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午後の苺パイ

ありがとうございます、週間ランキング5位に入ることができました!

 

 洗濯物などの雑事が一通り終わると、午後の時間は非常に緩やかなものになる。


 部屋の掃除は済ませたし、洗濯物も終わっている。


 食堂に入ってくる客も休憩をしに飲み物を飲む客が精々。仮に何か注文されても昼食の残りを出すだけで済む。


 まあ、庭掃除だとか玄関の掃除は昨日にやったし、毎日やる必要はない。


 そう、宿屋ではこの昼過ぎの時間が一番楽なのだ。


 僕が今やっている仕事は受付としてテーブルに座るだけ。


 うちの宿に泊まりにくる客をさばくだけの簡単な役割だ。とはいっても、こんな真っ昼間に訪れる客が多いわけもない。


 僕はそれをいいことに、思う存分受付で惰眠を貪っていた。


「ああ! トーリってば受付なのにサボってる!」


 テーブルに突っ伏して眠っていると、突然甲高い少女の声が響く。


 聞き覚えのあるその声の方に顔を上げてみると、そこには予想通りの人物がいた。


 赤い髪を後ろにアップで纏めた少女。


 燃えるような赤い瞳と整った細い眉は、その子の表情を凛々しく見せ、陽気な印象を相手に抱かせる。


 身長は僕と同じ百五十センチくらい。うちと同じ宿屋で働いている幼馴染のアイラだ。


「サボってないよ。時間を有意義に使っているだけだよ。アイラこそ、宿の仕事はいいの?」


「私は今日お休みだからね」


 アイラの服装を見てみれば、普段働くエプロン姿ではなく白いカッターシャツに緑のスカートという服装だった。


「くそ、こっちは朝から忙しく働いていたというのに、そちらは休日とは羨ましい」


「えへへ、羨ましいでしょう」


 歯噛みする表情の僕を見て、アイラがニシシと笑う。


 母さんのような柔らかい表情ではなく、そんな陽気な笑い方が似合うのはアイラの魅力だ。


 看板娘と言われても文句はないな。


「あら、アイラちゃんいらっしゃい」


 僕がそんな風に納得していると、二階から降りてきた母さんがアイラに声をかけた。


「どうもシエラさん。お邪魔してます」


「別にいいわよ。ご覧の通り、今は宿も落ち着いているから」


 まったくその通りで。お陰様でこちらはのんびりやらせて頂いています。


「あっ、アイラお姉ちゃんだ! 今度はこっちに来てくれたの?」


「ええ、今度は私が遊びにきたわ」


「でも、随分とめかし込んでいるね」


「そりゃ、家と外では格好も違うわよ」


 レティが遊びに行っていたのは朝だしな。


 休日の朝といえば、女の子でも油断しているのが常だ。家にいる時と外にいる時の格好が違うのは当然だろう。


 僕はレティとアイラの言葉を聞かなかった事にしていると、入り口からお客さんが入ってきた。


 例え休日であっても、仕事が緩やかであっても皆宿屋の従業員。


 アイラ達は受付付近での会話を即座にやめて、それとない動作で端っこに寄っていった。


 僕は受付へとやってきた女性に定番通りの言葉をかける。


「いらっしゃい」


「一泊いくらだ?」


 キリリとした顔立ちをした真面目そうな女性だ。


 口調からして事務的に作業を終わらせたい雰囲気が出ていたので、僕もスムーズに進むように回答する。


「一人部屋なら朝食付きで千五百メリルですよ」


「わかった」


 僕の言葉に頷いた女性は、懐から銀貨一枚、銅貨五枚を差し出した。


 この世界の貨幣は、白金貨、金貨、銀貨、銅貨、賤貨という硬貨でのやり取りが基本だ。


 値段は上から十万、一万、千、百、十というのが日本円での単位。ちなみにここでは円とは言わず、メリルと呼称する。


 千五百メリル。これがうちの宿屋での一泊の料金だ。これに洗濯など、料理、お湯や蝋燭などを追加していくことで値段は上がっていく。


 まあ、宿屋の中では安い方の値段だ。


 父さんの料理は美味しいし、うちの宿はボロくない。


