かつて最強と呼ばれた二人の傭兵は
かつて、最強と呼ばれた傭兵が二人いた。
一人の名はエルド・ヴェイサー――その剣術に並び立つ者は、彼と共にいたもう一人の傭兵だけだとされている。
そんな傭兵、エルドの記憶を宿した少女――ルインは、いつものように錆びた剣を握って闘技場に立つ。身なりはおよそ綺麗とは言えず、ボロ切れのような服と手足と首に頑丈な鉄の枷を付けられていた。
……記憶を取り戻した時には、すでにルインは奴隷であった。
両親に捨てられて、奴隷として売られた幼い少女――ルインの前世こそ、かつて戦場で最強の傭兵として活躍したエルドであったのだ。
奴隷として幼過ぎたルインは売れずに、魔物の遊び相手としていずれは朽ち果てる運命であったが、記憶を取り戻したことで生活は変わった。
奴隷という立場は変わらないが、彼女は闘技場で同じ奴隷や魔物と戦う《剣闘士》となったのだ。
その生活を始めてから、何年経ったか分からない。
けれどいつしか、最強の傭兵は――最強の剣闘士として、その名を轟かせるようになった。
ただの売れない奴隷であったルインには価値が付き、金を稼げるようになった彼女は、いつしか『勝った者が彼女を娶ることができる』という名目で、大きく売られるようになったのだ。
単純に剣士として強いルインのことを見初めようと、彼女が奴隷であるにも拘わらず戦いを挑む者は尽きない。
そんな相手を、ルインは悉く打ち倒してきた。
こうして勝ち続けることができれば、ルインは生きていられる。
価値を認められている限り、ルインは奴隷としてもひどい扱いを受けることは、決してない。
(前世の記憶があったって、この生活だけは変わらない)
いくら強くても、奴隷であるルインを縛る枷は、決して彼女を自由にすることはない。
そして、ルインは見知らぬ誰かに負けて自由になることを決して、よしとはしなかった。
それで自由になれるとも限らないし、もっと酷い目に合うかもしれない。
だから、ルインはどんな相手にも敗北することはない――敗北は、許されなかった。それなのに――
「……っ!」
ルインは今、現実を受け入れられなかった。
今日のルインの相手は、ローブに仮面を付けて、一切の素性が分からない人物。
だが、男であるということは分かる……ルインと同じタイプの直剣を持ち、ただならぬ雰囲気を醸し出して、彼女の前に立った。
どんな相手だろうと、ルインから見れば変わらない――そう思っていたのに、現実はそうならない。
……男は、ルインと互角に渡り合っている。否――ルインよりも男の方が、剣術が優れていたのだ。
何よりも信じられなかったのは……男の剣術を、ルイン自身がよく知っていることにあった。
男が大きく踏み込んで、剣を振るう。
ルインはそれを受けて、下がりながら衝撃を和らげる――だが、さらに男は一歩踏み出して、強い一撃を繰り出した。
華奢なルインは、その一撃で軽々と吹き飛ばされる。押されている――それが分かってしまう。
闘技場が今までにないほど熱気に包まれているが、ルインにとってはその状況を理解することができなかった。
(どうして、こんなところに……?)
その疑問の方が、大きかった。素顔が見えなくても、相手が誰だか分かる。
ラーグ・クラーグテ――ルインの前世であるエルドと、肩を並べた相棒の剣技がそこにはあった。
以前よりもずっと洗練されている――だからこそ、ルインの方が押されているのだ。
その心の動揺が、やがてルインに大きな隙を生むことになる。
常勝無敗の剣闘士は今日、初めて敗北を喫した。
***
「――っ!」
ルインが目を覚ました時、そこは彼女が過ごしてきた牢獄のような部屋ではなかった。
揺れる馬車の中、外を見ると草原が広がっている。
「目が覚めたか?」
起き上がったばかりのルインに声をかけてきたのは、先ほどルインと戦っていた男――ラーグだ。
先ほどと同じように、仮面で素顔を隠したまま。ルインが馬車の中にいる時点で、すぐに状況が理解できる。
ラーグが勝ったから、ルインは『彼のモノ』となったのだ。
……聞きたいことは山ほどある。けれど、ルインがエルドの転生した存在であるということを、言うつもりはなかった。
信じてもらえるかも分からないし、かつての相棒に転生した自分が奴隷としてただ生きる毎日を送っていたとは知られたくなかったからだ。……それでも、気になることはある。
「どうして、わたしと戦ったの?」
「起きて最初に聞くことがそれか? 外にいる理由とか、これからどうなるのかとか――奴隷なら、そういうことが気になると思ったんだけどね」
「そんなことは後回しでいい。理由を話して」
「ふっ、私に負けたというのに随分と強気な女の子だ。……別に、大きな理由などない。お前という強い女がいると聞いたから、戦ってみたいと思っただけさ。結果的に勝って『買う』ことになったが、別に私は君をどうしようとも思っていない」
ラーグはそう淡々と答える。以前はもっと明るい性格の男であったはずだが、今は暗い陰を落としたように話す。
本当に理由はそれだけなのか――そんな疑問だけがルインの中にあった。
そんな時、不意に呟くように、ラーグが言葉を続ける。
「ただ……もう一つ理由があるとすれば、君の剣術が私の知り合いによく似ていた、それだけだよ。いや、似ていたというよりも、ほとんど同じだと言ってもいい。とても強かった私の相棒に、ね。だから、少し思ってしまったんだよ。もう一度、彼と剣を交えられたら、なんてね」
「――」
ラーグが言っている相手は、間違いなくエルドのことである。
それは、ルインにもよく伝わってきた。ラーグは気付いていないだろうが、少なくとも彼はその願いを今さっき、叶えたことになる。
そして、ルインもまた……もう一度、かつての相棒と剣を交えることができるとは思わなかった。
(こんな奇跡が、あるんだな)
思わず感極まってしまいそうになるが、それでもルインは何とか平静を装う。
そんなルインに対して、ラーグが再び口を開く。
「君を買ったのは私だ。だから、私が君を自由にした――それだけだよ。別に、何も気にする必要はない」
「気にする必要はない? わたしは確かに奴隷で、人らしい生活を送ったことなんてない。だけど、そんな恩知らずなことができる人間じゃない。わたしを買った金分くらいは、働く」
「……何だって?」
「何か仕事をしてるんでしょ? あなたも戦ったから分かってると思うけど、わたしは強い。あなたと一緒に仕事できるくらいには。自由にしていいなら、その権利だってあるよね?」
ルインは決意に満ちた表情で、そう宣言する。
こうして再び出会えたのならば――また一緒に戦うことができるのならば、そうしたいと思ったのだ。それが、自由にしてくれたラーグへの恩返しとなる、と。
仮面の下の表情は窺えないが、ラーグが小さくため息をついたのは聞こえた。
「確かにそう言ったのは私だ。せっかく自由になったというのに……その選択をするというのならば、勝手にしろ」
「決まりね」
ルインは笑顔を浮かべて、頷く。久しぶりに笑うことができた気がした。
こうして再び、かつて最強と呼ばれた傭兵二人は、再び共に戦うことになるのだった。――一人は少女剣士として、もう一人は素顔を隠した剣士として。
実際に連載したら精神的BL要素があるかもしれないTS短編です。
この後の展開としては一緒に仕事をしながら、主人公が何かと相棒の世話を焼きつつ、だんだんと恋仲になっていくみたいな展開がいいですよね。
いいですよね???