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聖玉と巫女の物語  作者: ともるん
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エリク神官

 アシュリータが妖魔の男と忽然と姿を消した頃、ファルサは、長くてまっすぐな漆黒の髪が、風もないのに揺れ、不吉な胸騒ぎを感じていた。


 今、ファルサは神殿の東の居住地シュノス街にある、小さな家に一人で暮らしていた。彼女の両親は同じシュノス街にいる、妹リズの家族と一緒に暮らしており、お互い行き来していた。ファルサがリズの家を訪ねることが多かった。


 リズ夫婦にはまだ子供はおらず、二人で働いていた。自宅の離れに工房を作り、リズが織った布を夫が染色した。それをランダーク通りにある生地屋に納めていた。時には貴族の仕立て屋から直接注文が入り、依頼通りの生地を作らなくてはならず、試作を繰り返すこともあったので忙しかった。


「ルサ、あんた、まだ若いんだから」とは、ファルサの母の口癖だった。

 その日、いつものように母親の顔を見に来たファルサは、また同じことを聞かされ、さすがにうんざりしていた。


「母さん……」

「もう、自分のために生きるんだよ」

「わかってるわ」

「そういえば、ワズはお前の家に寄ったかい? うちには時々、顔を見せるけど」

「そうなの? ううん」

「まったく、ワズもあんたもリズみたいに早くいい人見つけて……」

「ごめん、もう行かないと。父さんとリズによろしく」


 ファルサはため息と共に、いつまでも子ども扱いする母親に苦笑した。

 城の周りの城下町とは違い、ここは神殿の近くでもあり、神官とその家族たち、巫女の一族が多く住んでいる。アシュリータがかつて住み、ウェルギンが時おり立ち寄る自宅もこの居住区にある。


 ファルサが巫女だった頃に侍女だった者は、アシュリータが巫女の館へ移って来た時に里へ下がっており、その後すぐに村の者と結婚してしまっていた。神殿からの恩給が出ていたファルサには侍女を雇える余裕はあったが、彼女は、新しく侍女を探す事はしなかった。


 聖玉とともに巫女の地位をアシュリータに譲ったファルサには、以前のような力はないが、巫女の経験から得た知識は豊富であり、人々から慕われていた。薬草の事や夢見の解釈、子供の名づけ、魔除けの方法などあらゆる事で人々が彼女の元を訪れた。時には神殿からの要請で、巫女候補たちに講義を行なったりした。また、小さな畑を借りて薬草を作っていた。


 求婚者がいる、という噂もあったが、本人は否定していた。かつて、ファルサほどの年齢で巫女を引退した者はいなかったため、巫女を退いてからの彼女の行く末は興味の的でもあった。


「ファルサおばさん、これでいいの?」

「リリィ、字が反対になってるわよ」

 ファルサは時おり、近所の子供たちを集めて勉強会を開いたりしていた。

 そういう仕事は主に巫女候補だった者や、神殿で学んだ教師たちの役目だったが、ファルサは若くして巫女を引退したので教師としては十分だった。


 カインデルの国民の識字率は高かった。巫女候補となって、修練を終えた彼女たちは、巫女には選ばれなかったが、学ぶ楽しさを覚え、独学するようになった。そして、身内や近所の子供たちに読み書きや計算を教えた。七代国王がその成果を認め、国民に広く学ぶ機会を与えようと、城砦外の村や町に、任期つきで神殿で学んだ者を教師として送った。それは今でも続いている。城砦内では、巫女にはなれなかったが、学問に優れた資質のある女性をさらに何年か神殿で学ばせ、教師として雇った。国が空き家を利用して教室を作り、子供たちはそこで基礎教育を学んだ。


「ファルサおばさんの家の前に誰か来てるよ」

「ありがとう、リリィ」 


 その日、薬草を収穫していたファルサの元に神殿からの出向要請の使いが来た。

 

 神殿に赴いたファルサを出迎えたのは、エリク神官だった。

 カイサル神官長の補佐の中の一人。


「お久しぶりです、ファルサ様」


 二人は、ファルサがまだ巫女見習いの時に神殿で面識があった。その時、エリクはまだ藍色の神官見習いの服を着ていたが、今日は白服だった。白は神殿では位の高い神官のみ着用が許されている色で、次に紺、そして見習いの藍と続く。しかし、白服を着ている神官や巫女も、城の外では目立たない紺を着用する事になっている。


「話はさきほど伺いました。心の準備はできています。いつでも出発できます」

「申し訳ありませんファルサ様、私たちがいながら……」

 ファルサは首を振った。


「今はそんな事を言っている場合ではないわ」

 そして急に、ハッとしたようにファルサは言った。


「王族たちはこの事を知っているのですか?」

「ええ、もちろん。ただ、民衆にはまだ告げるなと。侍女のエルダには、巫女は特別な任務のため神殿に詰めていると説明しています」


 ファルサはしばらく考え込んだ。

「エリク神官、王子は知っていますか?」

「王子ですか? 直接には知らないと思いますが」

「そう。知れば面倒な事になるから」


 ファルサの言葉にエリクは黙ってしまった。彼もアシュリータと王子の噂を耳にした事があった。その時まで嘘だろうと思っていた。

「わかりました。王子には知らせないよう配慮します」


 しかし、それは手遅れだった。

 神殿からの使いが来た時に、王子もその場にいた。

 使いの言葉に顔色一つ変えないホルティス王の横で、フリンツは立っているのもやっとだった。

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