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俺はこの国の大神殿で騎士をしている。数ヶ月前までは王宮務めだったのだが、新王の即位をきっかけに、こちらに移ったのだ。
まだまだ味方の少ない新王陛下はわずかに心細そうな顔を見せたものの、俺がこちらに異動する意味は理解してくれたらしい。
今はそれで良かったと思っている。
何せ、神殿と王宮は昔から対立が多い。
神の名の元、国の全ての民、王族をも従えようとする神殿。神の血族である事を理由にその威光で全ての民を従えようとする王家。
異なる方向へ進む者たちが、同じ国を手中におさめようとしているのだ。
情報が全てを握るこの世界。新王に即位したこのタイミングで、王と繋がりのある俺がここにいる意味は大きい。
そんな中、神殿にとって何よりの誤算は聖女召喚だろう。
先日、王の許可を得る事なく突如行われたこの召喚。現れた女──少女とは言い難い年齢だ──は、間違いなく、大神官にとって予想外の相手だった。
この世界を救う力を持つ聖女が、驚いていたとは言え、第一声であのように魔力のこもった、殺気あふれる低音を出すとは思わないではないか。
そして状況を素早く理解した彼女は、必ず満足のいく最上級のもてなしをすると言った大神官にきっぱり告げたのだ。
「それは無理ね。悪いけど、貴方たちの最上級と私の知ってる最上級には大きな差があるはずよ。私の満足感が確実に得られるもてなしとやらは、この世界の技術では実現不可能だわ。絶対にね」
あの時の眼差しは、まるで『絶対零度』と呼ばれる最強氷結魔法を展開したかのようだった。そんな眼差しを受けて、さすがの大神官も震え上がり、場の空気は完全に凍り付いていた。
その中で、彼女はなんでもないようにこう続けた。
「何も特別にしなくていいわ。貴方たちが、毎日食事したり寝たりする、普通の生活の仕方を私に教えて。教えてくれないと、今の私はこの世界で一日も生活できない。そうでしょう?」
面白い、と素直に心が動いた。かつて召喚された歴代の聖女たちは、完全に神殿の木偶として酷使され、打ち捨てられていった哀れな少女ばかりである。無論、その事実は隠されている。が、神殿騎士である俺の家には代々伝わっている。彼女たちを守りきれなかった無念の想いも、だ。
彼女は、違う。この強かさには、心動かされずにはいられない。彼女ならば、共に戦い、何かを変えられるかもしれない。
そう思い、全てを押し切って彼女の護衛の任務を勝ち取った。
そして現実を知り、今に至る。
「あいつは……!」
俺は、大神官から事の顛末を聞いて憤慨していた。既に、彼女がここに召喚されて、半年ほどになる。その間、彼女はこの神殿を出たことは無い。無いのだが、その名は他国にまで轟いている。
国中の貴族女性に食事改革と運動によるダイエットブームを起こした張本人として、だ。
しかも、その成功率が半端じゃない。おかげでこの国には美人が多いと評判になり、他国の貴族男性が喜んでこちらのパーティーに参加し、女性もまた、美の秘密を知る為こぞって入国。
そうして集まった数々の成功例を引っ提げ、その事業は庶民にまで広がっていき……まぁ、つまりだ、ものすごい勢いで経済を回しているのだ、彼女が暇潰しで始めた企画が。
そしてまた、俺の知らぬ間にまた新たな企画を進行していたことが判明したので叱りにいく所だ。
あの時の感動は嘘だったのではないかと思う。ここまで悪ふざけが過ぎる女だとは思っていなかった。そして新王陛下も同類であるとは知りたくなかった。
二人の行きすぎた悪ふざけのせいで、大神官も宰相も、今や二人の言いなりである。
傀儡となって苦しむよりは、良いのかもしれないが……しかし、ここは声を大にして言いたい。
なんか違う!
