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シバヤギの鳴く夜に  作者: ヤギ
1/3

サメのお話が書きたかった

 

 

 

 リノリウムの床をスリッパで叩く音が、ぱたぱたと響く。ひやりとした空気を震わせる、空調の音、なにかの機械音、話し声、ブザー。窓の外から、蝉の声、自動車の走行音、梟の鳴き声、風の音、木々の葉擦れ。

 田舎の大学付属病院は、真夜中でも騒がしい。


─意外と、怖くはない、んだよな。


 生まれてこの方健康優良児で、大きな怪我もせず、二日がかりの人間ドックを受けることになった今回が、人生初の入院。食事とか、手続きとか、風呂とか、夜とか、不安がなかったと言ったら、嘘になる。

 ビビリの俺としては、何より夜が不安だった。だって、病院とか怪談の宝庫だし。


 でも、実際こうして入院してみて、やっぱりフィクションはフィクションなんだなと実感する。


─そりゃそうだよな。こんな人間だらけの場所が、ホラー映画みたいに静かになるわけないもんな。


 どうしても朝までトイレを我慢出来そうになくて、嫌々怖々出て来た廊下だったが、そこらじゅうから感じる生きたひとの気配で、むしろ安心してしまった。


 べぇー


─ヤギの声まで聞こえて。本当、のどかだな。


 べぇー


 よく響く声は近く聞こえ、まるですぐ後で鳴いているような、


 べぇー


─近過ぎないか?


 病院内にヤギがいるはずがない。ならば、声は外から聞こえているはずで、それにしては、あまりにこの声は、


 べえぇー


「──っ」


 思わず振り向いた目に映る、白い、


「ひっ」


 べぇー


 上げようとした悲鳴は、眼前に広がった生暖かいなにかに呑まれて消えた。




「院内で、行方不明者?」


 昔馴染みから持ちかけられた相談に、メイは眉を寄せた。


「アルツハイマー患者が逃げ出したとか?警察に持ち込みなさいよ、そんな相談」

「最初にいなくなったのは健常者よ。人間ドック受診の。もちろん、警察にも届け出ているけど、それだけじゃ、不安で」

「最初に、って」


 地元の大学病院で看護師を勤める昔馴染みの羊子ヨーコがわざわざ休日を使って訪ねて来たと思えば、そんな相談で。


「聞いてくれる気になった?」

「まさか。仕事の依頼ならアポ取って事務所にどうぞ。今は営業時間外よ」

「そう言わずに。幼馴染みでしょ」

「おあいにくさま。わたし、仕事とプライベートは分ける主義なの」


 鳴の仕事は探偵。ひと捜しも業務の一部ではあるが、


「慈善事業じゃないのよ。ちゃんと契約交わす気もない人間相手に払う労力なんて、一厘だって持ち合わせてないわ」

「う……ごめん……」


 羊子がうつむいてうめく。


「あなたの仕事を軽んじてるわけじゃないのよ。ごめんなさい。でも、時間がないの。契約書も交わすし、お金も払う。必要なら、休日割増して良いから、お願い、助けて」


 実情を知らない人間からは、馬鹿にされる職業だ。占い師や、絵師、売れない漫画家、キャバ嬢やホストなんかと一緒、いや、むしろそれ以上に、軽んじられ、社会的地位を低く見積もられることすらある。

 友達なんだからタダで引き受けて。休みの日でも対応して。そんなこと、例えば医師や弁護士になった友人相手に言うだろうか?


