかさだけでは、却って疲れを増長しかねない。
柔らかく、それでいて寄りかかってくる身体をしっかりと受け止めるだけの弾力が必要だ。
外材、人で言う皮膚の手触りも重要だった。
いつまでも触っていたくなるような、あの手触り。あれに佐藤家の人々や客人はいつも夢中になり、私に触れたものだった。
そして、見た目。
ソファであった頃には見た目で重要視されるのはせいぜい色程度だったが、人間は違う。
前世で「癒やし系」と呼ばれる外見的特徴が決まっていたように、見た目によって癒やしを得ることも多々ある。
私を愛用していた藍は、好みの男性アイドルを見てはよく「目の保養」と言っていたから、人は視覚を大切にする生き物なのだろう。
「ソフィ。君は本当にかわいいね。
髪は月明かりを束ねたようだし、目は森を映す泉のようだ。
僕の妖精。僕の女神。僕だけを見てくれないか」
「はい、殿下。私はあなただけのソファ。
殿下を抱き留める準備はいつでも出来ています」
「面白いことを言うね。
ソフィはどちらかといえば、抱き枕だと思うけど」
幸いにも、私の容姿はパトリック殿下の好みに合致していたらしい。
背がやや低いのは不満だが、パトリック殿下は「この方が抱きしめやすいから」と言っていたので問題ないだろう。
殿下がソファよりも抱き枕を好む人でよかった。
そして、中身。
ソファで大切なものが中材であるように、中身が駄目では真の「人をダメにするソファ」とは言えない。
表面の手触りがよいソファ。大きなソファ。それはよくある存在だ。
中でも私たちが特に「人をダメにするソファ」と呼ばれたのは、中材の微粒子ビーズが寄りかかった人の身体に合わせて変形し、その身体を受け止める素材だった為だ。
人も同様だ。
違いと言えば、ソファが物理的に抱き止めることに特化しているのなら人は精神的にも抱きとめ、支え、慈しむ必要があるということか。
なるほど。人とはなかなか難しいものだ。
しかし、私は「人をダメにするソファ」だった人間。
殿下をダメにする為なら、どのようなことでもこなしてみせよう。
「僕のかわいいソフィ。今日は久々に、君と一日過ごせるよ。
どこに行きたい? 何がしたい? 君の望むことならなんでも叶えよう」
「それは嬉しいですけれど、お疲れではないですか? 顔色がよくありませんよ」
「君といられるのなら、疲れなんて吹っ飛ぶさ!」
殿下の言葉は私にとって嬉しいものだったが、その顔色は相変わらず冴えないままだった。疲れが取れていない証拠だ。
人をダメにするソファを甘く見てはいけない。
「無理をなさらないでください」
「せっかく予定のない日を一日確保できたんだ。君が見たがっていた喜劇を見に行こう。
休むなんていつでも出来る」
「殿下。疲れたままでは、どんなに楽しい劇を見ようとも真に楽しむことは出来ません。
劇は夜ですから、まだ時間はあります。それまでどうか、お休みください」
殿下はそれからしばらくの間「けれど、君は退屈だろう」と渋っていたが「お疲れの殿下と一日過ごすよりも、元気な殿下と数時間を共にする方が楽しいです」と押し切り、休みを取らせることに成功した。
公爵家の客室の中でももっとも上質な部屋に案内し、ベッドに横たわらせる。
その身を包むのが私ではなく見知らぬベッドであることは悔しいが、本格的に休むのならソファや人間よりもベッドの方がいいのは明白。
仕方のないことだ。
「せめて、眠るまでは一緒にいてくれないか」
「はい、殿下」
婚約者とはいえベッドを共にすることはもちろん禁じられているが、ベッドに横たわる殿下の傍に就いていることはできる。
人の気配を感じると眠れないという人も多いが、殿下が逆に人の気配があった方が眠れる性質のようだ。
しかし、殿下はなかなか寝付けない様子だった。
席を外した方が眠れるだろうかと思って問いかけると「それはダメだ」と言う。
横になっているだけでも疲れは癒やせるだろうが、最大限の癒やしが提供できないということは人をダメにすることに特化したソファとしていかがなものだろうか。
「殿下。お手を借りてもよろしいですか」
「うん? ああ、構わないよ。どっちがいい?」
「まずは右手をお借りします」
普段は手袋に包まれている為、直接触れることはない殿下の右手に触れると私の負けず劣らず滑らかな肌触りが伝わってきた。
その上、私よりも暖かな体温。殿下が人をダメにするソファであったなら、きっと私よりも優れたソファになっていたことだろう。
感銘を覚えながらその手を握り、前世でスマートフォンに教わった「ツボ」と呼ばれる部分をそっと押してみる。
その途端、殿下の口から心地よさそうな声が漏れた。
私はマッサージ師ではない上に、殿下とは婚約こそしているものの結婚したわけではない。
さすがに本格的なマッサージは出来ないが手に触れるくらいなら許されるだろうと試してみたのだが、この反応……どうやらだいぶ疲れが溜まっているようだ。
右手を終え、左手に移ると今度は声が聞こえなかった。
といっても気持ちよくないわけではないようだ。ただ、気持ちよすぎて眠気に襲われているらしい。
自らの実力で殿下の疲れを癒す……これぞ、人をダメにするソファの生きがいだ。
やがて殿下の安らかな寝息が聞こえ始めたところでマッサージを止め、その手を布団の中に戻した。