 本当はもう少し値段を高く設定する方がいいのだが、父さんは昔冒険者だった時代がある。


 その時は、料理が上手くて安い宿屋が少なかったらしく、父さんは駆け出しの冒険者でも長く泊まれるような値段に設定しているのだ。


 そんなお陰かうちの宿屋は安くて料理が美味くて居心地がいいという三拍子の評価を貰っており、中々の人気ぶりだ。


 僕としては、もう少し客足が少なくてもいいと思うんだけどね。忙しいし。


 女性客から銀貨と銅貨を受け取った僕は、紙を差し出す。


「ここに名前を書いてください。代筆は必要ですか?」


「いや、いい。自分で書ける」


 この世界はそれほど識字率が高くないからな。文字が読めない、書けないという人も結構多い。自分の名前くらいなら読める、書けるという人は結構いるけど。


 それを思うと前世の教育レベルは非常に高く、浸透していたことがわかるなぁ。


 僕が感慨深く思っている間に、女性はレミリアと紙に名前を書いた。


 それを確認した僕は、受付テーブルの引き出しから鍵を取り出す。


「それじゃあ、奥の階段を上がって二階の201の部屋です」


「わかった」


 鍵を受け取ると、奥へと進んで階段を上がる女性。


 まるで騎士と話をしているかのようだったな。


 室内を見渡すとアイラとレティ、母さんの女性陣は席に座って楽しそうに会話している。


 すると、二階で眠っていたナタリアも起きてきたのか女性陣に混ざって会話をしだした。


 完全に女子会である。もはや、男である僕がそこに混ぜることは不可能。


 僕は華やかな女子達の会話に癒されながら、ボーっと受付で座る。


 この穏やかな時間が一番好きだ。一人ではなく、周りでは楽しそうな声がずっと響いていて。


 前世も今みたいにゆっくりとした時間を過ごせたら幸せだったのだろうと心底思う。


「はい、トーリにもお裾分け!」


 しみじみと思っていると、アイラが横から苺のパイが乗った皿を置いてきた。


 香ばしく焼けたパイの香りがし、パイ生地の隙間からは真っ赤な苺がぎっしりと詰められているのが見えた。


「おお、僕にもくれるの?」


「トーリだけ省いたら可哀想だからね!」


 アイラはそう言って笑うと、厨房の方へと歩いていく。


「あれ? アイラ、そっちは厨房だよ?」


「何度も来てるから知ってるわよ。ジュースを貰いにいくの!」


「何でアイラが? ……ああ、アイラが行くと父さん客人扱いして店の食材を使うからか」


「その通り!」


 母さんかレティが教えたのだろう。テーブルの方を見ると、二人がニシシと悪い笑みを浮かべている。


 そうやって打算的な事を考えながらも、厨房にいる父さんの分までパイを持っていってあげるアイラは優しいな。


 目の前にある苺パイを手に取って口へと運ぶ。


 噛むとパイ生地のふんわりとしつつ、サクッとした食感が同時に広がる。口に中に香ばしいパイの味が広がり、中からトロリと甘いシロップと苺の味がこぼれ出た。


 うーん、甘さと苺の酸味がちょうどいい。


 甘いものがそれほど得意でもない僕でも、これならたくさん食べられそうだ。


 僕はあまりの美味しさにガツガツと苺パイを食べ進める。切り分けられたパイはあっという間に僕の胃袋に収まり、皿の上から綺麗になくなっていた。


「はい、トーリ。フルーツジュースよ――って、もうなくなったのね」


「美味しかったからすぐになくなっちゃったよ。ありがとう」


「そう。なら、よかったわ」


 僕がお礼を言いと、アイラはどこか照れた様子でレティ達の方へと戻っていった。




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『魔物喰らいの冒険者』

― 新着の感想 ―
[一言] もはや、男である僕がそこに混ぜることは不可能。 →最早、男である僕がそこに混ざる事は不可能。
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