 羊子には、そうやって馬鹿にされたことなんてなかったから、友人扱いしていたけれど。


「……まるで自分の命が掛かってるみたいな言い種ね」

「看護師もひとり行方不明になっているの。夜勤担当だった、あたしより若い子よ」

「へぇ」


 集団徘徊では、なさそうだ。


「病院なら、監視カメラくらいあるんじゃないの」

「出入口だけよ。患者さんのプライバシーがあるもの」

「出入口にあるなら、出たかはわかるじゃない」

「出てないの。行方不明になったひと、誰も」


 羊子が両手で顔を被う。


「なら、院内ね」

「探したわ。病院関係者も、警察も。でも、見付からないの」

「あらあら」

「……血の匂いがするのよ。手術室でもないのに。みんな、行方不明だなんて思ってないわ。殺されたのよ。なにかに」


 首を傾げた鳴が、問い掛ける。


「誰か、じゃなくて、なにか、なの?」

「わからないわ。監視カメラに不審者も不審物も映ってないもの」

「警備の人間は?」

「いるけど、常に病院全体を見られるほどの人数じゃない」

「まあ、でしょうね」


 頬杖を突いて、鳴は呟く。


「あたし、明後日夜勤なの。死にたくない」

「行方不明になった人間に、共通点は」

「……これがカルテと看護師名簿のコピーよ」

「個人情報」

「死にたくないの」


 顔を上げた羊子が差し出した書類を受け取り、めくる。


「年齢、性別、病歴、出身、病室、マイナンバーも、てんでバラバラよ」

「個人情報」

「死にたくないのよ」

「病院って怖い」


 軽口を叩きながら、鳴は書類に目を通す。羊子の言う通り、共通点らしきものは見付からなかった。


「共通点があるとしたら」

「あら、あるの?」

「たぶん夜中に廊下に出たんだろうってことだけよ。病室もナースセンターも、荒れてなかったから」

「なるほど。あなた、夜勤中廊下には出ないとか」

「出来るわけないじゃない。呼び出しも見廻りもあるのに」

「でしょうねぇ」


 苦笑する鳴に対して、羊子は半泣きだ。


「行方不明者が出るのは夜だけ?」

「夜だけよ」

「日にちに規則性は?」

「ないと思うわ」


 言いながら、羊子が手書きの紙を出す。


「あら、周到」


 行方不明者とその最終目撃日時がまとめられた紙に目を落とし、鳴がうなずく。


「ぱっと見規則性ないわね。なにか、犯行声明とかないの」

「ないわ」

「誰かから恨みを買ってるとか」

「病院で年間何人死ぬと思う?」

「そーね。それで」


 あくまで軽く頷いて、鳴は訊ねる。


「あなた、わたしにどうして欲しいの」


 羊子が目を伏せ、答える。


「明日、見て欲しいの」

「院内を?」

「ええ。あなたが見れば、わかるでしょう」


 犯人が、なんなのか。


 羊子の言葉に片目をすがめ、鳴は唇の片端を上げた。


「だから、わたしに話を持って来たわけ」

「……お願い。死にたくないのよ」

「高くつくわよ」

「かまわないわ。こう見えて、高給取りなの」

「知ってる」


 ふん、と鼻を鳴らした鳴がタブレットを取り出し、なにやら起動させ、打ち込んでからタッチペンと共に羊子へ差し出す。


「契約書よ。ちゃんと読んで、納得出来たらサインして」

「ほんとに高いわね」

「当たり前でしょ。嫌なら良いのよ。引き受けないだけだから」


 肩をすくめた鳴には答えず、タブレットに目を走らせた羊子がタッチペンで署名する。戻されたタブレットを確認して、鳴が頷いた。ぱたぱたと操作し、手を差し出す。


「契約書はメールであなたにも送ったから。前金寄越して」

「クレジット使える?」

「うちは現金主義よ」

「下ろして来るから待ってて」

「お茶代」

「ちゃんと置いて行くわよ。ちょっとは幼馴染みを信頼しなさいよね」




片品かたしなさんの知り合い?」

「ええ。そうなんです」

「なんで、病院に?」

「母の体調が思わしくなくて、良い病院探してるんです」


 少し、院内を見せて貰っても?