「それにしたってなんなのだ、このぶ、ぶーときゃんぷとやらは……!」
女性改革が終わったら今度は男性に矛先を向けたらしい。貴族男性対象と書かれたこの企画書。
『普段の生活圏から隔離された施設に一定期間住まわせ、規則正しく自立した生活を体験させ、精神を鍛え直す事が目的である』という、いかにもうさんくさい書き出しから始まるそれ。朝の起床時刻の瞬間から細かい指示書きがなされており、しかも朝食までの間に数キロのランニングが入っている。その朝食ももちろん自分達で作り、食べた後は片づけがある。その後はとにかく訓練、訓練、訓練……
「こんな、こんなにも恐ろしいものを一人で考えているとは……」
貴族の男子は後継が決まってしまえばそれ以外の男子は家でできる事がない。一人は所謂『スペア』として残されるが、他は学者や騎士を目指すものだ。
この鬼のようなスケジュールがこなせる男なら、すぐに騎士団に迎えられるだろう。
施設はどちらにする予定だろうか。地方の神殿は既に、美しくなりたい女性たちで受け入れる余裕はない。それに神殿だと人の立ち入りが制限される。出来れば騎士団長に視察してもらい、将来有望な騎士候補をスカウトする流れを作りたいから……いっそ騎士団訓練で採用して企画進行させてしまえば場所の問題も解決するのでは……?
「素晴らしすぎるではないか!」
俺も、最近彼女にだいぶ感化されてきた気がする。
彼女を見つけ、駆け寄ろうとした俺は、寸前で思い止まった。神殿の中庭にいる彼女は今、子供や老人に囲まれていた。
皆、街に居場所を失くした孤児や重い病にかかっていた者たちだ。彼女は神殿を訪れるそういった者たちに、何の躊躇いなく触れ、話しかけ、その身に宿る聖なる力を使う。全て無償でだ。
「だって、これその為の力でしょう?」
何故そこまでするのかと問えば、きょとりと、不思議そうに首を傾げて笑うのだ。彼女にとって、当たり前過ぎてこちらの戸惑いなど分からないのだろう。
聖女は世間的には全ての神殿の頂点に立つ存在だ。神に準ずる、と言えば分かりやすいだろうか。故に、簡単にその身を晒す事など考えられない。そして、その奇跡と呼ばれる力は何度も人前で見せて良いものでもない。
それが、今までの常識だった。
彼女はいとも簡単にその常識を壊して、こうして民に囲まれる存在になってしまった。
俺の代わりに護衛をしていた部下が、こちらに気付いて目礼してくる。俺がそれに頷き、護衛に加わり直していると、礼拝堂の方が急に騒がしくなった。
「なんだ?」
「ちょっと見てくるわねー」
様子を見てくるから、と彼女に告げようとした時には、彼女が既に走っていっている。
こら、相変わらず足が速すぎるぞ! 護衛を置いていくな!
