二度目の起床
「お兄ちゃん、起きて」
妹の不機嫌そうな声と共に頬を叩かれて目を覚ます。
目の前には見るからに不満そうな表情をしたレティの姿があった。
というかこの場面は今日で二回目だな。
「痛いよ、レティ」
「朝だけで二回も起こしにくる私の気持ちも察してよ」
叩かれた頬をさすりながら言うが、レティは素っ気なくそう返す。
確かにいちいち僕を起こしに四階まで来るのは面倒だろうな。
次は中庭で寝るか、自力で起きられるように努力しよう。
「昼食の時間で忙しくなるからお兄ちゃんも手伝って」
「わかった」
レティと一緒に一階へと降りていくと、すでに食堂には何人もの客が座っていた。
昼食は主に宿泊客ではなく、街で働いている大工や行商人、流れの旅人、冒険者といった人々が入ってくる。
ここを拠点としているものの、働いている場所が近所とは限らない。よっぽど近くにいればうちの食堂で昼食を食べにくるが、基本的には仕事場の近くの店や屋台などで済ましてしまうだろう。
しかし、辛い労働を乗り越えて心に潤いを持たせるために、うちの看板娘たるレティ目当てで毎回昼食を食べにくる客もいる。
「レティ嬢ちゃん、野菜炒め肉大盛りでな」
「肉大盛りだと追加料金が発生しますよー」
「えー、それくらいサービスしてくれよ」
「ここは男らしく、お金を払ってたくさんお肉を食べましょう?」
大盛りを要求してくる客に、レティは上目遣いで提案する。
その表情は兄から見てもとても可愛らしく、どこか庇護欲が誘われるものだ。
こんな可愛い少女に上目遣いに『男らしく』とか言われたら、払いたくなってしまうな。
「わかった! じゃあ、ここは男らしく肉大盛りで!」
「ありがとうございます!」
男の注文ににこやかな笑顔で頭を下げると、レティはトコトコと厨房口へと歩いていく。
「野菜炒め肉大盛りだって!」
「……変なことされなかったかレティ?」
「大丈夫だよ。お父さんってば心配し過ぎだよ。それにあれくらい慣れてるから」
父さんも見ていたのか、どこか心配げな声音で尋ねるがレティは動じた風もない。
「レティは随分とたくましくなっているな……」
「ああいうお客さんのあしらい方は、母さんとアイラお姉ちゃんに教わっているから」
僕が感慨深く呟くと、レティが少し低いトーンで答える。
というかさっきまでにこやかな表情と、可愛い声で接客していたのに、急に声のトーンを下げるのは止めてほしい。シンプルに怖いから。
「さっきのおねだりの方法も?」
「まあね」
多分、あのあざといおねだり方法はアイラに教えてもらったのだろうな。
アイラの家は僕達と同じ宿屋一家だ。その看板娘たるアイラは男性のあしらい方も熟知しているだろう。
純真なレティが成長していることは嬉しい反面、女らしい狡猾さも感じるようになってきて怖くも思う。
もしかして、本当は三階の事も知っているのではないだろうか? 狡猾になっているのだ。ちょっとした性知識くらい持っていてもおかしくない年頃だ。
本当は知っているけど、知ったら三階の掃除をやらされるのが嫌で純粋なフリをしている……そういう事はない……よね?