「病室には、入らないで下さいね」

「あとで入って良い病室見せるから」

「ありがとう、羊子。師長さんも、ありがとうございます」


 ナースセンターから離れて行く鳴を、羊子は見送る。


「……よく知り合いに勧められるわね」

「警察にお願いしたのですから、すぐ、解決しますよ。きっと」

「そうでないと困るわ。ただでさえ人手不足なのに」


 院長が首を振って、仕事に戻る。


「お願いね、鳴……」


 誰にも聞こえないように呟いて、羊子も仕事に戻った。




「結論から言うと」


 仕事終わり、落ち合った鳴が言う。


「霊的なものではないと思うわよ」

「そう……なの」

「ま、断言は出来ないけど、たぶんね」

「じゃあ、なんで」

「バイオハザードだったりして」


 くすっと笑った鳴の言葉に、羊子の肩が震える。

 そんな羊子に、鳴は黒いなにかを渡した。


「なにこれ」

「護身用。霊じゃないなら効くでしょ」

「……スイッチ式ライター?」

「風の、スタンガン。夜の見回りの時は、持ったまま行きなさいな。ボタン押して、突き出すだけでも威嚇にはなるわ」

「撃退しろと?」

「威嚇用。わたしが一緒に夜勤するわけには行かないでしょ」


 ま、許可を取る努力はするけど、明日までには無理よ。


 お手上げ、と両手を広げた鳴に、羊子が泣き付く。


「そんな、見捨てないでよ」

「見捨てないから護身用具渡したでしょ?成功報酬も貰わないとだし」


 良い?と鳴は指を立てる。


「それで戦おうと思わないでよ。あくまで威嚇して、逃げる時間を稼ぐの。鍵が掛かるところ、そうね、身障者用トイレなんか良いわ。一晩立て籠れるところに逃げ込んで、朝まで耐えるの。今のところ、昼間に被害は出てないんでしょ?なら、朝まで逃げ切れば、生き残れるかもしれないわ」

「かもしれないって」

「確証はないけど、相手は実体がある可能性が高い。壁を通り抜けてまであなたを追うことは出来ないわ。外から侵入しやすい一階は避けて、扉はひとつきりの部屋に逃げるの。女子トイレの個室じゃ駄目よ?上から来られたら逃げられないから。でも、身障者用トイレなら行けるでしょ。窓も、猫くらいしか入れないようなサイズだったし、ひとは通れないわ」

「でも、あんな、薄いドア」

「まあ、鍵壊されたら終わりだけど、そこは一晩くらい踏ん張りなさいよ。実害出たなら逃げる言い訳にもなるでしょう。予想でしかないにしろ今のところ、室内にいる人間は襲われてないの。扉に対して、なにか通れない理由があるのかもしれない」


 そんな、曖昧な。


「扉を通れない理由ってなによ」

「え?相手が、吸血鬼とか?」

「ふざけてる?」

「大真面目よ。あいつら、招かれないと入れないらしいじゃない」

「こっちは本気で、」

「こっちも本気よ。お金貰ってるんだから」


 鳴が溜め息を吐いて言う。


「聞き込みしたけど、噂程度で目撃者はいない。悲鳴や不審な物音を聞いたひとすらいないのよ。まあ、気になるとすれば」


 ~♪


 素っ気ない呼び出し音。羊子のスマホからだった。画面に表示された名前は、


「今日、夜勤の」

「出て。スピーカーで」

「もしも、」

『助けて!!』


 荒い息遣いと共に入ったのは、鬼気迫る叫びだった。


「どうし」

『ヤギが、ヤギがっ……!』

「ヤギ?ヤギがどうしたの?」

『たすけっ』

『めぇー』


 ぶっ


 ツー、ツー、ツー


「切れた……」


 慌ててリダイアルするも、相手が出ることはない。しまいには、


『お掛けになった電話は、現在電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません。お掛け直し下さ、』


 ぶっ


「……どう言うこと」

「病院に、掛けてみたら?」

「ああ、そっか」


 手に持ったままだったスマホで、病院の外線を呼び出す。


 数回のコールのあと、受話器が取られる。


『片品さん?どうかしたの?』

「えっ、と、吉村さんから変な電話があって、気になって」

『吉村さん?そう言えば、警報見に行って戻らないわね』

「警報?」

『ほら、いつものよ』

「なら、すぐ戻るはずですよね。出たのはいつ?」


 時計に目をやり、訊ねる。スピーカーからの声へ真剣に耳を傾ける羊子を、鳴は黙って見ていた。


『ええと、十分前ね。まだでもおかしくない時間だわ』

「……今出ると、そのひとも危険かも」

「でも、どうしたら」

「戻るまで待つのが良いと思うよ」

「そんな悠長な」

『片品さん?誰かと話してるの?吉村さんの電話って、なんだったの?』


 なんだったかなんて、こちらが訊きたい。


「助けて、ヤギがって」

『ヤギ?』

「そう。ヤギ」

『……襲われたのかしら』

「わかりません。途中で切れて、かけ直しても繋がらなくて」

『そう。あまり戻らないようなら、警備に相談してみるわね』


 羊子が視線を投げた先で、鳴は黙ったまま首を振った。


はらさんも、気を付けて」


 電話を切ってから、鳴を睨む。


「なにか、対処とか」

「生き残りたいならナースセンターから出ないこと。そもそも夜勤に行かないこと。出来ないでしょ」

「……っ」


 出来ない。だからこそ羊子は、鳴に相談したのだから。


「次善の策としては二人以上で行動することだけど、それも難しいでしょ」

「……」


 羊子の担当病棟で夜置かれる看護師は基本的に二人だ。片割れがいなくなった以上、二人行動なんて出来ない。病院全体を見なければいけない警備に、常についていて貰うことだって不可能だ。