駆け込んだ礼拝堂では、数人の護衛騎士と誰かが揉み合っているようだった。
「おい、どうした?」
俺の声で、騎士の数人が動きを止める。その大人たちの腕の中、汚れた少年が、幼い女の子を背負って何か叫んでいた。
その様子を一目見ただけで、彼女は凛と響くその声を張り俺に命ずる。
「その子たちを奥へ」
「はっ」
すぐさま、俺は問答無用で少年たちを抱き上げ、礼拝堂の奥の部屋に連れていく。そこは、簡易ではあるが部屋の中央に寝台があり、元々、重病人や大怪我をした人を処置する為に作られた空間だ。
「さっきの女性は聖女様だ。あの方に助けを求めて来たのだな?」
突然の事に呆然としながらも、こくりと頷く少年。女の子を下ろさせ、俺はその寝台へと横たわらせた。
神官から濡れ布を受け取りながら部屋に入ってきた彼女は、ゆっくりと、丁寧にその幼い少女を拭き改めていく。僅かに光って見えるのは、既に力を使っているからだろう。
だが。
「聖女様……」
ちらりと、彼女は俺の横でじっとしている少年を見やる。視線はすぐに少女の方に戻された。
「……ごめんね。助けることは出来ないわ」
「えっ……?」
少年が驚きに目を見開く。
「どうして? お姉さんは聖女様なんでしょ? どんな病気もなおせるんでしょ?」
「ええ、治せるわ」
「じゃあ、助けて! ぼくの妹なんだ──」
必死な言葉を遮って、少年の手を、彼女は自分の胸に引き寄せる。
「あのね、ここ、動いてるの、わかる?」
「……うん」
そして、少年の手を今度は彼の胸に。彼女の柔らかな手がそれを上からそっと押さえる。
「君の、ここも」
「……うん」
悲しくも悟ってしまった幼い視線は、自然とそちらへ向いた。震える小さな手が、小さな体に触れる。その目に明らかな絶望が浮かぶのが、俺の立ち位置からもよく分かった。
「……うご、かない……」
少年が項垂れながらその事実を口にする。
彼が背負って神殿に入った時にはもう、妹はその短い生涯を閉じたあとだったのだ。
「私は確かに、ほとんどの病気も怪我も治せる……でも、死んでしまった人を、生き返らせることはできない」
「死──」
「そう。君の、妹は、死んだの」
バッと、その目に強い怒りをたたえた少年が、そんなことは認めないと言いたげに彼女に顔を向ける。
けれど。
彼女はとても悲しそうに、辛そうに、それでいてとても優しい目で彼の妹を見つめて、その頬を撫でていた。
少年は何も言えなくなり、うつむいた。
痛みを伴う静寂の中、彼女が続ける。
「ねえ、君の妹はとても可愛く笑っているわね」
のろのろと、顔を上げる少年に、彼女は微笑んだ。
「あのね、君が、お兄ちゃんが最期まで一緒に居てくれたから、この子はこんなに安心して笑っていられたんだと思うわ」
「……っ」
「君がもし、良いと言ってくれたら……この子はこの神殿で葬送しようと思うのだけど、どうするか、決められる?」
「え……」
「すぐにじゃなくて良いわ。君がこれからどうするかにも関わってくるだろうし……決まったら、教えて頂戴」
綺麗に改められた幼い少女を、ゆっくりと光が包み込む。遺体がこれ以上傷まないようにするものだ。
そうして彼女は部屋を出ていく。
扉の閉まる音をきっかけに、少年が妹にとりすがって泣き崩れる。
扉の外で見守る騎士だけを残して、俺も部屋を出た。
皆、知っていた。
彼女も今、自分の部屋で一人、己の無力を嘆き、失われた小さな命を悼んで泣いている。嗚咽をこらえる声が漏れる彼女の部屋の扉の横で、俺はただじっと、彼女から声がかかるのを待つ。
「お前はやはり……間違いなく、正しく聖女として選ばれ、召喚されたのだ……」
彼女は、おそらく歴代の聖女たちの誰よりも、優しく、強く……弱い。
突然見知らぬ場所に招かれ、重責を負わされる彼女が、辛くない筈がない。強がっているだけであると、皆もう気付いている。
しかし、残念ながら彼女は立派な大人だ。簡単には、誰かにすがったりしない。大抵の事は一人で乗り切ってしまう。
それが、今この時ほどもどかしい事はない。
一晩明けて、少年は、妹を神殿で葬送してほしいと答えた。
わかった、と微笑んで引き受けた彼女は、聖女として葬送式を執り行った。
それに参列するため身を清めて貰った少年は見違えるような美しい少年になった。孤児である彼は、このまま、神殿と縁のある孤児院に入ることになる。
「時々、妹に会いに来てもいい…?」
問いかけられた彼女は、途端に不機嫌な顔になった。
「なんで時々なの。毎日でも来なさいよ」
「……へへ、わかった!」
言うまでもなく、孤児院とこの神殿は毎日行き来できる距離ではない。だが、彼女が言わんとしていることはきちんと伝わったようだ。
少年は、輝くような笑顔で旅立って行った。