「お兄ちゃん、ボーっとしてないで早くこっち来て!」
僕が思考の海に入りかけると、食堂からレティが呼んでくる。
そっちではレティが多くの皿を抱えながらも注文を聞いていた。
母さんは皿洗いに大忙しだし、今は余計な事を考えずに僕が働くしかない。
客で賑わった食堂内をすり抜けるようにして移動して、注文待ちの客から注文をとっては料理を運んで、皿を下げて、勘定してを繰り返す。
この時間は仕事をしている人が休憩時間として昼食を食べにくる。だから、皆限られた時間内を有意義に使おうとするために、早食いの人が多い。
朝とは比べ物にならないくらいの回転率の速さで客が出入りしていく。
「やあ! トーリ君! お昼も忙しそうだね!」
「ご覧の通りね」
僕が必死に皿を運んでいると、ミハエルが悠然と食堂内に入っていた。
生憎食堂内は混雑しており、彼が座るべき場所はない。
しおかし、それは事前にそのことがわかっているのか、うちで昼食を食べる時は対策をしていた。
「あっ、ミハエルの兄ちゃんだ!」
「こっちだよ!」
食堂内の奥にある四人掛けのテーブル席、そこを占拠する子供達がミハエルに向かって手を振っていた。
「おお! 今日もきちんと僕の席を取っておいてくれたんだね! ありがとう!」
ミハエルがお礼を言うと、子供達は嬉しそうに笑う。
「教会の仕事に比べれば楽だし、どうってことないよ」
「それに美味しい料理も食べられるし」
そう、ミハエルは気に入った席を確保するために、孤児院の子供達に席をとってもらっているのだ。そしてミハエルはその仕事の報酬として昼食を子供達に奢っている。
貴族的な道楽も含まれているのかもしれないが、彼は孤児院の子供達にもこうして分け隔てなく接している。
彼に仕事を紹介されて、仕事についた孤児院の子供もいるので信頼はとても厚い。
「さあ、好きなものを注文したまえ!」
「何にしようかな?」
ミハエルがそう告げると、子供達がメニューを見て悩みの声を上げる。
そんな光景が微笑ましい。
◆
慌ただしい昼食の時間が終わると、客入りは落ち着く。
たまに遅れた時間に食堂に入ってくる客もいるが、それは比較的少人数なために家族全員が控えている必要はない。
厨房と食堂は父さんと母さんに任せて、僕とレティは朝の洗濯物を取り込むことにする。
中庭に出ると、気持ちのいい風が吹いて真っ白なシーツがたゆたっていた。
空は青く日差しも良好で天気もいいな。
僕とレティは二人で協力しながら、ベッドのシーツを竿から下ろす。
「太陽の匂いだ!」
レティがシーツの匂いをかぎながら無邪気にそう言う。
まさしくシーツは太陽の光を浴びて、柔らかい匂いを放っていた。
この匂いの正体は、ダニなどの虫が死んだ時に放つ匂いだという知識が脳裏にチラついたが気にしないことにする。
人間細かい事を気にしすぎるとよくないっていうしな。
「太陽の匂いがするシーツの上で眠ればぐっすりだね」
「お兄ちゃんって、本当に寝ることばっかり。他にやることないの?」
「言い方がよくないよレティ。僕は数ある行動の中から睡眠というものをきちんと選んでいるんだ。決して他にやることがないからとかいう理由じゃないからね?」
そう数ある選択肢の中から、睡眠を選ぶというのが大事なのだ。
選択肢がある中で行動を決めるのと、それしかやることがないというのは大いに気持ちが違う。
「……本当かなぁ?」
しかし、レティは疑惑の眼差しを向けてくる。
確かにこの世界の文明は、前世に比べると遅れているが、それでも暇潰しの遊戯くらいある。しかし、それでも僕はきちんと睡眠を選んでいるのだ。
だから、暇人ではない。
「時間が余っているなら料理でもすれば? お父さんが、お兄ちゃんは料理の筋がいいのに中々修行をしないって嘆いていたよ」
父さんは僕を宿屋の料理人にしようとしている節がある。
僕は前世の一人暮らしでの料理経験があるから大体の料理知識はあるけど、父さんのような料理人に比べればまだまだだ。
それに僕としては厨房で忙しく働くよりも、今のように従業員としてのんびりと働いて休憩するという余裕のある仕事をしていたい。
だから、正直のところあんまり料理人にはなりたくないと思っている。
でも、たまには前世の料理を再現してみるのも悪くないよな。
完璧な料理人にはなれないが、そういった部分では貢献できると思う。
「まあ、今度やってみるよ」
「その時は美味しい物を作って食べさせてね!」
随分とちゃっかりしている妹である。
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