「あなたが」


 黙り込んだ羊子に鳴が言う。


「夜勤で出歩くときは、常に周りの気配と逃走経路を頭に置いておきなさい。逃げるときは逃げることだけ考えて、安全が確保出来るまでは、助けを呼ぼうなんて思わないように。とにかく、自力で逃げ切れないと死ぬと思いなさい」

「鳴」


 両手で顔を覆って、羊子は問い掛ける。


「もっと早く、あなたに相談していたら、吉村さんは死なずに済んだ……?」

「無意味な仮定ね」


 鳴が鼻で笑う。


「そもそも、そのヨシムラサンが死んだ確証もないじゃない。電話は悪戯で、明日にはけろっとしているかもしれない」

「悪戯で、なんでヤギなのよ」

「電話のせいで言いそびれたけど」


 平を天に片手を差し上げて、鳴は片目をすがめた。


「ヤギやヒツジの鳴き声みたいなものを聞いた、って証言があったのよ」

「誰に」

「話が聞けた入院患者に。それに、ヨシムラサンからの電話が途切れる直前にも、入ったでしょ、ヤギっぽい鳴き声」

「そうだった?」

「聞いてないの?」

「焦ってたから」


 鳴があからさまな溜め息を落とす。


「あなた探偵には向かないわね」

「なる気もないわよ」

「それは重畳。なんにせよ、わたしがちょっと聞き込みしたくらいでも拾える情報だから、ヨシムラサンも知ってておかしくないでしょ」

「だから、悪戯したって?」


 思わず胡乱な表情になった羊子を、鳴は半眼で見返した。


「夜勤の看護師がそんな暇じゃないことくらいわかってるわよ。ただ、現段階でごちゃごちゃ考えても仕方ないって言ってるの。あなたは明日を生き延びることだけを考えていなさい」


 相手がヤギなら、スタンガンが効くから。


 鳴の助言に目を見開く。

 

「まさか犯人はヤギだと思っているの?」

「その可能性もあるとは思っているわ」

「なんでヤギが。草食じゃない。それとも、本気でバイオハザードを疑ってるの?」


 それにしたって、そこまで習性を換える病原なんてあり得るだろうか。ゲームの世界でもあるまいし。


「理由なんてわからないよ。でも、あり得ないことすら起こるのが、現実だから」


 そう語った鳴の目は、空事を言っているものではなかった。まるで本当に、なにか、実在するあり得ないものをその脳裡に映しているような、ぞくりとした深淵を感じさせる目。


 ごくりと唾を飲み下した羊子の様子に、はっとして鳴がぱちりとまばたく。開かれた目は、いつもの鳴に戻っていた。


「とにかく生き延びて。出来たら目撃者として生還して欲しいわ。ひとなら警察が動けるし、そうじゃないならそうじゃないなりに出来ることがあるから」


 迷うように目を踊らせたあと、すいと羊子を見据える。


「生き延びたいなら、見捨てることよ」


 瞬間、なにを言われたかわからなかった。


「みすてる……?」

「安全な場所に逃げ込んだなら、絶対に扉を開けては駄目。相手が知恵あるものにしろ、そうでないにしろ、捕食者はどんな手を使って獲物を引きずり出そうとするかわからない。もし、あなたが敵に出会ってしまったなら、朝日が昇るまですべてが敵だと、いいえ。その、朝日まで敵と思いなさい」


 鳴が手を伸ばし、とん、と羊子のスマホに触れる。


「明後日の日の出は、5時23分よ」


 よく覚えておきなさい。


「それじゃ、わたしは調べたいことがあるから」

「え、でも」

「言ったでしょ。現時点でごちゃごちゃ考えても仕方ないって。あなたは、明日のために体力でも付けておきなさい。明日生き残ったら、わたしが助けてあげるわ」

 

 

 

なぜヤギになったのか


拙いお話をお読み頂きありがとうございます

続きも読んで頂けると嬉しいです

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