僕は何も知らない
僕は知らない。
今年三十歳になろうとしている僕は、周りが当然のように知識に入れていることも、知らないと場合によっては蔑まれるような一般的な教養も、僕はあまり知らない。
もしかしたら過去に学校や先輩などから学んでいたり聴いていたりする知識も、今では覚えていないから結果的に知らないことになる。
自分が昔のことを忘れていることに対しての焦りは今まで何もなかった。小学校の頃に習っているはずの小数点や帯分数の計算、今ゲーム的に算数の試験を解いてみようということになれば僕は間違いなく満点は取れないだろう。
しかし僕は当時から思っていた。この計算は一体何の役に立つのだろう。この当時の疑問は様々なものへと投げかけられるようになった。
社会人一年目は紳士服のアパレル企業に就職。販売員時代に小数点や帯分数の計算は勿論使うことはなかった。
四年間勤め、転職した先は生命保険会社。アパレル企業から生保に流れる人間は多いと聞くが、僕もその一人になった。
勿論生保の会社でも、自分が無駄だと感じた教養は使わなかった。
仕事は無駄なものとは思ってはいない。しかし、できるだけしたくないという気持ちが強いことから、仕事場での小さな失敗が多くなりがちだった。
そのうち仕事のみならず、日常的に行う恒例的な行事も必要か必要ではないかで考えてしまうようになった。
新年の挨拶、友人の結婚式、お盆、バレンタインデー、誕生日
そうしてなんとなく過ごしてきた三十年、僕は無駄なものを頭の中から捨てる癖が付いてしまっていた。
ある年、家族で新年を迎え親戚が実家に集まってくる。親戚は歳が近く、昔から二つ下の弟と仲良く遊んでいた。
この日も他愛もなく新年の特番を見ながら話していると、ある時弟が自分達が昔遊んだ話や思い出深い話をみんなにし始めた。
その時全員が同調したり思い出しながら爆笑している中、僕だけその話を何も思い出せなかった。
恐らく、親戚の行事を必要のないものとして仕方なく過ごしているため、何も頭の中に残っていないのだろう。
その時深刻に気にすることもなく、そんなこともあったっけなあぐらいの印象にしか残らなかった。
僕は普段テレビを見ずに情報のほとんどをTwitterで収集する。フォロワーのやりとりを見て面白おかしくしてることもあれば、ニュースのアカウントから時事ネタを知ることもある。
その中で飛び込んできた一つのワードがあった。
「ADHD」
何も知らずになんとなくこのアルファベット四文字を検索してみると
注意欠如多動性障害。
読んで字の如く。注意力が常人より欠如をしており、落ち着きがない一種の障害。
僕は一瞬で感じてしまった。僕はこれかもしれない。
注意欠陥が起きているのは、そのものに興味を示さず心の奥底に無駄なことだと思い込んでいるから。嫌々出勤し、やらせれて仕事をしているから何も吸収せず、右から左に流す日々を送ってきたツケがここに回ってきたのかもしれない。僕は直感でそう感じてしまっていた。
この文を書いている今、病院に足を運んでいない。確信がないため病院で診察をする勇気もないからだ。何故なら診察されてしまったら疑惑が真実になってしまうから。
自分に欠陥がある、それを受け入れられる自分がいない。
しかし、確信など診察をしなければわからない。
僕はまだ何も知らない。
しかし、知る機会を無視して過ごしていると
自分がこう感じていることもいずれ忘れてしまい、知らないことになってしまうのだろうか。