あとは劇の時間が来るまで、待つとしよう。
疲れを癒す為に効果的なマッサージの本を読みふけっているうちにいつの間にか日はとっぷりと暮れ、夜になっていた。そろそろ起こすべきかと腰を上げた時、殿下の瞼がゆるゆると持ち上がる。
懐かしい。前世で私に包まれて眠った佐藤家の面々が見せていた満足げな表情と同じだ。
この様子からして、恐らく疲れはだいぶ癒やせたはずだ。
「おはようございます、殿下」
「ああ、おはよう。僕のソフィ。
退屈じゃなかったかい?」
「いいえ、少しも。疲れは取れましたか?」
「もちろんさ、僕の天使。
ソフィのおかげで、すっかり元気になった。ソフィと一緒にいると、本当に心が安らぐよ」
今度の殿下の言葉は素直に喜ぶことが出来た。
顔色もよく、目も輝いている。これなら劇もより楽しめるだろう。
その後も、殿下は度々無理をした。
どうやら殿下は頼み事は断れない上、人に弱みを見せたがらない性質らしい。
おかげで、私のマッサージの腕は上がっていくばかりだった。
いまや我が家の父や母、兄も私のマッサージに夢中だ。時折、母に頼まれて知り合いの夫人にマッサージを施すこともある。
人をダメにするソファだった私にとって、これ以上のしあわせはあるだろうか。
「僕のかわいいソフィ。
すまない。婚約の破棄に応じてくれないか」
そのように殿下から切り出されたのは、人をダメにする力が次第に上がっていったある日の事だった。
これが、前世でスマートフォンが「藍ちゃんが好きなジャンルなのよ」と言っていた婚約破棄か……などと現実逃避じみたことを考えてしまうのは、私にソファ力が足りないためだろう。
ここで逃げてはいけない。どんなときでも、ソファが逃げることは決してないのだから。
「何故ですか、殿下」
「それは……」
殿下は僅かに躊躇った後「僕が弱いせいなんだ」と切り出した。
「僕は次期国王として強くあらねばならないのに、君といるとどうしても甘えてしまう。
その……ダメになってしまうんだ。
王が王妃に甘えてばかりいては、国民へも他国へも示しが付かない。それに、君にも迷惑だ。
僕の我儘で婚約を破棄したと発表するし、代わりとなる縁談も君が望む限りの条件で探そう。だから……」
「殿下」
相手の言葉を遮ったのは、人として生を受けて初めてのことだった。
ソファは話さないし、癒やしを与えるのが目的であれば相手の話は最後まで聞くべきだ。
向こうがただ話を聞いて欲しいだけにしろ、アドバイスを求めているにしろ、話を聞かなければ何も始まらないのだから。
それでも私は、殿下の話を遮らずにはいられなかった。
人をダメにするソファとして売り場に展示されていた間、様々な人間を見て来た勘が言っている。
このままでは殿下は一人で話を完結させてしまい、私の話など聞こうとしないと。
私が話を遮ったことに驚いたのは、殿下も同様だったらしい。先ほどまでの捲し立てるような口ぶりが嘘のように大人しく私の言葉を待っている。
説得するのなら今しかない。
私は一度深く呼吸をし、心を落ち着かせてから話し始めた。
「殿下。殿下は人間です。それは間違いないですね」
「あ、ああ……」
「多くの人は……少なくとも、私が知る限りでは四六時中気を張ってはいられないものです。必ずどこかで疲れを癒し、気を緩めるもの。
そこがソファであるか、人間であるか。そんなものは些細な違いです」
「ソファ?」
殿下は不思議そうな顔をしていたが、今重要なのはソファと人間の違いではない。
後で説明することにして、今は話を進めよう。
「殿下は私に甘えることで、癒されませんでしたか」
「もちろん癒されたよ。
だけど、君に甘えすぎてしまっているような気がするんだ。
せっかく婚約者の家に行ったというのに、僕ときたら眠ってばかりだし……」
「それが私には嬉しいのです。
殿下が私で癒され、そして元気を取りもどされた姿を見ることが私の生きがいなのです。
甘えることは弱くなることではありません。一度休み、力を取りもどすことなのです」
今の私は、自分でも驚くほどに必死だった。
何故これほどまでに、殿下に執着しているのだろう。
もともと、私の目的は人をダメにすることだったはずだ。ソファがもたれかかる人全てを包み込むのと同様に、私も相手を選ぶつもりはなかった。
ただ、この世界で私が思う存分ダメに出来るのが婚約者である殿下だっただけのこと。
私の望むとおりの縁談を用意してくれるというのなら、私を望んでくれる人と一緒にして欲しいと頼めば殿下のことだ。きっと叶えてくれただろう。
しかし、今の私は別の人を望むつもりはなかった。
ダメにするなら、殿下がいい。
その気持ちはソファとしてではなく、ソフィとしてのものだったのだろう。
私の言葉は、殿下に届いただろうか。
話し終えてから殿下が口を開くまでの間が、とても長く感じられた。
「……ソフィ。僕の愛しい人。
すまない。本当に……馬鹿なことをいった。許してくれるかい」
「殿下がいつも通り、私に甘えてダメになってくださるのなら」
「仰せの通りに」
殿下が差し出した手を、私が握る。
相変わらず「人をダメにするソファ外材」一位に輝きそうなほど手触りのいい手を、私が離すことは生涯無いだろう。
私が人としての生を全うして、再び転生するその時まで。